優しさとは賢さのことじゃないのか?

前回から時間が空いてしまいましたが、「僕の中での賢さとはいったい何だろうか考えてみた」第3弾です。

つい最近、新しいクイズ番組が始まりました。『優しい人なら解けるクイズ』というキャッチと共に、あまり知られていない、人の"やさしさ"を感じさせる工夫がされた商品やサービスをクイズ形式で紹介していくというもの。

この手の番組は好きで時間が許す限り見たり、録画して正解の部分だけじっくりみて『なるほどねー』なんて感心したりするわけですが。ふと、これらのものは、無駄知識、ひらめき、日本人の3割しか知らないこと。別のテーマで作られた番組で紹介されてもおかしくないなと思ったのです。

ある人について「優しいひとだ」と形容する場合、いろいろなイメージを含むと思いますが、ひとつには "人の気持ちがわかる" ということではないかと僕は感じています。 その時、相手がどのような状況におかれ、どのような気持ちであるのか。あるいはどんなことを期待しているのか。それがわかった上で望ましい行動ができる人を、優しいひとと呼ぶのではないでしょうか。

これはよく言われる『相手の立場になって考える』ということでもありますよね。何に困ってるのかな。それを解決するために自分は何ができるのかな。という非常に単純なことなので、いちいち「立場」とかは意識しないと思いますが、そもそも人が困ってそうな瞬間をちゃんと認識したり、彼/彼女が本当に望んでいるものを察知できるというのは相手の視点にならないとできないこと。前回書いたように自分という視点だけで物事を見ていたらダメなんです。

と、同時にもう一つ考えたのは『想像力』ということ。僕はかねてより『賢さ=想像力』と思って生きてきましたが、この三文字の言葉が持つイメージはあまりにも大きく、前述の「人の立場になって考える力」を内包してしまうだけでなく「共感する」という概念にも通じていると言えると考えています。

金八先生の主題歌としても、卒業ソングとしても有名な『贈る言葉』の歌詞に

人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから

というものがありますが、もちろん相手と同じような苦しみ、困難を経験していればよりその気持ちに寄り添いやすいかもしれません。でも想像力を使い、相手の立場になって考えることでも、優しい行動をとることはできるのです。

もちろん、その行動の出発点が相手を思いやり、自分なりに考えた最善の方法であったとしても、結果として嫌な思いをさせてしまうこともあると思います。その場合は『優しい行動』とは言えませんよね。これは『きっとこういう気持ちなのではないか』がずれていたり、『相手にとって望ましい行動』という予想が間違っていたということ。頭の中にいろいろな選択肢を浮かべることができて、一番正解に近いものが選べるかどうか。そう思うと、やっぱり優しくあるためには賢くなくちゃいけないとのでは感じるわけです。

重要なのは失敗してしまった時で、『貴方のためを思ってやったのに』なんて言ってしまったら、ただの自己満足です。そこから成長しなければいけない。前回触れたように、自分じゃない他の誰かの価値観、"ものさし"をコレクションしていくように、(1)こういう状況の時 (2) どうされたら/言われたら (3) 嬉しい、あるいは悲しい etc..というさまざまなパターンを経験し学習していくことで より正解を選びやすくなる。そんな気がします。

頭いいんだったら人の気持ちくらいわかって当然ですよね。どっちも一朝一夕に培える能力ではありませんが、これからも意識して生活していきたいと思います。


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