『賢さ』に必要なことを考えてみた:その2

よく物事を俯瞰的に見ろ、なんて表現がなされますが、一体全体どういうことなんでしょう。俯瞰。はじめて見る単語、熟語はそれを構成している文字を見るとなんとなくわかるものですけど、"俯"も"瞰"もパッと見ただけでは意味が取れず、かろうじて瞰という字の中に『目』というパーツがあるためにそれ関係なんじゃないの?と予想できる程度。もっとわかりやすく言えないのかしら。

俯瞰と似ている、鳥瞰という言葉があります。あれ?さっきと比べてわかりやすい。ご丁寧に、鳥、目という並びになっていますよね。鳥瞰図というのは、上空から斜め下に見下ろす形で作られた地図のことを言うわけですが、つまり鳥さんが眺めてる風、ということでしょうか。

こんなことを長々書かなくても、俯瞰と言われれば多くの人はわかるだろうけど、あらためて考えるとすごいですよね。上から全体像を見下ろせって。はぁ?鳥じゃないんだからできるわけないでしょうが。レッドブル飲んで翼でも生やせってか。

視野を広くしたい……

"俯瞰的に" も、"視野を広く" も、物理的な話、視力とかの身体能力そのものを指してるわけじゃないのは十分理解していますが、具体的にどうすればいいんでしょうか。

なかなか浮かばなかったので、『視野が狭い』とはどのような状態なのかということを考えてみました。それは周りが見えてないと言い換えることもできるだろうし、自分中心である、と言ってもいいかもしれない。

見る、という表現をするとあまりにも抽象的すぎますが、自分の中にある価値基準となるもの―個人的には"ものさし"と呼んでいます―に当てはめて考える、という表現をするとちょっとわかりやすいと思います。

一番単純に言えば、好きか、嫌いか。正しいか、正しくないか。やってみたいか、やりたくないか。実際はもっと複雑で、いくつものバロメータが存在しているわけだけど。これらの指標でどこに当てはまるかを総合的に合わせた結果が、そのものに対する『自分の意見』なんだと思う。

例えばこの意見に賛同するかしないかとか、一番最初にやるべきことは何か、とか。その上で重要なのが、これはあくまで自分のものさしで計った結果だということだと思うんです。

自分はピーマン嫌いだけど、好きな人もいる。これだけ単純ならばそのことをちゃんと認識できるし、尊重することができるはず。自分は積極的には食べないけど、好きで毎日食べる人がいてもどうぞご勝手に、という感じですよね。

ところが物事によってはそのこと(自分とは違う価値基準の人が存在する)ということを忘れ、単に『自分と意見が違う』とだけ見てしまうのは、好ましいとは言えないと思うんです。積極的にかかわる必要もないけど、価値観を否定したり、ましてや攻撃するっていうのはやっちゃいけないと思う。

人知を越えた存在が登場するフィクションなどで、「人は理解を超えたものを恐れ、そして排除しようとする」と言うような言葉を耳にしますが、それは相手が人間であっても同じになってしまう人がいて。自分が理解できない価値観だからと言って、なんなんだよ、ってことです。地球上にこれだけ多くの人間んが生活してて、考え方が違うの当たり前じゃないかよ。だけどその当たり前が見えなくなってしまう。

僕は読書をするときに、このことを強く意識しています。本。それは自分とは違う価値観を知るためにかなり役立ってくれてる気がします。例えば一般的な小説であっても、いろいろな性格の登場人物が登場し、それぞれに考え方も違う。自分に似てるというキャラクタがいる一方で、まったく別のタイプもいますよね。ページをめくる中で、ああこういう考え方があるのか、こういうものさしがあるのかという新しい発見がある。それまでの自分の持っていたものよりも強く惹かれて、大きく影響されることもあります。

でも、それ以上に重要なのは人と関わることだと思う。先ほども書いた通り、これだけ多くの人間がいるわけだから、自分でもは思いもよらない価値観というものがあるんですよね。自分とおんなじ意見を持った人と語り合ったり、賛同してくれる人がいるというのもとても気持ち良いことだと思うんですけど、それと同じくらい、"ものさしのコレクション"が増えていくのも楽しいと、僕はそう思ってます。いやホント、はぁー、そういう風に感じるのか、見えるのかって新鮮な驚きがたまらないんだ。もっとおしゃべりしたくなる。


ちょっと話がずれてきた気がしますが、視野を広げるということはつまり、自分の視点以外の、別の誰かからの視点でも物事を見通せるようにするということなのかと思うのです。別の視点から、もよく耳にする表現ですが、それってつまりは自分じゃない誰かの目で見るということなんじゃないかと。自分とは価値観が違う。自分とは立場が違う。自分とは好みが違う。一番最初に感じた、正直な自分の感覚をいったん置いて、別人だったらどう感じるかを感がて見る。そうすると意外なことに気がついたり、見落としていることを見つけることができる。より良い答えが出せることもあるだろうし、最初の自分の意見に改めて確信を持てることも。

こうやって言葉にすると簡単そうですが、いつでも上手くできるわけじゃないのが難しいところですよね。とは言え、意識してやっているうちにだんだんと自然とそういうクセがついてくればいつのか無意識にできるようになって、視野が広い人間になることができる。そう信じてます。


もし次回があるなら、続く……※さすがに2回で終わりはないと思うけど。



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