見出し画像

「担当の夜」を読んだ

 ツイッターでたまたま元ヤンマガの編集さんが書いた小説があることを知った。自分が担当した作家との思い出を綴ったものだという。それが安達哲と聞いたら、買うしかない。これが中古で簡単に見つかり、カードの使用期限をあてずっぽうで入れたら(それはダメだろ)、面倒なことになってしまい、最初に注文してから半月かかったが、なんとか届いた。
 2012年に『オール讀物』に掲載された二編の小説、「担当の夜」と「担当の昼」に書き下ろし、「最後の担当」、「俺酒」を加えた全4編からなる一冊。カバー絵は、すぎむらしんいちの描く純朴そうな女子高生だが、本編には一切関係がない。表4のワイルドな貧乳美女のイラストも全く関係がない。ついでに言えば、カバー袖にある筆者近影のイラストは大友克洋だ。
 モデルを列記する。「担当の夜」は安達哲。「担当の昼」はジョージ秋山。「最後の担当」は不明。ライバル作家は華倫変。ちょい役の田中は、こしばてつやらしいが、俺には全くわからなかった。「俺酒」は酒をめぐる思い出~亡くなった編集に捧げたもの。※作者は大酒飲み。
 やはり圧倒されるのは安達哲との愛憎劇を書いた「担当の夜」だ。圧倒的な才能を持つ作家とのヒリヒリした日々が描かれる。作中に登場する作品は、かなりフィクショナブルに書かれているが、安達じゃない…園田直樹の大ヒット作となる「NIJI色ティーチャー」の下剤シーンのくだりは「お天気お姉さん」だろう。これはあくまでも小説なので、どこまでが本当かわからない。しかし「俺以外漫画描くな」「100万部売れなきゃ意味がない」と豪語する園田の言葉は多分、真実に近いのだろう。
 園田は売れるため、担当・高野の進言通り、売れる要素を満載した「NIJI色ティーチャー」で大成功をつかむ。だが、ピークは続かない。園田には作品がストレスだったのだ(読者として、そんなことは全く知る由もない)。「エロ」がどんどん普通に流通する時代の中、エロだけがエスカレートしてゆく作品は徐々に人気を失ってゆく。そんな時、高野は作中のどSキャラ(「お天気」の仲代佳子)と下僕のたおやめ(「お天気」のみち子)の関係が、そのまま作者(どS)と自分(たおやめ)の関係であることに気づく。勿論、読者であった俺はそんなことは以下略。
 なんとか均衡を保っていた二人のバランスは破綻し、高野は移動中に倒れる(十二指腸潰瘍による失血)。そのまま担当を降り、連載は終了する。
 それから幾星霜…。担当を持たない「編集部のおじさん」(編集長)となった高野は他誌でも描き始めた園田が出版社のパーティーに来る聞く(かつての園田はそういった場所を忌み嫌っていた)。パーティーで園田と再開した高野は軽く挨拶した後、自分の持っていたグラスで自分の頬を殴打する…。
 
 以前から、各社の(漫画の)名物編集をテーマにした本はないものかと思っていた俺だが、これは編集が書いた内幕暴露ものとして面白く読んだ。怪人としか言えないジョージ秋山、新人ゴロとして編集からの育成金をせびる関西人の新人←才能はある(モデルがいるはずだが全くわからない)、そして酒と亡くなった人たちを思う最終章と作家と一蓮托生な編集稼業の過酷さがしのばれる。この「熱さ」を「うっとおしい」と思うか、「いとおしい」と思うかはあなた次第(俺は「うっとおしい」二分、「いとおしい」八分。まぁ、ほとんど同世代なので)。
 
 ちなみに巻末2ページのすぎむらしんいちによる筆者の思い出漫画が最高。そういった大酒飲んで弾ける話は本編にはほとんど出てこない(「嗚呼、またやっちまった…」という事後の表現は出てくる。鞄、財布紛失は日常茶飯)。とにかく酒を飲むとむちゃくちゃになる人のようだ。「はしゃぎすぎてで出禁は数知れず」は誇張じゃないだろう。すぎむら先生のパソコンに入ってるの酔って裸ではしゃいでる写真ばっかじゃん。あげくに二人でキスしてるし。

 そんな部分も思いつつ、時々読み返したい一冊。

付記・「最後の担当」のモデルは「バクネヤング」等で知られる松永豊和ではないか?と言う指摘をネット書評で見た。言われてみるとそうかも。現在、氏はネットで「パペラキュウ」という大長編を月一更新で連載中で、これがやたらおもしろいので興味のある人は見てください。

  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?