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我こそはつまるところ己なり。映画『zappa』を見て。

 5年以上かけて制作されたというフランク・ザッパのドキュメンタリー、『zappa』を見た。あまりに素晴らしいので続けて2回見た。ザッパバンド当時は半裸のピチギャルだったのに今はすっかり魔女のお婆さんみたいになってしまったルース・アンダーウッドが死期が迫るザッパに感謝の手紙を渡したエピソードを語るシーンで涙腺が…。もう何回でも見たい。
 
 「そうそうザッパの奥さん、若い時めっちゃかわいいよね、当時の同棲相手の友人だったのがザッパを逆寝取りしたんだよね、こりゃザッパイチコロだわ」と思って、名前をど忘れしたので調べてみたら、糟糠の妻、ゲイルは10年前、何千万ドルかでライコに一挙売却したザッパ音源を買い戻し、アルバムのリイシューに厳しい制限をかけて、ファンは困惑してるという嫌なニュースが出て来た(現在、アマゾンを見るとザッパのアルバムは沢山リリースされてるので問題は解決したのだろう。ちなみにゲイルは2015年、肺癌で70歳で亡くなっている)。そして嫌なニュースは続く。ザッパの長男、ドゥイージル・ザッパが父親の楽曲を演奏する「ザッパ・プレイズ・ザッパ」プロジェクトを進めているのは周知の通りだが、これに「ザッパ」の名前を使うなら金払えと他の兄弟陣からクレームがついたという。しかも生前のゲイルからも「ザッパ」使用料の請求があったという(これに対し「ドゥイージル・ザッパ・プレイズ・フランク・ザッパ」名義で活動を続けるとある)。ザッパには四人子供がいるが、中でも長男のドゥイージルが一番の成功を収めていることがこの騒動の根底にあるのだろうとニュースは結ばれている(ちなみにザッパ映画のプロデュースは次男アーメット)。またザッパファミリートラストの資産分与でも、このアーメットの取り分が10%多かったことで、ムーンとドゥイージルが「なんでやねん!」と異議を申し立てたり、天才ザッパでさえ、死後のどろどろしたしがらみから逃れることはできないということだ。俺の感動を返してくれ!
 
 さて、映画『zappa』は91年6月、チェコで満場の観客を前に3年ぶりにギターパフォーマンスを繰り広げようとするザッパの雄姿で幕を開ける。これはソ連軍のチェコ撤退を記念したコンサートでザッパはチェコの人気バンドのゲストに招かれたのだ(その6日後には同じくソ連軍が撤退したハンガリーでもライヴを敢行している)。既に病魔に冒され、ギターを長らく弾いていないにもかかわらず「これは行かいでか!」とステージに立ったザッパ。寡聞にして全く知らなかったのだが、ソ連支配下のチェコでザッパの音楽は「敵性音楽」とみなされ禁止されていた。しかし海賊盤でザッパの音楽は流通していた。ザッパミュージックは東欧諸国で自由の象徴だったのだ。これは前年、ザッパがチェコ大統領、ハヴェルとの会見のために訪れたプラハの空港でビートルズもかくやという5000人のファンの大歓迎を受けるシーンを見てもよくわかる。ファンに囲まれたザッパは空港からバスに乗り込むまで40分かかったという。かくしてチェコの文化特使に命名されたザッパだったが、当時のベイカー国務長官から横槍が入り、ザッパは非公式特使に降格してしまう。ベイカーの妻は、かつてザッパが強烈に「NO」を主張したロック~ポップスの歌詞を規制する検閲機構、PMRCの創設者だったのだ。これまた嫌な話だ。
 
 この映画は実に丁寧に作られたザッパ伝記で、これを見た者はみんなザッパのファンでよかったと思うだろう。それじゃ、ファンじゃない人は? ファンじゃない人でも、とにかく少しでもザッパに興味を持った人は見るべき。
 
 映画はザッパが「ザッパ」になるまでの歴史とオリジナルマザーズの活躍ぶりを中心に構成されている。全く音楽に興味がなかったザッパは14歳の時、偶然耳にしたヴァレーズ(ブーレーズ)の「イオニザシオン」に衝撃を受け、全く独学でオーケストラ楽曲を作曲するようになる。スティーヴ・ヴァイも語っているように、もうそこがとんでもない。同時にハイスクールのクラスメイトだったキャプテン・ビーフハートとともにまだ黒人差別が色濃く残る中、R&B、ブルースにものめり込む。その後、紆余曲折あってマザーズの結成になるのだが、俺はこの時期のアルバムはデビューアルバム、『フリーク・アウト』しか持っていない。要するにオリジナルマザーズをよく知らないのだが、映画を見てザッパがやろうとしていることは基本的に当時から全く変わっていないということがよくわかった。そして当時の貴重映像でよくわかるオリジナルマザーズの変態っぷりがカッコいい。もうルックスが普通じゃない。証言で度々登場するホーンの人(バンク・ガードナー)は長髪なだけで普通だが他のメンバーがみんな只者じゃなさすぎる。これ以降はメンバーの変遷が激しくなるマザーズだが、何をやらかすかわからない不穏さはオリジナルマザーズならではのものだろう。ちなみにリトル・フィートのオリジナルメンバーとしても知られるベースのロイ・エストラーダは過去に児童への性的虐待行為で服役歴があり、2012年には同罪で25年の禁固刑を受け、今も獄中だ。本当に只者ではなかった。これはまずい。
 この映画はポスターに引用され、作中で何度かザッパが語る「俺の願いは単純だ。作った曲の全てのいい演奏といい録音をする。そしてそれを家で聴く。聴きたい人がいたら素晴らしい。簡単に聞こえるがすごく難しい」という言葉に尽きるだろう。矛盾を抱えた天才ザッパを端的に表現した至言だと思う。大天才ではあるが、同時に「男」でもある人間・ザッパはインタビューでツアー中に取り巻きとセックスしまくった結果、淋病になってしまったことも語るのだった。妻、ゲイルも浮気は黙認というか、そんなことに頓着してたら作曲家の妻はつとまらないと発言している(ゲイルが出会った当時ザッパは10個の性病を持っていたという逸話も。それもひどい)。
 映画には家族たちとくつろぐ、父親ザッパという貴重な映像もたびたび登場する。ザッパ唯一のコマーシャルなヒットとして知られる「ヴァリー・ガール」(82年、全米32位)は長女であるムーンが同じ屋根の下に住みながらスタジオにこもりっぱなしの父親と会えない寂しさからスタジオの扉に「私、ヴァリーガールのモノマネやってもええで」と書いたメモを貼ったことがきっかけだという(「うっそ~本当?」(古いな)みたいなギャル語を含めたサンフランシスコ・ヴァリーのギャルカルチャーが当時流行り、同名映画まで製作された)。この「ヴァリー・ガール」がヒットに一切目を向けなかったザッパの唯一のヒットとされているが、ザッパは基本的にポップだと思う。先に触れたオリジナルマザーズの奇人変人大集合感や現代音楽に通じる複雑すぎる演奏~アレンジ、どぎついユーモア(悪意)を込めた歌詞等で誤解されている節はあるが「慣れるとおいしいくさやの干物」ではないが、一旦ザッパ世界が理解できると全く難解なものではないことがわかる。※複雑ではある。映画ではないが、you tubeでスティーヴ・ヴァイが「次、同じ曲を8分の7拍子でレゲエで」と過酷だったオーディションの様子を語っている。
 ポップだけど難解、猥雑で自由(その自由を侵害しようとするものとは徹底的に戦う)。先に挙げた発言通り、ザッパはこんこんと湧き出る自作イメージを自分のイメージ通りに再現することが目的だった。人力での再現が不可能なスコアもおかまいなしだ。その結果、ザッパは、打ち込めば理想のサウンドを実現できるシンクラヴィアに行きつく(サンプラー、シンセサイザー、シーケンサーを統合した鍵盤楽器で1億を下らないハイエンドすぎる楽器だったが80年代後半、一世を風靡した。安価で高性能なデジタルシンセの台頭やデスクトップミュージックの進化により衰退したが、現在も40ドル(!)のスマホアプリとして残存している)。
 しかしザッパは自らザッパの曲を演奏したいと志願してきたドイツの室内楽グループ、アンサンブル・モデルンに共鳴し、残された時間を彼らとの共演に懸ける。映画の終盤、猥雑で華麗な男女ダンサーを交えたアンサンブル・モデルンとの「Gスポットトルネード」の演奏は圧巻だ。ザッパがやりたかったことは、ここで遂に具現化されたのだ(これはyou tubeにフルヴァージョンがあるので是非見てほしい)。会場では20分に及ぶスタンディングオベーションが起こった。
 病(前立腺癌)に冒されてから、見る度にに弱り、死相が出て来るザッパを見るのは辛い。53歳目前での逝去は早い。編集プロダクションでの仕事中、かけっぱなしになっているFMから訃報が流れた時のことは忘れられない。
 ソ連軍に支配されていたチェコ以下の東欧諸国、セクシャルな歌詞を頭ごなしに取り締まろうとするスクエアな連中、自分たちがカッコいいことをやれれば、レコード会社に上前をはねられても我関せずなロックスターたち。ザッパ映画が投げかけるテーマは全て現在に通じる深刻なテーマだ。いや、これマジですよ。終結の糸口が見えないソビエト・ウクライナ戦争、新聞に巨乳JK漫画の広告が出ただけで大騒ぎになる国、スマホありきの世界、虚実入り乱れるSNS、巨万のギャラを手にするyou tuber、v-tuber、etc、etc。
 
 「自分の中に巣食う無関心を自覚しろ、そして行動しろ」というザッパの声が聞こえるようだ。

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