私がえらそうになるのは。
noteを書くようになってからまだ10日も経っておりませんが。
詩のような文章や、ちょっとした思いつきを書いていると、
芸能人や、偉い人のような、
意見をたくさんの人に読まれる人のような気分で、
とうとうと書いている自分がいる。
当然、私の言葉は受け入れられる・評価される、みたいな。
どうしてだろうと考えて、出た答え。
本名じゃないから?
こう書くとわかってしまうが、
きよはら・はるこはペンネーム。
本名は清で始まらなければ、子で終わりもしない。
だから何を書いても本名の私には繋がらない。
何を書いても、本名の私は評価されない。
賛同はされないが、けなされもしない。
それがとてつもなく、楽なのだ。
本名ではないというだけで、何を書いてもいい気になる。
それは、本名だと何を書いてもいい気にならない、ということ。
自分の言葉の後に、by 〇〇(本名)とつくだけで、
責任や、縛りがむくむくと出てくる気がするのだ。
自由だから何でも言える。
自由だから守られている。
自由なのに守られている。
匿名がお得に見えてくる。
これって、SNSだと誹謗中傷がひどくなる、という話につながる気がする。
どんっっなに傷つけても、自分に痛みは帰ってこない。
同じ理由で気が楽になっている自分。
誰かを傷つけることは、書かないように注意。
書いていませんように。これからも書きませんように。
「誰かを傷つけない」選択も、自分の自由だから、この自由を守りたい。
しゃぼん玉の泡みたいに考えは浮かんでは割れるけれど、浮かんでいたのは本当のことで、だから浮かんでいた泡のことを書きたい。そんな雑記帳です。