言語

【第3話】言語化における盲点

数年前、一緒にプロジェクトをやっていたメンバーの中に、すぐに難しい言葉を使いたがるやつがいた。そいつはものすごく勉強家で、読んだ本で出会った言葉はすぐに会話で使いたがるようなやつだった。

僕は、そいつと喋っている時、いつも「凄いなぁ〜」と感じつつ、どこかで「惜しいなぁ」とも思っていた。

彼からなぜ惜しさを感じたのかというと、すぐに言語化してしまうことによって、言語化した内容・言葉への追求機会を逃してしまっているような気がしたからだ。

ニュアンスでいうと、言葉の定義・内容が脳内でまとまっていないままアウトプットしてしまっていることに不安を感じたのだと思う。

関係ないかもしれないが、ネットビジネスなどをやっている人に不安を感じてしまうのもこの点だ。彼らは巧みに、「Webマーケティングが〜〜〜」などとカタカナ語を使うが、そんな彼らに「では、そのWebマーケティングってどういうことをやるんですか?」と聞いてみると、満足した返答はあまり返ってこないことが多い。

僕らは難しい概念・内容に出会ったとき、それを一言で表す言葉に逃げる習性があるのだと思う。そして、その言葉を使ってみると、あたかも自分はその内容を全て分かった気にもなるのだと思う。

薄い言語化は、分かっていない自分を肯定する逃げなのかもしれない。

では、内容を本当の意味で理解するとはどういうことなのだろうか?

僕が思うに、本当に理解している人は、難しい内容を簡単な言葉で、自分の言葉で話すことができる人だと思う。

理解⇨一般的な言語化⇨自分の言葉への変換

この一連の流れを自然に行っている人は本当に凄い人だと思う。そして、そういった人は、同じ内容に関しても相手の知識レベルに合わせて、言葉を使い分けることができる。

自分の言葉が相手に理解されない。

そういった時、つい僕たちは相手のせいにしてしまったりする。しかし、それは相手の知識レベルが低いのではなく、相手に合わせて喋ることができない自分の理解度がまだまだ低いのかもしれない。

そんなことを思った、12:15分。

自分の言葉に落とす習慣化つけていきたいなぁ。

んじゃあね。

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