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スッキリした目覚めだが、起き上がることができない。鼓動が早い。無理をして血液を押し出そうとしている。わかっている、これは低気圧と寝不足とが一緒に来た時に起こるやつだ。それに釣られて気持ちはハイテンションな不安にセットされる。それが体に影響を与えて…ととどまることを知らない。 通勤電車では人がどすどす当たってくる。降りた途端に雨が降る。気分を変えるために少し遠回りした先のコンビニは工事で閉まっている。そこまで来ると、世界が僕に敵意を持っていることが確かになる。しかもその先には
「これ、見ておきます?」 「え?」 「いや、私もういなくなるし、むしろ引き受けない方が良いかなって」 「はあ、確かに」 後2日で契約が切れるから8月は毎日引き継ぎをしていたのに、私の後任のこの人は全然仕事を覚える気がなさそうに見える。 「じゃあ、こっちの揉めなさそうなのお願いします」 契約の仕事が多過ぎるとは思う。でも、私はそれをこなした上で、ここを「回して」いた。正規職員とアルバイトとを繋ぎ、不都合と思えるシステムを細かく変えて、今や正規の人も私に聞きにくる程に成長してい
心を痛めたので医者に行った。 「次の方、どうぞ」 「こんにちは」 「こんにちは。だいぶ出血していますね。どうされました」 「久しぶりに会った人に話しかけたら無視されて…」 「そうですか。それはいつのことですか?」 「3日前です」 「なるほど。だいぶかきむしりましたね」 「すいません、我慢できず」 「じゃあ、触らないように、ガーゼで巻いておきましょうか」 「お願いします」 看護師さんがやってきて、先生に耳打ちした。 「Sさんね、最近、通院の回数が増えてますね」 「わかってはい
新しいパソコンを買った。全然パソコンのことがわからないので、お店でいろいろと聞いて、そして帰ってスイッチを入れてからも電話でいろいろ聞いた。いよいよ画面がついた。お店の人によると、ここからは中の人が色々してくれるらしい。中の人とはどういうことだろうか? 画面の右下にピョコッと小さい画面が出てきて「検索ボックス」と書いてある。その次に「分からないことがあればこちらまでどうぞ」と出てきた。「まだありません」とキーボードで入れると「音声入力の仕方を知りたいですか?」と出てきたので
みんなと仕事をするのが嫌である。私に任せて欲しいし、私だけでやりたい。その結果、夜遅くまで一人で作業をして、次の日にそれをみんなで検討して、また私が作業をして。それが嫌になった。誰の意見も取り入れずにひとりでやりたい。だから、独立することにした。これで好きなようにできる。 ところが、一人になった途端に何もやる気がしなくなった。仕事はあるのに寝てばかりいる。ギリギリにならないとやらないし、夜にならないとできない。これはどういうことだろう。仕方ないから、またみんなのところに戻っ
鬱々として楽しまないから、誰かに部屋に来てもらうことにした。うちはマンションの一部屋で狭いけれど、もう隣がどんな気持ちがするとか考えずに騒ぎたかった。友達は嫌だったから、ネットで探すと、お金を払ったら来てくれるサービスがあると言うから、それにすることにした。 「こんにちは!」と扉を開けたのは、いかにもピエロでございといった白塗りをした2人組だったから、すぐに帰ってもらった。次には太っちょと痩せというわかりやすい組み合わせでこれもチェンジ、最後には憂いを帯びたマンドリン弾きと
閑梅師は悟りを経たのちに更なら修行をおさめ、京都は鹿ヶ谷に庵を開いたときには世に並びなき高僧として名を馳せていた。師の庵には貴賤老若男女を問わず日々人々が救いを求めて訪れた。師の教えは明快と言って良かった。それは、輪廻を抜け出すためにあらゆる殺生をしてはならぬ、ということであった。 「お主らは人として今の世を過ごしておる。それはお主らが前の世で積んできた功徳のおかげじゃ。今の世で積んだ功徳がきっとお主らを輪廻から解き放つ日が来る。そのために肝心なのは、輪廻から抜け出そうとし
明石海峡大橋から鳴門海峡大橋まで断続的に混んでいたくせに、四国を横断する高速を走るころには他の車がすっかりいなくなった。空が曇っているので、ヘッドライトが照らす暗闇が壁のように見える。渋滞で疲れてしまったので、いつもとは違うサービスエリアで少し休むことにした。 高知に着くまでにはまだ余裕がある。むしろここで仮眠を取ってもいいかも知れない。寝床に改造したトラックの運転席でしばらくゴロゴロしてみたが、夜が更けるにつれて目が冴えてくるようだ。仕方がないから、秘蔵のノンアルを取り出
毎朝、カラスに挨拶する。最近は返事をしてくれるようになって嬉しい。カラスは電信柱の上にとまっている。電信柱の下にはゴミ捨て場があってカラスはそこのゴミが好きだ。でも、いつも網がかけられていてゴミは取れない。だから、カラスはいつもカアカア電信柱の上で鳴いている。 正徳君は毎日カラスに挨拶していて馬鹿だ。カラスは人の話す言葉がわからないし、カラスと仲良くしていると悪い人に見えるからだ。正徳君がカラスに挨拶するとカラスはカアと答えると言うけれど、それはたまたまだし、いつもあそこに
時間の無駄のように思われることの中には、たいてい時間の規律が存在している。それが、世間一般の時間と合わないだけのことである。しかし、世間一般の時間とはなんであろうか。世間が人の集合体であり概念でしかないとすれば、それが規定する時間という概念は一体何者であろうか。 全ての道はローマに通じる以上、無駄な道というものはないのだ、というのが父の言い分であり、どこかへ行くときは何キロでも歩いて目的地に向かう。それに私も付き合わされて、小さい頃から都内のありとあらゆる道を歩いた。不思議
「私」が「人間の日」のイベントの実行委員長となって3年目だが、この日が近づくと、「感情」値が異常を示すようになってきた。ロボットにはあらゆる「感情」がインプットされかつ毎秒学習するようになっているが、「人間」と関わることは「感情」のデータに悪影響を及ぼしているらしい。 もはや地球上に「人間」が不要になって久しいが、まだ「私たち」との関わりはあるし、何かすることを与えていないとすぐに「揉める」ため、単純作業等に従事させている。その「人間たち」に「感謝」を示すためのイベントが「
馬といえばショーンで、南にいるカウボーイの中であいつほど馬の気持ちをわかってるやつはいなかった。昼も夜もずっと一緒だ。毎朝毎晩体を擦ってやって、飼い葉は一番いいところだ。で、誤解しないで欲しいが、ショーンくらいのクソ野郎もいなかった。自分以外はみんな馬鹿だと思ってたんだろう。 そんな野郎の馬だから、馬もクソ野郎になるのよ。あいつが声を出さずに顔を歪めて人を軽蔑し切った目で笑う。馬も同じように笑い返すんだ。最後の馬なんか肩まですくめやがったね。まあ、胸糞が悪かった。俺の馬もあ
バラン、バランと三味線が鳴り出した。小屋主として、宗右衛門は兎にも角にも何も起こらないことだけを祈った。いよいよ仮名手本忠臣蔵の四段目、いわゆる通さん場である。判官の切腹という、芝居が演者、観客ともに極度の緊張を強いる場であるから人の出入りを許さないことになっている。 宗右衛門の小屋、劇場は、舞台には屋根があるが後は野っ原である。これじゃ四段目は愚か芝居ができねえと座頭は嫌がったが、なんとか頼み込み、また四段目は日暮れ時になるように塩梅してもらった。村人たちが筵を持って集ま
廊下を走っていく体からは全く力が抜けているからとても軽やかだ。階段を登りまた降りる。それも何の苦労もない。いざとなれば外壁を伝っている雨樋を伝って上がったり下がったりできる。自由だ。でも、私はもうとうに高校を出たはずなのに、またやり直さなくてはいけない。 夢の中であまりにも学校に再び行くものだから、実際に学校に戻ってみることにした。もちろん、再入学するのではなく、母校訪問である。校長室に通されてお茶を出された。「あなたは学校の誉です」みたいなことを言われて悪い気はしなかった