きうぴいレシピメモ ①才能とはなんぞや

今年から始めたnoteだが、早速5月は何も書かなかった。4月も、書いていても読んでいてもちっとも心弾まない話を書いてしまった。ちなみに、息子はあれから水泳教室に通い続けている。まあ、そんなもんだ。

勝間和代さんだったかな、文章が上手くなるには毎日書き続けることだとおっしゃっていた。まあ、よく言われていることではある。書くことを習慣化すること、が大切なのだろう。私自身も手打ちのhtmlで自分のウェブサイトを作っていた頃は、よそ様にはどうでもいい自分の日記を毎日毎日つらつらと書いていた。そして、それがよく続いたのだ。多分、気負いすることも、今のようにSNSが当たり前になって他人からどうみられるかをそれほど意識していなかった時代だったからなのか、実に気楽にたわいもない個人の一情報を書き綴っていた。あれは確実に習慣になっていたからだと思う。

そして、それを続けていると、自分のことを知らない人々がいつの間にか毎日読みにきてくれたり、コメントをくれたりした。ウェブサイトを運営していたとき私は叶姉妹研究家として割合人気があって、変わり者の会社員で、退職してからは同時通訳の研修所で猛勉強中の身で、その間に両目の不調を訴え出し、その後珍しい両目の癌になり6年動けなくなるという人生においてのかなりの苦行を体験した。それでも、元々目を使う作業が異様に好きだったのでやめろと言われてもパソコンはかなりの頻度で開いていた。

今年になって本格的に取り組み直したことというとDAWなのだが、これまたガッツリ目を使う作業である。DAWとは簡単に説明すると『パソコンで音楽を制作すること』である。少し目が落ち着いたのでソフトを変えて再開した。時々、いっそ全部譜面書いた方が目にはいいんじゃないかと思うが、パソコンに打ち込めば何らかの音が出来上がっていくので、ついついやってしまう。しかしまたこれも目との闘いで(治療後の後遺症があるので私の目は決して強いとは言えない)常に自分の中のもう一人の自分が「ねえ、目使わないことやれば?」と囁くのだが、やっぱり無理だ。そして、「まあ、じゃあ気をつけながらやりたいことやりなさいよ」ともう一人の自分に言われて、今もipad proにキーボードくっつけてちまちまと打っているわけなのである。

さて、そこで、noteには文才が必要なのだろうか。音楽制作には才能が必要なのだろうか。答えは、文才がなくてもnoteは開設できるし、音楽制作は才能がなくても取り組むことはできる。では、才能って何か?

それは、続けることである。それに尽きる。何事も、ある程度までの力は、続けた時間に比例していると思う。

続けるのが厳しい場合には、早々に切り上げて他にこれなら続けたいことというものを新たに見つけるか、続けることが当たり前になるようにそれを習慣化する方法を考えること。別に続けようと必死にならなくていい、やりたいことが次々と目移りしてもいい、別にそれでプロになるわけでもないのであれば、「すぐ飽きる」なんて人に言われたとしても堂々と「やりたいこと探し」を続けていると言っちまえばいいのだ。

というくらい、気楽に考えるのが、コツなのではないだろうか。

と、ここまで全く考えないで書いてしまったが、この気軽な気持ちで書くことが、習慣化への第一歩なのだろう。

この数ヶ月、noteに書くのには何かテーマを、とかはっきりした題材を、という頭でっかちなことを考えていたので、気楽に続けることをまずは第一目標にしていきたいと思います。習慣化が定着した折には、かつて自分のブログでやっていたあるテーマでも展開していきたいと思っておりますので、当分は自分の毎日を作り上げている『レシピメモ』として続けたいと思います(ウェブサイト時代も『きうぴいレシピメモ』という名前でした。私の今後を面白がってのぞきたい方はフォローしていただくと通知が届きますので、どうぞよろしく。

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