10/5 「超ドQ」ツアーファイナルへ向けて
このたび、HPにてQ曲のリリースツアー「超ドQ」第一弾の日程を発表した。(※6/29追記/全日程を発表しました)。まだ発表されてないものも沢山あり、全部で3ヶ月くらいかけてぐるーっと各地をまわる。〆の10月5日(土)のツアーファイナル@渋谷WWWはワンマンでやる。2兆円のツアーファイナルと同じ場所で、より一層大きくなった僕の音楽を見てもらえるのだと思うと胸が高鳴る。お楽しみにどうぞ。
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さて今回、ツアーファイナルのチケット代を5,000円にした。僕の活動規模でこの価格は、相場に照らし合わせたら率直にいって高額だろうと思う。特に日頃からインディペンデントなライブに行き慣れてる方ほど、「なんでこの額?」と感じるかもしれないと思った。だからこの文章を書く。
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実は値段の設定方法はとてもシンプル。かかる経費をWWWのキャパ人数で割っただけ。じゃあそれだけでなぜ他の公演よりチケット代が高くなるのかというと、演奏者に払う報酬を相場より多くしているからだ。
Allrightの中に音楽レーベルを立ち上げて、僕もいろんな人に演奏や録音で助けてもらうようになり、自然と「報酬をどの程度お渡しすればよいだろうか?」ということを考えるようになった。身の回りのミュージシャンの相場感みたいなものはなんとなく感じるけど、これで本当によいのだろうか?と。
そこでAllrightのグラフィックデザインのお仕事を横目にみて参考にすることにした。写真やイラストなどなど、一緒に仕事をする作家さんへの報酬をどのようにしているかを眺めてみてわかったのは、音楽の現場でひとりの演奏者に払われる額の相場感は、どうやら衝撃的に安いらしい。実際、レーベル立ち上げ当初に僕が示した相場額には舞さんも唯さんも「え、これでみんな生きていけてるの?」と愕然としてた。(あくまでも僕が見てきた中で感じたことで、全部がそうかどうかはわからない。)
他人が長い年月をかけて培ってきた、その人にしかできない能力を発揮して、自分を感動させてくれる。そういう、これ以上なく素晴らしい行為に対してお渡しする対価の、その妥当な額とはいかほどなんだろうか。その問いに不変の正解はない。とにかく「自分はこうする」という態度を示すことが必要だと思い、自分なりに論理だてて肌感覚も織り込んで、報酬額を設定した。そうすると自然と相場よりは高額になった。
それと、のちのちアナウンスするけど今回のツアーファイナルでは演奏者の数がこれまでで一番多い。アルバムQ曲の世界をなるべく拡張していくためには客演できてくれたみなさんもできる限り参加してほしくて、調整中だ。
以上のことをざっくりまとめるとつまり、①そもそも関わってもらう人の数が多く②そのお礼として渡したい報酬の額も相場とは別の独自ルールで設定し③それを普通にチケット代に反映すると5,000円になりました。ということです。
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「な〜んで普通にできないかな!」これはradioDTMに出演した際にパーソナリティのナウさんが、「Q曲」のジャケットを初めて見て、一般の人の感覚を代弁したテイの表現。すごく巧みに言葉にしてくれて感動した。(前編と後編どちらもぜひ聞いてほしい)。
確かに、ジャケットにしてもこういう値段設定にしても「いや普通に(相場通りに)やればいいじゃん」「なんでわざわざややこしくしちゃうの」と、やきもき感じる人は本当にたくさんいると思う。
これはほかの取材とかでも発言したことだけど、僕は奇をてらったり嫌味なカウンターをしている訳じゃない。僕の欲求にしたがって思い切りストレートを投げると自然とこうなるんだ。
僕は「みんながやってるから」という理由づけで行動することを、自分の中から丁寧になくしていった。それはたとえば、専用クッションを買ってあげたのにそこでは寝てくれない猫、とか、おもちゃを買ってあげたのに思惑どおりには遊んでくれない幼児、とかと同じようなこと。彼らは奇をてらったり嫌味でそんなことをしているだろうか?そうじゃないだろう。素晴らしく自由で美しいと僕はいつも感動してしまう。
つまり、自分の嗅覚で自分だけの心地よさを探し出し、自分の足をつかって、自分の考えた道順で進んでいく。そうするとだいたい失敗して怪我をする。もしかしたら一発で死んで終わりかもしれないけど、幸運にも生き延びたときは、じゃあ次どうすればいいかというヒントが見つかる。それをなんどもなんども繰り返す。
そういうことを経て生みだされたものこそ、僕が深く感動できる"オリジナル"な表現だ。相場感覚を意識した表面の整えみたいなものの、さらに奥にあるそういう部分を意識して観察するようになったのは、Allrightの表現がまさにそういった孤独で静かな闘いをしているのを目の当たりにしたから。美しいと感じたから自分でも取り入れていったし、それでライブも音もぐんぐんよくなったから自分なりの手応えもある。
しかしこれは「とにかくみんなと同じようにすること」という教育を通過した身からいうと、はじめは本当に怖いことでもあった。幼少期から同調圧力にかなり反発してきた方だと自認していた僕でも、反発するというやり方でその規範意識を内面に取り込んでいたようで、その呪いを解いていくのにはとても苦労した。正直、今だって恐怖感はゼロになったわけじゃない。それでも僕はやり続ける。まず自分の考えをすべて決めて、それを公にして、あなたはどう思うか?を問いかけつづける。僕の表現をより面白く強度の高いものにするための、孤独で静かな闘いの一つなのだ。
一度知ってしまったらこの生き方は、本当にわかりやすくて、おもしろくて、気持ちがいいよ。無駄なストレスがどんどんなくなっていく。うまく生きていればその先でまた、僕の新しい表現が生まれてくるんだろう。
一息に書き綴ってきたけれど、そういう意味で10月5日はWWWにはだれも見たことない新しい世界が立ち現れるだろうと思う。少しでもピンとくる人、気になる人は、ぜったい見逃さないでほしい。よろしくお願いします。
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