声劇用フリー台本「聖木の森」4

■4
◆ルチア(独白)
守り手の真実を聞いた、あの夜から…。
半年という限りの中で、時間だけはその間も平等であり続けた。
初めの頃はそれでも、あの人自身が言う『残り』を感じることはなかった。
今までと同じ、癒し手の術を教わり続ける日々。
余命なんてものは思い過ごしで、日常はこのまま日常として続いてくれるんじゃないかと。
私は、そんな風に錯覚して、願っている。
…でも、三カ月を過ぎた頃。
 
◆ルチア
マスター…起きてくださいよ、マスター…。
 
◆シルヴェストロ
…ああ、ルチア。
私は…寝ていたか?
 
◆ルチア
ええ。…いい、陽気ですから…。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、眠っている時間が多くなった。
朝も、昼も…それまで、呼びかけたらすぐ応じてくれていた声が…。
相槌を打ち、私の名前を呼ぶまで…ほんの少し、時間がいるようになっていた。
…四カ月が経った頃。
 
◆ルチア
マスター、お食事は…。
 
◆シルヴェストロ
ああ…いや、すまない。
腹は空いてるはずだが、なぜだろうな…。
…なぜ、食えないのだろうな。
 
◆ルチア
…もう。
そんなこと言って、ホントは「私を太らせよう」なんて考えじゃないですか?
 
◆シルヴェストロ
まだまだ育ちざかりなのだから。
…多少、太っているくらいが健康というものだ。
 
◆ルチア
大人って、いつもそうなんですから…ふふっ。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、あまり食事を取らなくなった。
ほんの一口か二口ほどスープを飲んでくれる日があれば、全く口に運べない日も。
…だけど、あの人は「食べたくない」とは言わないでいてくれる。
私の師で、あり続けてくれている。
だから私も、いつものように軽口に頼った。
いつもなら応じてくれていた笑い声は、どこか力なく口元に微笑を浮かべるだけで…。
だから、私が代わりに笑う。
…五カ月が、過ぎた頃。
 
◆ルチア
…無理しないでください、マスター。
起きなくても、ほら…私、読み書きは出来ますし。
メモを取ったりとか…。
そういう授業でも、平気ですから。
 
◆シルヴェストロ
ああ…ああ、そうだな。
…ルチア。
 
◆ルチア
はい、マスター。
 
◆シルヴェストロ
お前は…。
…いいや、忘れてくれ。
 
◆ルチア
…はい、マスター。
 
◆ルチア(独白)
あの人は、あまりベッドから起きなくなった。
目覚めている間も、ほとんど上体を起こすだけで過ごしている。
それでも授業をしていくれている。
私の師を、続けてくれている。
…けれど時々、呪いを収めたあの人の目は、森の方を向いていた。
そしてもうじき、半年が経つという頃…。
 
◆ルチア
…何か、ないんでしょうか。
 
◆シルヴェストロ
…なんだね、突然。
お前…らしくも、ない。
 
◆ルチア
だって私…!
…私、マスターにはここにいて欲しいです。
私だって癒し手になるんだから、だったら最初はマスターを…。
 
◆シルヴェストロ
これは…病では、ないんだよ。
癒し手は、万能ではない…その望みは、驕りになる。
 
◆ルチア
驕りだっていいですよ…!
傲慢でも何でも…マスターがいてくれたら、それで…っ。
 
◆シルヴェストロ
いるとも…私は、お前の望むところに…いつでも、いるよ。
ああ…お前は、良い弟子だ…ルチア。
 
◆ルチア(独白)
そう言って、あの人はまた眠りにつく。
起きていられる時間は、今ではほとんどない。
私は…本を相手に授業を受けるだけになっていた。
…何かないのだろうか。
あの人の蔵書を開く度、私はいつしか精霊の話を目で追い続けている。
世代交代されてゆく守り手。
それ自体は絶対的なことわりであり、覆しようのない法則だ。
…なのに私は思ってしまった。
その世代がなくなれば…精霊が最も求める契約を結んだら、どうなるだろう…。
 
◆シルヴェストロ
…ルチア?
 
◆ルチア
…っ!
は、はいっ、どうしました?
 
◆シルヴェストロ
どうした、ではないよ…。
お前こそどこに…ああ、しかし…今日だったか?
湖畔の、あの魔女のところに…。
 
◆ルチア
いえその…あはは、違いますよ、もう…。
少し買い出しに行くだけです。
ああ、それからこれ…持っててくださいね。
 
◆シルヴェストロ
うん…?
これは…護符かね、お前の…?
出かけるなら、お前にこそ…。
 
◆ルチア
教わったのは、薬の作り方だけじゃないんですよ?
幸運にも、いい師匠に恵まれましたので。
身を守るくらい出来ますし、今それが必要なのは、マスターの方ですよ?
 
◆シルヴェストロ
ああ…ふっ、まったく…生意気を言う。
…だが、気をつけなさい。
 
◆ルチア
ええ、わかってます。
…マスター。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
私…実はマスターに、二回も救ってもらったんです。
ひとつは、私を教えてくれたこと。
 
◆シルヴェストロ
ほう…? もうひとつは?
 
◆ルチア
…私に、憧れを与えてくれたこと。
 
◆シルヴェストロ
ふむ…他に、いくらでもいるだろうに…憧れなど。
変わり者だな、お前は…。
 
◆ルチア
ええ…ふふっ、昔からこうなんです。
でも…マスターは、きっと否定するんでしょうけど…。
 
◆シルヴェストロ
うん?
 
◆ルチア
一番の変わり者はマスターだって、知ってるんですよ?
 
◆シルヴェストロ
否定など、せんよ…。
私は…偏屈な世捨て人に、すぎん。
 
◆ルチア
…心は癒し手のままだと、わかってます。
助けてくれた日のまま…。
 
◆シルヴェストロ
なに…?
 
◆ルチア
いいえ…ふふっ、独り言です。
じゃあ、マスター…行ってきます。
 
◆シルヴェストロ
ああ…あまり、遅くならないように。
 
◆ルチア
ふふっ…はい、マスター・シルヴェストロ。
 
◆ルチア(独白)
小屋を出た私は、少し震えそうになる足を無理やり進めた。
いくら決意しても、きっと心が怯えてしまうんだろう。
それとも、私に勇気が足りないだけか。
あの人に嘘をついた。
私は癒し手になりたかった。
あの人を師として。
最初は、あの人のように。
今は、あの人のために。
全部終わったら、私は破門されるかもしれない。
もう二度と、あの人は口をきいてくれないかもしれない。
…だけどそんな未来でも、あの人は生きていてくれる。
ちっぽけな私の、ひとつくらいの望みなら…。
無慈悲な精霊も聞き届けてくれそうな、そんな気がした。
もし夢が叶って、癒し手になれたとしたら…。
私が誰より救いたいのは…やっぱり、私の恩人しかいなかった。
だから私は、森にいる。
小屋の外で最初に呼ばれた、あの日から。
折に触れて囁いてきた、聖木の森に。
 
◆ルチア
精霊の、呼び声…。
…来ました、よ。
あなたたちが、いつも呼んでる通り…私、ここに来ましたよ…!
あなたたちに…加わります。
精霊に…でも!
…でも、ひとつだけ…条件があります。
マスターは…サー・シルヴェストロは、解放して。
守り手も、この森のことも…全部、私が背負うから…!
あの人には、静かな残りを送らせてあげて。
 
◆ルチア(独白)
…柊が、囁いていた。
森の中で懇願する私の声へ、それが彼らの反応だったのか。
不意に寒気を覚えた。
足のつま先から這い上がる、奇妙な感覚を…。
見えない誰かに抱擁され、私を作っていたものが別の何かに変わってゆく。
誰でもない誰かに…ここではないどこかに…。
それが精霊になるということだと、うっすら自覚した時…。
 
◆ルチア
ああ…マスターに、会いたいな…。
 
◆ルチア(独白)
どこか遠くで、自分の声が聞こえた気がした。
 
◆場面転換。シルヴェストロの小屋。
◆シルヴェストロ
ルチア…? もう戻って…。
 
◆シルヴェストロ(独白)
戻って来たのか、と。
あの娘への呼びかけを、それ以上、紡ぐことなど出来なかった。
まぶたの下に、光を感じる。
いやそれどころか、手探りに触れてみると、とうに無くしたはずの眼球がそこにあった。
昼下がりの…住み慣れた小屋の、ありふれた光景。
なぜ私に視力が戻ったのか。
なぜ私の体には、また力を感じるのか。
それら一切合切に驚くでも、ましてや答えを探すわけでもなく…。
私は、ただ呆然と…ひとりの娘を目で探した。
 
◆シルヴェストロ
ルチア…どこだ…?
 
◆シルヴェストロ(独白)
この小屋は、果たしてこんなにも広かっただろうか。
視線を巡らせば、あの娘はそのうち姿を見せてくれるに違いない。
そんな期待とは裏腹に、守り手の小屋は虚しく西日を差し込むばかりで…。
ついぞ彼女を見つけられなかった私は、代わりに枕元へ置かれた護符に気付いた。
あの娘が置いて行った、あの娘の護符。
探したところで、見つかるはずがなかったのだ。
私は…あの娘の顔さえ、知らないままだったのだから。

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