バルケジのワイン
今の南アフリカのケープ州に最初に入ったオランダ人たちがまず栽培したのは葡萄であった。もちろん、ワインを作るためである。ケープ州は彼らの故郷ヨーロッパと似た気候であり、密林を切り拓いてできた畑からは上質な葡萄が取れた。しかし、もともと密林に生息していたがそこを追われた動物たちが葡萄の味を覚えてしまった。中でも、イノシシの仲間であるバルケジ(学名barcagi barcagi)による被害が大きかった。
バルケジは大きな牙を持ち、体長は170cmほど、葡萄の木を揺らして実を落とし食い散らかす。その食べ様の汚さ、そして揺らされた木が実をつけなくなってしまう。さらには、非常に凶暴な性質だったから、柵もすぐに破られ、時には人間にも被害の出る有様だった。しかし、ことから、一時は駆除を奨励するための報奨金さえ支払わるほどの徹底した駆逐の甲斐あって、18世紀の終わりには生息数は激減した。
ところがそれが一変する。バオバブの根を噛んだバルケジが葡萄の実を食い散らかすと、バオバブ、葡萄、そしてバルケジの唾液が混じって発酵しワインができることがわかったのである。ある農夫がそれを見つけて密かに採取していたが、それがいつの間にか広がり、バルケジの立場は180度の転換を見た。神の血を作る生き物として保護されて、狩りをしたものは厳罰となった。バルケジの作ったワインは自然の奇跡として王侯貴族の楽しむものとなった。
葡萄畑の横にはバオバブが生えている。朝、バルケジはまずバオバブの根を噛まされる。その後、葡萄畑に放されて、葡萄を食い散らかした後に残った汁を集めるのである。後には、厩舎に繋いでバルケジにバオバブと葡萄を交互に食べさせる飼育法も開発された。これならば葡萄の木の被害を抑えられるのである。いずれにせよ、この栽培法には問題があった。バルケジが自らの作ったワインで酔っ払ってしまうのだ。
あまりにそれが続くと、バルケジは中毒となり死んでしまう。しかし、ワインは売れたから、農夫たちはそれを省みずにどんどんワインを作らせた。気づいた時には、ある農園に放し飼いになっているバルケジが最後の一頭になっていた。もちろん、その個体もアルコールに侵されていた。いよいよ死ぬ間際、農夫がグラスからワインを飲ませてやった。バルケジは痙攣しながらそれを飲み、美味そうに鼻を鳴らして息絶えた。1826年のことである。
chard/チャード
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