見出し画像

アート ド素人が本6冊から学んだ。

ARTなんて観て感じるものだろ。なんて言ってても感じれなかったので
学んでみました。

伝達法としては古代、文字より先に絵があった。一方、我々が美術館で観る絵はむしろ、聖書の文章を絵に変換させたという点で真逆。
1000ページの聖書より1枚の絵の方が、思想は遍く広がるから、結局伝達法なわけですな。

あれ?待てよ。。
天使とか女神とか見た事ないよね。嘘を書いてはイカンでしょってことで、物体をありのままに(写真のように)描く写実主義が台頭する。
いやいやでも、ありのままと俺が見えてる印象は違うんだよなって、線に曖昧さのある印象派が出てきたり。

雨を線として描き、海波を豪快に描き、夕焼けに映える紅い山を描いた、
ありのままというか人の感覚が強く反映された絵つまりジャポニズムが、印象派に影響してるってのはなんだか嬉しい。

それまで人物や女神を描く西洋画と、山や海など風景画を描く東洋画には、おそらく「自然は神の創造物」と考えるか「自然こそが神そのもの」と考えるかの違いがあるのかもしれないと。

絵画はつまるところ、3次元を2次元に落とし込むからどうしても溝がある。この二つの接近と離縁の連続。陰影法や遠近法で接近したかと思えば、
カンディンスキーは「対象の描写は、絵画の美しさの邪魔になる」とかいって、リアリズムよりも視覚とは異なる感覚を大事にする。
ゴーギャンも「空想こそがアートを作る」とか。

3次元にするとつまりはジオラマとかプラモデルになる。
2次元に落とし込むからこそ、そのズレが歴史の中でずーーっとここまで人の思考を掻き立てていったのでは。

アートは、画家だけでは成立しない。それを認める見識者もそうだし、それを潜在的にもとめてる社会的空気があるんだと思う。むしろ、社会的に求めているのだけど、皆がそれを表現できていない故にその欲求にすら気づいていない、という瞬間に芸術家がそれをアートとして表現した時に、社会的な欲求が爆発するのだと思う。

ほんの少し話は逸れるが、いまエガちゃんや出川哲郎が昔の嫌われキャラから一変して人気なのは、社会的空気がそれを待っていたのだとも考えられる。実はいい人、ネット住民には人気だった人だもんね

個人的に好きな絵はモネの『パラソルをさす女』。

画像1

あとはマレーヴィチの『黒の正方体』。

画像2

この絵が時代によっては「こんなの作品じゃない、あほか」と言われても仕方ないと思う。でも、絵画の境界線みたいなもんの再定義を問いかけてるように思えてしかたなくてサ。

ロシアいるときに美術館観にいけばよかったぁ。
落ち着いたら、パリのルーブルいこ。

バンクシーを巡る旅もいいな。