生きてりゃOK



読んでみようと思ってくれて
ありがとうございます。


この思いを成仏させたくて記事にしました。
飽きたら閉じちゃってね。





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2020年 9月1日

2年前の昨日。



妹がこの世を去りました。
享年30歳。子宮体がんでした。






三姉妹の末っ子の妹

ハイパーわがままの甘ったれで
幼少期は私と毎日けんか大フィーバーでした。

そんなクソわがままな妹が
治療にめちゃくちゃ前向きでね。


家族以外には明かさず完治させて
しれっと日常生活に戻る!と

そんな感じでひっそり歯食いしばって
頑張ってました


抗がん剤治療中、弱音らしい弱音は吐かずで
(副作用の抜け毛も「落ち武者~」ってSNOWで遊んでた)



違う抗がん剤の治療をはじめるとき
「ライブいけなくなるのは無理」とかゴネるし

入院生活は姉二人の差し入れを楽しみにしてて
「今度○○買ってきて」と注文増えてくし

退院したら治療を頑張ったご褒美で
「ディズニーお泊りー!」なんてウキウキして


ずっとずっといつも通りに近い妹でした。




コロナ禍真っ只中だったけど
付き添い入院が特別に認められ
最期の2週間くらいは姉と交互で病院に出入りして

アイスを食べながら
金ローの借りぐらしのアリエッティを一緒に見たり
初めて二人きりのお泊り大会をしました。


その時、見回りにきた主治医の先生が
「お姉さん、何日も泊まってたら疲れちゃうよ。付き添いなくても、もう大丈夫じゃない?」

この意見に対して、即座に妹が
「家で家事とか子育てもあるから、逆に息抜きになってる(はず)」


と強めの論破をしてた時には
こいつやるなあ!と感心してしまったんです。




これは普段決してすることがない
私たち姉への甘えで

看護師さんにもらしてた
「寝ることがこわい」
不安を軽くするためのお泊りだったんだなと


あとになって気が付きました。




当然だけど

辛くないわけないし
苦しくないわけないんですよ


絶対、ひとりの時は泣いてたと思うんですよ




その辛さを
一人で背負わせてしまったのかと思うと


涙が止まらなくなるんですよ

もっと寄り添うことはできたのではないかと。
弱音を吐いてもらえる関係ではなかったのかと。



コロナ禍真っ只中ということもあり

体が動くうちにやりたかったこと
好きなことを好きなだけやるための自由も


何もなくて。




2年経った今もあの時を鮮明に思い出すし
秒で泣けるのです。




悲しい気持ちはなくならないし
時を戻してやり直すことは出来ないけど

やり残したことがあるのに
達成できない後悔の念


この数を可能な限り減らさねばと
勝手な使命感を感じて

ひとつ目標だった”飲食店経営”


COTORIDOを翌年OPENしました。




私もやり残したことあるんだ!てへ☆

なんて、私が死んだ後、妹に報告しようもんなら
クッソキレられることが目に浮かびすぎる…


失敗とか生きてりゃどうにでもなるので
死後、妹に怒られないためにも
今後自分の目標は達成しまくる予定です。






そしてごめんね、妹よ。

影でめちゃくちゃ頑張って立派っだったこと
やっぱり知ってもらいたくてnoteに書いちゃった。
2年経ったから許して~



最後に

身体に不調を感じたら
みなさん休みましょう。
症状が続くようなら病院へ。

特に女性のみなさん、不正出血があったら
一度検査をしてもらってくださいね。
無理はしちゃだめ、色々手放しても
適当でゆるゆるでも生きてりゃOK!!!

なんとでもなるんですよ、人生(私がいい例)



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