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章立てはしません

普段読む詩集の多くは、三部構成だ。それぞれ関連性があればともかく全く異質のものが組み合わせてあると戸惑う。
私の場合、新詩集『水栽培の猫』も前詩集『道草』も章立てはしていない。特に『水栽培の猫』では、最初から最後まで透き通った水がゆるゆると流れてゆくような構成にしたかった。メビウスの輪のように、表をたどっていたつもりが裏になったり、始まりも終わりもない言葉の迷路に仕立てたかった。
本詩集は、飼い猫が病を得て亡くなるまでの一年余に書いた詩を纏めたもので、巻頭と巻末に猫に関する詩を置いている。
野木京子さんが栞に、
「循環しているから、猫の命は決して終わらず、透き通ったまま歩き続けているのだ。」
と書いてくださった。

あの子は もう ひっかかない
いちど 死んだから
もう 二度と
死なない
       吉原幸子「ゐない」より

死ぬということは、もう決して死なないこと。目には見えないだけで寄り添い続けることだと、しみじみ思う。


 

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