『賢さ』っていったいなんだろう。2015年現在の僕なりに思うこと。

僕は小さい頃からずっと、"賢さ"に憧れのようなものを抱いてきました。 賢い人、頭のいい人。 そういう存在になりたいと思ってきたのです。

――それは数年前に二十歳という一つの節目をこえて今もなお、変わらずに旨の中にあるのだけれど。 最近になってようやくあることに気づいた。

賢いと思われたいということと、賢くありたいと思うことは別なのだと。 

僕の個人的な価値観ではあるものの、ひとりの人間が幸せだと感じるための条件の一つに、だれかに認められること" があるのではないかなと思っていて。誰しもどこかで認められたいという欲求があって、 それを満たされると、嬉しくなる。

だから僕の感じてたことはどちらかと言えば『賢く見られたい』という、ひどく俗っぽい感情だったんだなぁと。はたと気がついたわけです。でもそれで別になんて卑しいんだとか、自分を卑下したり、自己嫌悪に陥るわけじゃない。どんな下心があろうととも、賢くなろうとしていたことには違いはないのだから。女性に持てたくて難関大学を目指す人間がいたって言い。僕はそう思います。

話がずれてしまったけれど、そんな自分を見つめなおす一方で、どうしたら賢くなるのか、改めて考えてみたくなったのです。よく目標をゴールだったり、通過点だったりに例えることがありますが、重要なのは、"ある地点"だと捉えていることだと思うんです。人間の能力はゲームみたいに数値化されてるわけじゃないので、具体的に「かしこさが80を超えることが目標」なんて言えないものの、自分の思う『こういう状態になりたいな』というのを決めることはできる。その上でそうなるためにはどうしたらいいのかを考えていけば、気がついたらアインシュタインやダヴィンチもびっくりの天才になっているかもしれないじゃないですか。

ということで、これから少しずつ、僕自身の思う『賢さ』について、むしろ、"賢い"という状態になるにはどのような力を身につければいいのか、培っていければいいのだろうかということをメモのように書いていければいいなと思っています。

こんな風に書いてしまえば、これから数回は確実にこのテーマについて何かを書かなければいけないし、タイトルに2015とつけた以上、今年中にはなんらかの形で締めないといけないわけで。意気揚々とnoteを始めたものの、例によって持て余してる今この瞬間を打開していくためにも、頑張れ僕。

知識を増やすことは、賢さへの近道か。

人が『賢い、頭のいい』という評価を聞いてイメージするのは、やっぱり色々なことを知っている人、あるいは偏差値の高い学校を出た人というのが多いと思うのですが、知識だけが賢さという数値を左右するものなのでしょうか。

とっくにご存じなんだろ?

知識こそパワー。学校のお勉強から雑学や豆知識、さらには車の修理方法から美味しい煮物の作り方まで。知っているから強い。知っているから偉い。そんな単純な話だったら、わざわざこんな風に考えたりしない。もしかしたらそうなのかもしれないけど、僕はそれだけじゃダメだと考える。

博覧強記、生き字引。かねてより僕が憧れてきた言葉たち。知識があって、それが必要な時にさっと出てくる。簡単にいうけど、非常に難しいと思う。クイズ出されて、知ってるから答えられた。そんな話じゃないんです。

僕は以前から、頭の中にはたくさんの引き出しがあると考えていて。主にスティーブンキングの小説や、シャーロックホームズの言う『記憶の宮殿』なんかに影響されてるのだろうけど。何かを思い出すという行為は、その引き出しの中からお目当てのものを取り出すというイメージがあるのです。

俗に記憶力がいいとされる人は、どこに何がしまってあるのかわかっていて、普通の人がするよりも早く、さっと見つけ出すことができるのでしょう。世の中にはたくさんの記憶術と呼ばれるものがあったり、記憶力そのもののを鍛えていくこともできるのだと思います。でも僕はこう考えるのです。知識は、使ってこそ知識だと。

日常生活の中で、どこにしまったかわからないという状況はたいていが最後に触ってからかなりの時間が経過した時ですよね。知識というものも同じで、折角覚えてもそれでおしまいにしてしまったら、引き出しの奥の方で眠ってるだけで全然活用されないんじゃないかと。

豆知識を誰かれ構わず披露すべきとか、「知ってる?」から始まって、延々語りだせなんて言ってるわけじゃないです。それじゃあ、知識はひけらかしてこそ知識になってしまう。

覚えたことを再び確認する、という作業が必要じゃないかと思うんですよね。記憶が定着するメカニズムを用いた、効果的な繰り返しのスケジュールだったり、本は7回読むと言い、なんてことは良く言われてると思います。

例えば書籍を読んで今までにない価値観や、初めて見る単語に出会ったら、ノートに書いておくんです。そしてそれを一定のスパンで見返す。頭の中で例文を一つ作ってみる。本当は日常生活で使えればいいのですが、「覚えたての単語を使いたくてしょうがない」のは中学校で卒業したので、グッと我慢。

知ってる英単語の数が多ければ英語検定に受かるわけじゃないのと同様、ただ増やせばいいってものじゃないですが、こういったノートが少しずつ埋まっていくと、知識が増えてるな、これを全部使いこなせるようになったらまた少し「賢さ」に近づくな。そう思って、少しだけやる気が出るのです。

最後に一つ、今日ノートに書いた言葉を載せておきます。

言を俟たない:言う必要がないほどわかりきっていること

キーボードを打ち込みながら何度も『何がしたいのだろうか』という思いがよぎりましたが、現時点での自分の価値観をこうやって残しておくのも、未来の僕自身のためにはなるだろうと開き直って、次回も続けていければと思います。

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