Ride Like a Girl ミシェル・ペイン騎手とメルボルンカップ

7月17日から日本で劇場公開された映画『ライド・ライク・ア・ガール(Ride Like a Girl)』。
この映画では、2015年にオーストラリアの伝統あるG1レース・メルボルンカップを初めて優勝した女性騎手であるミシェル・ペインの半生が描かれています。

この映画の主人公となったミシェル・ペイン騎手は1985年9月29日に、10人きょうだいの末っ子として生まれました。
父は調教師、母はミシェルが生後6か月だった頃に交通事故で亡くなっています。
15歳にしてきょうだいで8人目の騎手となったミシェルは、18歳で頭蓋骨骨折の重傷を負ってしまいます。
2009年10月にToorak HandicapでG1初制覇を果たします。
そして、2015年にG1メルボルンカップでプリンスオブペンザンス(Prince of Penzance)に騎乗し、155回目の歴史で女性騎手として初めて優勝しました。
その栄光も束の間、2016年5月に落馬で腹部を負傷し、4か月の離脱を余儀なくされ、2017年には薬物検査で陽性反応を示します。

さて、2015年のメルボルンカップとはどんなレースだったのでしょうか。
この年で155回目を数え、「Stop the nation」と呼ばれる程のオーストラリアの国民的行事でもあるメルボルンカップは11月3日にフレミントン競馬場にて行われました。
ペイン騎手は6歳セン馬のプリンスオブペンザンスに騎乗し、道中は中団の内側を追走。
最後の直線で馬群が開くと、馬場の真ん中から末脚を伸ばし、フランキー・デットーリ騎手騎乗のマックスダイナマイト(Max Dynamite)の末脚を封じて優勝したのです。
ちなみに、日本からはフェイムゲーム(Fame Game)が出走し、ザック・パートン騎手が騎乗して1番人気に支持されましたが、13着に終わりました。
また、もう1頭の日本調教馬のホッコーブレーヴ(Hokko Brave)がクレイグ・ウィリアムズ騎手騎乗で出走するも、不利を受けて17着に終わっています。
尚、このレースで競走中止となったレッドカドー(Red Cadeaux)は左前脚の骨折により予後不良、安楽死処分となりました。

優勝馬のプリンスオブペンザンスは2009年11月20日にニュージーランドで生まれました。
父はペンタイア、母の父はビーマイゲスト。
ちなみに、母のロイヤルサクセサー(1999年アメリカ産)は栗東の松田国英厩舎に所属していたのですよ。

今回は映画『ライド・ライク・ア・ガール』を観てから色々検索して執筆してみました。
是非ともこの映画をご覧になってみては如何でしょうか。

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