再認識した話
一人の女性とラーメンを食った。
あるきっかけで出会った4つ年上の女性。
最初に声をかけてきたのは彼女で、第一声は
「似てる」
だれが?
「わたしとあなた」
気のせいじゃね?
わたしは人間関係が不器用。
彼女は人に関わるのが好き。
わたしは元々初対面の人との方がコミュニケーションが取りやすい。と思っていた自分を脱していた。
初対面の人の波に打たれた次の日は、反動で疲労を感じる自分の存在を認めていたので、
ファーストコンタクトから自分を出して、その時も根暗全開だった。
(そもそも人の波により既に疲れていた)
顔にも出ていたはずだ。
わたしの表情筋は、私をつかさどる細胞の中でも屈指の純粋さだ。
表情に出てないわけがない。
そんなに口角を上げて言うものだから、むしろ私が麻痺してるのかと思った。
それが6月。
そして一昨日また連絡が来て、今日に至る。
最初はなんでそんなに会いたいのか分からなかったけれど、話しているうちにその感覚に気づいた。
たしかに似てる。
性質も性格も、私が隠なら彼女は陽だと思っていたけれど、話している内容は私も似たような経験をしたことがあったり、考え方は違うけれど、その感覚は知っていた。
気づいたら2時間も経過し、私は会話にのめり込んでいた。
携帯で時間を確認する暇もなかった。
そして「また誘うよ。」とあっさり分かれたのが数時間前。
なんだろうこの感覚。
とても懐かしかった。
私の、この4年間の感情の変動を振り返る手伝いをしてもらった気がするし、彼女の話も面白かった。
何よりわたしは、彼女と今日話す前までの私よりも、私を好きだと思っていた。
そして再認識した。
いつもわたしは思う。
『あなたに出逢えて良かった。』
そう思えるまでが遠い。
出逢えて良かったと思うのは、二回目以降の方が圧倒的に多いのに、わたしは二回目を作り出す時間に苦しむ。
それは、初対面でのコミュニケーションの波に疲れるせいなのかもしれない。
前々から、対人へのエネルギーを費やしたくない性格なのだと自分では解釈していた。
新しい風を自分から吹かすことが苦手なのだ。
自分からやりたいけど、今はまだできない。
再認識した。
だから初めて告げた。
次も誘ってほしい。
自分からできないから、得意ならお願いする。
それは得意。
諦めたわけじゃない。
今はできない。
快諾されたとき、わたしはこれが繋がりか、と思った。
理解しているようで理解していなかった。 今あるものを大事にしたら拡がると思っていた。
いらないと見限って来たものもたくさんある。
人は可能性の生き物だった。
あなたができるならわたしはできるんだ。
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