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石ノ森章太郎コレクション『初期少女マンガ傑作選』を読んで

「あたしゃね今の少女漫画に不満もってんのよ だからなんか新鮮なもの描きたかったの」
(『マイフレンド』より、少女フレンド、67年)

 このセリフは、このコレクションのカバー絵に起用されている『マイフレンド』の狂言回しである美少女キャラ、「コムカタポコ」の発言。これはそのまま、このコレクションの大テーマである。少しうがった見方をすれば、ここで「少女」という言葉は取り去ってもいい。

 石ノ森章太郎が描いた初期少女漫画7編収録した文庫本コレクションである本作をネットで見かけて衝動的に買ってしまった。『龍神沼』と『夜は千の目をもっている』は「マンガ家入門」「続・マンガ家入門」の読者だった俺にはおなじみすぎるが、他の5編は名前だけで、ちゃんと読むのは今回が初めて。
 まぁ、うなります。作劇の巧みさ、絵の卓越したうまさ。石ノ森、ものすごい才能あるよ。『龍神沼』なんか、もう映画ですもん(当時の東映劇場大作動画を思わせる)。『龍神沼』、小学生当時は「ふんふんなるほどね、すごいすごい」くらいの理解力でしか読んでいなかったが、さすがにこの年になると主人公・研一(都会からやって来たイケメン)に淡い恋心を寄せる田舎っ子、ユミ(おませなロリっ子、小6くらいですかね)の感情の機微がめっちゃわかる。そして謎のヒロイン(龍神)のミステリアスで清楚なエロチシズムをたたえた佇まいと来たら、もう凡百のエロ漫画作家は道を開けろ、という感じです。
 今回、驚くべきは、こうした作品が全て二十歳そこそこ(当時23歳)で描かれていたということだ(それを言うと石森章太郎は高校生でそのずば抜けた才能を認められデビューしていたわけだが)。中条省平氏の詳細な解説によると売れっ子作家として多忙を極める中、自分を取り戻すべく世界一周旅行を計画していたため、更なる〆切地獄に追われつつ『龍神沼』を執筆したという。世界一周から戻り、再びの〆切地獄の中、『夜は千の目…』を描いたそうだ。
 なにそれ。それでこのクオリティ。
 60年発表の「青い月の夜」では、ずば抜けた画面構成を見せつつも少女の表情はまだ少し垢ぬけず硬い(『二級天使』を思わせる)。しかし、このあと筆致がぐんぐん成長し『龍神』、『夜は千の目…』で一旦完成し、そのあと更に洒脱な表現に変わってゆく。冒頭に引用した『マイフレンド』は「少女フレンド」創刊に合わせた軽めの御祝儀マンガであるがその筆致は既に青年誌のそれである(中条氏の指摘もあるように「昔描いてた「少女マンガ誌」にまたちょっと描いてみた」感は強い。しかしヒロインのコムカタポコの可憐さは圧倒的にすごい。めっちゃかわいい。コムカタってCOMに掛けてんのかな?)。
 さて帯の惹句にある「花の24年組に大きな衝撃を与えた」は、ヴァンパイア三部作である『きりとばらとほしと』が萩尾望都が『ポーの一族』を描くきっかけになったと広言しているのが、その所以(今回初めて知った…)。もう「花の24年組」についてはいちいち説明しませんよ、義務教育ちゃいますからね。
 ヴァンパイアとして永遠の命を持つことゆえの苦悩というか、なんせいろいろあるねん大変やねん、という吸血鬼譚を過去、現在、未来と近過去ファンタジー(きり)、現代ミステリー劇(ばら)、未来クライシスSF(ほし)と多才な構成で描き切った力量はすごすぎるが、今見ると全体に性急で、特にSFアクション感の強い第三部は荒唐無稽にも見える(この3年後に描くことになる『サイボーグ009』を感じさせもする)。しかしこれが62年の「少女クラブ」に掲載されたって事実には、もう、うなるしかない。萩尾望都のショックもかくや、だ。というか石ノ森先生、博覧強記でなんでもやたらに詳しい。映画、小説、音楽となんでも見まくり聴きまくりだったんだろうな、と。
 「あかんべえ天使」は石ノ森少女マンガとしては末期にあたる当時はリアルに存在したかもしれない「貧乏アパート」を軸にした人情ドラマなのだが、少女マンガでもあると同時に巧みな構成に裏打ちされた群像劇になっており、石ノ森は『二級天使』の最初っから全く枠にとらわれずマンガを描きまくってた人なんだな、と思うわけです。ここで冒頭のセリフに戻る。

「あたしゃね今の少女漫画に不満もってんのよ だからなんか新鮮なもの描きたかったの」。

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