【第4話】感情の軽視
数ヶ月前、19歳の子たちを引き連れてカンボジアを訪れたとき、彼らを羨ましく思うことがあった。
それは、目の前で起こった対象に対して純粋に心を動かせたり、美しいものを美しいと捉えられたりできることだった。
僕も数年前は同じような感じだった。例えば東南アジアで貧しい人を見かけた時には、シンプルにかわいそうだなぁと思って、それはそれは心を痛め、夜はなかなか寝れなかった。
もちろん今でも同じような状況に遭遇したとき、同じように感じる。悲しい出来事に対しては悲しくなるし、辛い出来事には同情する。
しかし、それ以上に「とはいえ、だんだんと社会が進展していってこの問題は次第に解決していくのだろうなぁ」と思ってみたり、「どうやったらこれらの問題が解決するのだろうか?」と感情よりも先に頭で考えてしまうことが増えたような気がする。
これは、もしかしたら成長であり、自分が大人になっている証なのかもしれない。しかし、どこか人間として寂しいなぁとも感じる。
そんなことを思いながら、もし仮に、もっと対象を心で捉え、感情がゆすぶられていたら、もっと対象に関して深く調べていただろうし、何かしらのアクションをとれていたのかもしれないと思った。
頭で先に考えてしまうからこそ、対象への知識や愛が深まらないのかもしれないなぁとも思った。
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大人になるにつれて、感情よりも頭で考えることが先に出てしまうということは度々ある。
例えば「やりたいこと」
ポジティブな事柄に対してもそうだ。
「やってみたいからやる」そんなシンプルなことが、だんだん大人になるにつれて難しくなっていく。純粋な気持ち・感情よりも先に、頭で対象を捉えてしまう。
そして頭で捉えた際には、できなさそうな理由が思い浮かび、チャレンジを躊躇う。
また、このSNSが発展した世の中では、ある程度やりたいことを達成した姿に関しても、なんとなく他人の情報から想像できてしまい、上限をやる前から想定してしまいうるが故に、テンションが下がり、取り組まなくなることもあるだろう。
そんな風にして、僕たちはポジティブなことですら、頭を先に使うことによって興味をなくしたり、諦めたりしてしまう。
僕たちは「ゆとり世代」だったり、「悟り世代」とよく言われる。
今、僕たちに必要なことは、意外にも感情を取り戻す作業、”美しいものを美しい”と対象を純粋に捉える姿勢なのかもしれない。
最近、心が動いたものはなんですか?
積極的に心を動かしてみませんか?
んじゃあね。
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