見出し画像

おすすめYouTubeチャンネル〜デフサポちゃんねる〜

みなさんは、聴覚障害の方と交流をもったことはありますか?
私はあります。(なにこのマウンティング。)
ごく普通の学校の後輩だったのですが、いつの間にかとても仲良くなり、何度か一緒に海外旅行をしたこともあります。
彼女はとても明るくて、耳が不自由だということ以外は特に気になることはありませんでした。
それどころか、新しいことにどんどん挑戦する性格でしたので、その行動力に舌を巻くほどでした。

人それぞれだとは思うので、これは私個人の感覚だとご承知いただきたいのですが、彼女と交流していたときは、障害=個性のように捉えていました。
背が低ければ台を用意すればいいし、背の高い誰かにお願いしてもいい。
力が弱ければ、荷物を極力減らすようにすればいいし、誰かに持ってもらってもいい。
同じように、聞こえなければ何とかして伝えればいいじゃないか!と手話を覚えたり、ノートとペンを持ち歩いて筆記でくだらない会話を楽しんだ日々を思い出します。

かなり前の話になりますが、そんな明るい友人の結婚式に出席したことがあります。
(彼女らしく明るいHAPPYな式でした!)
そこで、初めて友人のご家族にお会いしました。
お母様にご挨拶させていただいた際、涙ぐみながら「ありがとう」とお礼を言われた時に、ハッとしました。
私からしたら可愛い後輩であり友人ですが、お母様からしたら、初めての子供が聴覚障害をもって生まれ、育て方も分からずきっとご苦労なさったことと思います。
それに、将来への不安も常に付き纏っていたことと推察いたします。
なんで気づかなかったんだろう。

まわりを見渡すと、新婦の友人席にいた出席者(15名ほどでしょうか)のほとんどは聴覚障害を持った方で、いわゆる健常者(この言葉があっているのか分かりません。)は私を含め3人しかいませんでした。
友人のクラスメイトは私以上に友人のことを「聴覚障害者」という意識で接していたのかもしれません。

友人と接することで、今まで考えもしなかったことを気づかせてくれる場面がいくつもありました。

同じ学校には、視覚障害をもつ学生も在籍していました。
友人は「もしその子が困っている様子があったら、是非助けてあげてほしい。私はできないから。」と言いました。
なぜか分かりますか?
考えなくても分かるような理由でした。
耳が聞こえないと相手の話していることが分かりません。
一方、目が見えないと頼りになるのは音だけです。
視覚障害者がメモをとって聴覚障害者に見せることはできませんし、聴覚障害者が視覚障害者の要望に応えることも難しいのです。
こんなことも分からなかった自分が情けなくなりました。

デフサポちゃんねる

もっと聴覚障害者について知りたいと思っていたところ、こちらのチャンネルに出合いました。
私の友人に匹敵するほど明るいユカコさんのチャンネルです。
まずは、自己紹介から。
もちろんご本人の努力の賜物ですが、学歴や就職先が素晴らしいことに加え、美人でチャーミングって…みんな好きになっちゃうって。

しかも社長。
動画を見ていただいたら分かりますが、口話?読唇術?の技術が高すぎる…。
発音もとっても綺麗ですし、普通に会話できているのが、本当に凄いです。

お母様との対談も面白かったです。
イジメられたらどうしよう」ではなく「イジメてたらどうしよう」って思われていたとは!笑
同級生の皆さんもいい子たちだったんだろうなぁ。

次は、ユカコさんが母になったときのお話です。
ユカコさんにはお子さんがお2人いらっしゃいますが、1人目のお子さんが難病をかかえています。
よく、授乳があるから夜も2、3時間ごとに起きていて寝不足になるとは聞きますが、「泣き声が聞こえないから、ずっと起きていないといけない」のは気力、体力ともに辛そうですよね…。
私の友人はどうしていたんだろうか。
「育てられる自信ホンマにない」と自身の気持ちを吐き出せたユカコさんの強さが、気持ちを楽にできたポイントだと思いました。
中には、辛いことを言えない方もいますよね?
みんな子育て頑張っているんだから!とか。
思いつめて産後うつになってしまうケースが多いらしいです。
(ネット情報ですみません…)
辛い時こそ、人に頼るって大事ですね。

話は変わりまして!
ユカコさんが眼科に行く動画です。
そっか、病院で診察受けるのも一苦労なんだな、と普段からのほほんと生きている私は気づかされます。
それにしてもこの病院、素晴らしいですね!
耳が遠くなった高齢者にも適用できそうです。

以前、乙武洋匡さんがおっしゃっていた言葉が心に残っています。

「便利とは、誰かの犠牲の上で成り立っている」

(正確ではないかもしれませんが、読み取れる意図は同じはず!)
健常者にとっては便利かもしれないけど、障がい者にとっては不便なこともある。
要は、マイノリティーを犠牲にして世の中は成り立っている(意訳しすぎか?)と捉えました。

誰もが幸せに暮らせる環境ができたらいいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?