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さて、40歳になってしまいました。

(2018年12月28日に書いたものです)

個人的に今年は何かと変化の多い年でございました。

京都に移って任天堂で仕事を始めたことから、私の以前の仕事の不始末で広義の意味の関係者のみなさまにたいへんなご迷惑をおかけしてしまったことまで、文字どおり、30代の総決算の年であったように思います。

恣意的にせよ不如意にせよ、結果的にこれまで犯してきたもろもろの悪行の禊がこれで済んだかどうかは私個人の判断の及ぶところではありませんが、そうしたなかでも、こちらに来て仕事をすることで、20代の頃からずっと考えつづけていた、個人の力やクリエイティビティを最大化するような働き方や組織のあり方についての考えがまとまったのには、個人的にはいろいろな憑きものが落ちたなぁ、と感じている今日このごろです。

それは今では欧米型トップダウン方式と日本型企業村方式の対比で定式化できるという認識に至っているわけですが、個人のクリエイティビティの発露という観点においては、前者に比べて後者が圧倒的に高いパフォーマンスが発揮可能であるという私の見立ては、ここ任天堂においてはひじょうに力強く実証されていると日々感じています。

日本型企業村方式とは、その共同体というイメージとは反対に個人の力を最大化する機構であり、個人主義が根付いている欧米のトップダウン式のほうが、むしろ集団の総合力を最大公約数的に高める機構だというのは、ひとつのパラドックスなわけですが、残念ながらこの現実にはどうやら議論の余地はないようです。ここの方々のひとりひとりのクリエイティビティは、どうやらご本人たちは(とくにプロパーの方々は)ほとんど自覚していないようではありますが、私が見てきたどんな組織の方々よりも高いです。実際、ちょっと驚異的な水準であると思います。

ここの基本的なやり口は、村人ひとりひとりが天上天下唯我独尊に振る舞うというものですが、これがいわゆる典型的な日本型の実際のところです。企業村というのは、ようするに、株式会社制に始まる営利企業の組織から連想されるような、ある特定の目的(設立趣旨)をもったチームではありません。それはもっと漠然とした、まさに日常生活の場における物理的近接性や精神的同質性、生活水準の類似性以上のものではないのです。それにもかかわらず、この様々な種類の近さとその結合(拘束)が、ある種の独自性と協調のダイナミズム、そして最終的には高いレベルの協働とその結晶である成果物を生み出す点が、たんにたまたま同じ場所に住んでいるというだけの地方自治体としての村とは決定的に異なる点です。ですが同時に重要なのは、それはどこまでいっても村なのであり、そうであるからには何よりもまずそれは共同体、暮らす場所だという点です。この点が、まさに生活のための金を稼ぐための猟場、自身の功名を上げ、立身出世を成し遂げる闘技場、あるいは社会に対して特定の役割を担う道具としての組織という資本主義制における企業とは決定的に異なっています。

よく、日本では企業は社員のものであって株主のものではないという議論があるわけですが、その是非はともかく、こうした発想がここの構成員のみなさん(つまり社員さんたち)の隅々まで、強固な自明性として浸透しています。それはあまりに自明のことなので、ここの人たちは、資本主義というものがどういうものなのか、決してほんとうに理解してはいないだろうな、と力強く言いきっていいのではないかと思うほどです(笑)。

重要なことなのでくりかえしますが、それは道具ではなくてひとつの場なのです。道具には用途(目的)がありますが、場にとって目的は付随的なもの、後天的な属性です。道具はよりよいものがあれば、取り替えれば(つまり転職したり新しく作ったりすれば)よいですが、人は場からはそう簡単に離れることはできません。そして、その場の過去の経緯(つまり会社の歴史ということですが)と、構成員の同質性と自身の志向性と、自分が投げ込まれた場における特定の位置からの限定的な視野をもとに、各自が為すべきことを見出したり、選択したり、見繕われたりするのです。そして、そのような場において、互いに刺激を与えあい、影響しあって生活していくなかで育まれる自身の熟練や新たな興味にしたがって人は成長していくわけですが、そうした場にあってあの恐るべき馴れや飽きにあらがって何か新しいことをしたいと感じるという、この人間の自然な精神の軌跡の集積が、任天堂の業績なのです。なぜ、飽きに抗う際に、環境を変えるのではなく、行為の内容を変えるのかといえば、それはひとえにここが道具ではなく場だからです。欧米型においては環境は道具に過ぎませんが、日本型ではそれは前提であり逃れられない軛なのです。

そうした事情ですので、全体最適化という発想は、ここではたいへん虚しい安直極まりない発想であるか、あるいはきわめて困難な、まさにその人の生涯を捧げて成し遂げるべき一大事業になってしまいがちです。そうです、個人のクリエイティビティの最大化は、労働生産性の最大化とまったく等価ではないですし、当然のことながらスケールメリットともほとんど関係がありません。そうしたことはすべて全体としては付随的な派生物に過ぎないのです。そうではなくて、ここにあるのは、何か見どころのある、やりがいのある(個人)事業を、ある一定の共同体的、歴史的制約のもとで成し遂げようとする活動の群れです。そうした活動が社員数分だけうごめいているというのが場としての任天堂なのです。それは組織全体として俯瞰した場合には、一見きわめて非効率に見えますし、実際のところ、そうした場に生じがちな縄張り争いによって、あるいはそこを担う者の思い込みや勘違いといった限界によって、かなりのロスが生じていることはここのみなさんも否定しません。人間関係はこの場で暮らすすべての人々にとって頭痛の種の永遠のダントツぶっちぎり一位です。ですが、にもかかわらず、いやそうした状態であるからこそ、そこで活動をする個人のクリエイティビティは最大化されうるのです。たしかに結果としてそのクリエイティビティは縄張り争いなどで対消滅することもありますが、うっかりたまに身体の向きが揃って各種の抵抗による損失が小さくなることがあると、秩序と統制を前提として構築された組織には到底不可能な、それはそれは驚異的な仕事として結実することになります(それはいかに普段のロスが大きいかということを証拠立ててもいます)。そしてご丁寧に、なんでそういうかたちで結実したのかをうまく説明することができる人はほとんどいないという事態も普通におまけとしてついてきます。ですが、そういった成功の目処(つまり、企図された結果が得られるという保証)があろうがなかろうが、とにかくそれぞれの領域でそれぞれがまじめに日々頑張るというのが、生活の場としての企業村なのです。

こうした場として成立している企業における、そのポテンシャルというのは、ようするにこのとにかく頑張るということの熱量の高さということですし、その熱量を放出する一人ひとりの才覚の度合いの総和ということになります。まさにポテンシャルエナジーというのが、結局のところ、ここのすべてです。その発露はトップダウン型組織ではちょっと考えられないくらいにだだ漏れに漏れまくっていますし(その多くはそのままどこかへ消えていくわけですが)、その結果として、それなりの割合の方々が(あんまり自覚もないまま)それぞれの分野の専門家として謎の領域にまで到達しています。遮るものは基本的にはないわけなので、10年も続けていれば、自ずからそうなるというわけです。

万事こうした具合なので、マネージャなるものの役割も、いわゆるイニシアチブやリーダーシップといった概念からはかなりかけ離れています。それは対外的な折衝にあたる顔役であり、ともすれば群れを離れてあっちこっちへ行きたがる羊(社員)たちが全体としては群れを形成する状態を維持するのに腐心する牧羊犬であり、笛を吹いてどうにかみなを踊らせようとする羊飼いであったりします。そして、話をさらにややこしくするのは、このマネジメントの方式においてもそれぞれの個人の技工や志向性があるので、一括りにマネージャといってもかなりスタイルに差が出てしまうことです。つまり、マネージャもまたひとりの村人に過ぎず、たまたまマネージャという役割をその場に見出したり、見出されていたりするだけというわけでして、そうすると必然的にそこには個人の相性から派生した政治力学が、党派性が生じてくることになりますし、最終的には「まぁ、お互い同じ人間同士じゃないか。腹を割って話そうや」というあの台詞がどこからともなく生じてくる事態にならざるをえないわけです。

村なのですから終身(雇用)なのは当然として、年功序列、同一賃金なるシステムも、基本的にはこのためにあります。共同体システムによって上司と部下という組織上の関係性の衣から上意下達の部分が脱色されると、その関係性は最終的にお互い同じ人間というところまで還元されることになってしまうのです。すなわち、このような村落的共同体においては、人間としての関係性なるものが、どうしても必要な調停の様式として露出してこざるをえないわけですが、この様式が実効性を獲得するには、実際に可能なかぎりお互いが人間的に同等である必要があります。そして、このような共同体においては、個々の構成員間に価値の差を生じさせる共通の尺度として可能なのは、結局のところその共同体をどれだけながく構成して(させて)きたかしかなく、それ以外はすべて、ひとりの人間のひとりの人間としての別のひとりの人間に対する評価(つまり、私見)なるものにあくまでもとどまることになるわけです。ですから、賃金という構成員の価値の上下を数値的に(つまり直接的に)あらわすものに関与可能なパラメータは入社年次と絶対年齢だけにならざるをえないのです。

それから、マネージャになると残業代がなくなって給料が下がる、という例の事態もここでは標準的な現象です。これが是正されることがないのは、まさに同じ人間でありながら他人に司令をくだす者は高潔な精神性を有していなければならないし、そもそもリーダーという役割をこなす者としては若輩者なのだから、就任当初はむしろ腰を低くあるべし、という暗黙の期待の顕れです。

こうしたことがあまりにきれいに成立しているので、そして、そうした場がもつ総合的なポテンシャルが、内包する様々な衝突による価値の対消滅、すなわち組織的非効率をもろともせずに極めて高い状態にあることがあまりにも明らかなので、今、私はすっかり安心しています。この30代の10年を欧米型に順応することでどうにか凌いできた私にとっては、欧米型では決して実現できない何かからのみ生じるプロダクトの性質というのが嫌でもわかります。任天堂のプロダクトには独特の風情がありますが、この風情は決して欧米型のスタイルからは生じてきません。それには確信があります。特定の一個人に還元不能な、すなわち名無しでありながら、同時に個人の技巧がここまで大胆かつ直接的に露出しているプロダクトを作り上げるのは、トップダウン式では絶対に無理です。そして、そのような独自性の露出が、あのような微妙なスペック(失礼!)のプロダクトをここまで手に取らせることになるのです。まったく笑いごとではなく、購入する人々は任天堂の製品たちからにじみ出る手触りやぬくもりに反応して購入しているのです。

そんなこんなでここは私にとってはまさに別天地で、毎日が驚きの連続です。どうも、同僚さんたちには私が面白がっている感覚がいまいち伝わっていない(なにが面白いのかわからない)みたいなのですが、まぁ、知ったことではありません。社員のみなさんが、企業活動と個人生活とを独特な様式で混淆させていること、そこから生じる悲喜こもごも、有象無象そのものがきわめて興味深いのです。

そうしたわけで、ここではワークライフバランスというのも、あるいはオンとオフという概念も、欧米で語られているそれとは異なる色彩を帯びることになるのは当然の帰結でしょう。なにしろ、会社生活も暮らしの一部なわけですから、切り離して語るということ自体がナンセンスです。

まとめると、任天堂は小さな町工場の息遣いを保ったまま、大規模かつ世界的な企業になった珍しい例だといえるでしょう。それが可能だったのは、ひとつには大きな商売をしているわりには規模が小さい状態を維持しているからですし、もうひとつは遊びという、生活の喜びなるものの主要な部分を占める領域を主たる活動分野としているからでしょう。もちろん、ビデオゲームという、そのような条件を満たす領域を発見し、発展させてきた、賢く熱心な方々が積み上げてきた業績というものもあります。いずれにせよ、そうした諸々の事情が、この場の独自性と高い付加価値の創出を可能にしているのです。


そうしたわけで、40代をこのような場で過ごすことができることを私はとても幸福だと感じていますし、ともすると、これまでのキャリアでもっとも大きな野心を抱くことさえできるだろうという予感には、年甲斐もなくわくわくしてさえいます。

私自身のやっていることは、(使うツールは見事に違うものの)これまでと驚くほど変わっていませんが、所属部署は、このクソ長く複雑に入り組んだ兵站においては、なんだかんだでちょうど真ん中に位置しているようです。ハードウェアからコンテンツまで一貫して作っている組織だと、アプリケーションの基礎部分というのは、どうやらほんとうに真ん中ということになるらしいんですな。今までずっと裏方やら下回りやらという役割でしたが、ここでは更に下(前工程)の方々がいるので、そこもたいへん新鮮です。

ただし、今はまだ下積みで、ほんとうにあいかわらずロクな成果を出せていませんが(ここで成果を出すのは、ほんとうに難しい)、いちおう個人的にはだんだんと馴染んできてはいるので、前進はしているなという感覚ももってはおります。なので、まずは焦らず(というよりは、積極的に足踏みをして)、村人としてのポジション取りのスキルを熟成させていこうと思います。

まぁ、いずれにせよ、ほんとうはほげほげを作っているのはふがふがという人で、その人はこういう人で、それだから、あるいはそれに加えてこれこれこういう経緯があって、結果としてここはこういうふうになっちゃっているんだよ、という個別具体的な話が、あんまり褒められたものではない事案も含めて、いちばん面白いのですが、いろいろあって、そうしたことを社外の方にお知らせしづらいのは悲しいことであります。多くの人の好奇の対象になるというのが、様々な意味でこれほどツラいことだというのは、正直いって、ここにくるまであまり認識できていませんでした。

ともかく、ここから生まれでてきたものについて、なんで、そこがそういうことになっているのかというのには、そこを担当している村人さん(たち)の個性と歴史がかならずあります。いいところもわるいところも、かっこいいところもださいところも、すべてに手触りがあり、そこに至る個人(たち)の物語があるのです。私もいずれ、そういう部分のひとつを担わせていただければな、と思っています。

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