『わかる人にだけわかってもらえれば良い』は時に逃げであるのかもしれない
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない
よりも長いタイトルです。
ミスコンが始まる季節になりました。
いつもミスコン(特に東大の)を見てて思うのですが、
「俺は私は自分の好きなようにやる、みんなが描いているミスターミス像におもねるつもりはない」
的なポジションとる人いるじゃないですか。
ミスコンに出場する意味に関して色んな考え方はあると思いますが、
個人的にはあんまりこの考え方好きじゃなくて。
ある種の敗北宣言に聞こえるからなんですよね。
人気投票といった形で結果がでる競争の中で、
『自分の好きなようにやる』『わかる人にだけわかってもらえれば良い』という隠れ蓑を被って、競争から離脱するように見えてしまって。
まあ、ミスコンに出たことない人間の戯言です。
たまたま見ていた情熱大陸のKing Gnu回で常田さんが
こんなことを言っていました。
売れるために、世の中の感性におもねるつもりはないけど、
売れないと(世の中に受け入れられないと)始まらない中で、
自分が良いと思うものとヒットするもののの共通項を探した。と
この考え方すごく好きで。
アーティストって
CDの売り上げなんて関係ない、
自分が良いと思う音楽をひたすら表現し続ける
みたいなこと言いがちだし、そっちのほうがなんか"っぽい"ですよね。笑
商業的な音楽はダサいっていう。
けど、自分達がよりよい楽曲を制作するにも、
お金は必要なわけで。売れる必要はどうしてもある。
B'zも「売れたことで、最高の楽曲制作環境を整えられたことは大きかった」といつかのインタビューで語っていた記憶があります。
自分がB'zを好きなのは、
そういった「100%の自己表現ではないプロ意識」
も一つの理由だったりします。
2つ前の記事で稲葉さんについて語ったときもこの言葉を使いました。
恐ろしく平易なベン図ですが、
この重なりで戦うことが重要というのが、今日一番言いたいことです。
自分がやりたいようにやるだけで周囲を置いてけぼりにするのもダサい、
かといって、世の中におもねるだけで自分の芯のない行動もダサい。
自分の価値と世の中から求められている価値の重なりで戦うのが一番強い。
って感じです。
関係ないんですが、ハッシュタグでB'zって打てないんですね。
(アポストロフィが引っかかって...とても残念...)
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