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2021年大河ドラマ”鎌倉殿の13人”

「姫ー、大河ドラマ、鎌倉初期ですよー!」

「妾、あの時期は、個人的には好きではないわい!w」

「まあ、平安貴族の”端(ハシ)”に御生れでしたからねー!(爆」

「笑うたな!あの頃のお前のとんでもない、情けないエピソードを暴露してやってもいいんじゃよ。ふふふ」

「俺、覚えてないんですよね、今。だから、やめてください!」

「泣いて、妾に縋って、何をお言いになったか、ふふふ、ユーたろか!w」

「だから、御免なさい、もう、逆らいません、だから、やめて!」

「ふふふ、まあ、とりあえず、こんくらいでな、やめといたるわ!」

「(はー、良かった・・・。)で、大河の話ですけど、北条政子が小池栄子さん!」

「いかにも!じゃな。鉄の扇をバリバリ食いそうじゃ!」

「それ、”偽義経”の政子様でしょ!!」

「あれ、面白かったからね!平安末期から鎌倉は、視点と描き方によっては、とっても、オモロイ!」

「あー俺も、むしろ、太平記なんかより、よっぽど深い話になると思いますね!」

「太平記は、というか、鎌倉末期のゴタゴタは、本来的に小さいように思うよな!要するに、土地や官職などに絡む相続の武家の内輪揉めに公家や天皇が口突っ込んで、うまくいきゃ王制復古!とか企んではみたものの、もう、時代が鎌倉初期よりもさらに、歴史的段階が進んでいて、思いっきり返り討ちにあう!」

「で、お公家さんたちは、再起不能なまでに痛めつけられることになって行きます。」

「最終的に、江戸期になって、家康とその謀臣(本多佐渡守正信、天海僧正、金地院崇伝)あたりに、徹底的に骨抜かれるけど、その始まりは、この頃からじゃな!(禁中並びに公家諸法度などね!♡)」

「江戸末期には、棒振りで魚を売るような行商人の記録でも、この頃には公家には”腐った魚”しか買う財力がなかったことが散見されますね。」

「長州、ついで、薩長連合は、随分、金使ってるよな。あの頃。三条実美など、公家の中でもかなりの低身分で、昇殿を許される身分でもないのに、ヤリまくりでイケイケなのは、そのあたりにカラクリがある。」

「やっぱり、胃袋、掴まれると大きい!wwwwwwwっw 大久保は、その頃、『最終的には島津幕府を開いていただきますゆえ、そうすれば、倍返しで帰ってまいります』などと宣って、島津の殿様(久光さま)に、藩の金庫を開けさせていたらしいことがわかってる。」

「ま、それはそうとして、平安末期というのは、もっと大きな社会変革の時期であり、武家というものが表に出て、活躍する。」

「平安末期の武家っというのは、江戸期の武士とは根本的に違いますよね。」

「江戸期の武士というのは、要するに”公務員”じゃな!先例主義で、何も新たに決められん(まあ、思いつきで、公務員が何か決めると返って、面倒なことになりかねないから、それはそれでも良いんじゃけど)。鳥羽伏見の戦いのとき、譜代の別格、井伊軍など、元亀・天正の武装を、クラから持ち出してきて、火縄銃で戦おうとしたらしい。」

「薩長は、ミニエー銃やアームストロング砲なんぞをイギリスから買ったりしてますからねー!」

「東堂家も似たようなもので、この二家は、家康公以来の先鋒をおおせつかる家であったにも関わらず、回れ右して、大阪城を攻めようとしておるな!」

「それ以前に、徳川慶喜は、手周りの数名だけ連れて、大阪城を抜け出し、船で、こっそり、江戸城に帰るとかね!」

「御連枝の会津中将、京都守護職:松平容保ですら、将軍が抜け出したことを知らされておらず、そのあと、薩長の敵国としての憎悪を一身に受けることになる会津は誠に、不幸じゃった!」

「今でも、元東京銀行の貸金庫に保存されているという容保の

”大樹なんすれぞ、連枝を投げ打つ”

で始まる有名な一文は、悲痛ささえうかがわせるものなぁ・・。」

「近畿に所領のあった東堂、井伊などは、身分にもかかわらず、変わり身が早かったが、会津の田舎から、駆り出されてきて、大層な身分にされた会津は、明治後もかなり不遇になるなぁ。3.11の福島第一原発など、あの辺りに集中して原発が作られているのも、元はと言えば、このあたりからの歴史的な不幸も遠因としてある。」

「朝敵呼ばわりされた会津は、なかなか、公的資金が回ってこなかったんですよね。」

「手をあげるしか無かったという話は、よく聞くよな。」

「家祖の井伊直政、藤堂高虎、それに、家康公も、幕末以降の惨状をみると泣けてくるどころか、あっけにとられて、どっかに隠れてしまいそうですよね。」

「その会津は、清和源氏の名家:佐竹氏の本拠地の一つじゃったなぁ!」

「会津は、本来的には上国で、平原もあり、良い気候で、ものなりも良かった。ただ、人心が、平安末期以来の素朴な国人・地侍気質で、頼うだ寄親のいうことしか聞かぬ!」

「人使いが抜群に上手かった、壮年期までの秀吉も、会津統治には悩み、家臣団切っての有能人、蒲生氏郷を最終的に配している。氏郷は、もともと近江日野商人の家柄で、信長に見出され、信長、ついでは、秀吉の幕僚となり、松坂を大きな商都にしたあと、請われて、会津の鎮撫と街の勃興に向かうと同時に、東北の雄、伊達政宗の抑えを任されている。」

「ここには、秀吉としても、バカは置けませんよね。ミイラ取りがミイラになって、伊達と連合軍になって、攻めてきかねない。」

「会津が重要だったのは、近世までは、言葉がいらぬくらいじゃったよな。」

「美味しいお米がたくさん取れて、いい気候で、人もたくさん育っていた。」

「それは、古代まで遡るんじゃ!大和朝廷ができるかできないかの頃以前から、百済や新羅から流れてきた難民を受け入れ、関東に送って、好きなように開墾して、暮らせという感じだったと思うんじゃよね。」

「有史以前から、少しずつ、田んぼを作り、畑を作り、子々孫々、暮らしてきたんですよね。」

「ところが、平安初期以降ぐらいには、京都の貴族が上に乗っかってきて、税金を払えと言ってきた。」

「最初のうちは、貴族も、現地にきて、国司として頑張ってるものもいたようじゃが、だんだん、遙任といって、在地の国人のうちの信用のある大きなものを使って、治め、取り立てた税金だけを京都に送らせるようになる。」

「それでもいうことを聞いていたのはどうしてですか?」

「主に、相続じゃな。一家の主人がなくなったとき、相続で揉めるのはこの頃も今もおんなじじゃ!」

「土地のものだけでは、解決しないんですね、で、京都の貴族とかいう天子様のご末裔とかいう尊い人が、『汝は、こっからここまで、そちは、あっちのあそこ』となるべく公平に分けてもらう。」

「それをきちんとやってもらうためだけに、税金を払っていたと言っても、過言ではないな。平安末期の混乱は、そのことがだんだんうまく機能しなくなっていった。みんな自分に有利にしてもらうため、色々と画策し始めるからなぁ・・・。」

「保元・平治の乱など、天皇家、京都の貴族、在地の武士、などが、相続関係でもめにもめて、上から下まで真っ二つに別れて戦っている。」

「で、最終的に一応、この混乱で力を持ったのは、平清盛であるわけですね。」

「それでな、関東の連中は気付き出す。『貴族って、いらなくね?』『なんの役にも立ってなくね?』ってな。」

「まあ、それ以前から、平将門とか、藤原純友とか、現地に来もしない貴族は見限って、関東などに独立王国を築こうとしたやつは出始めていたがな!」

「それを抑えるために派遣された武士も、現地に行ってみると、結構、いいやんけってなる!飯も新鮮でうまいし、在地の連中も気さくで、その上、ジャニーズのタレントさんみたいにモテる!京都に帰っても、顎で、こき使われてつまんない、この際、仲裁役をきちんと務めてやっから、お前ら俺を敬い、主とせよ!ってな。だんだんなって行く。そして、土着していく。」

「清和源氏、桓武平氏など、そう行った貴種の胤が、関東や九州などに根付いて行くのは、歴史の必然だったな。」

「現地の在地の有力者も、田舎者通しで通婚してても、お前も俺も元を正せば、あの辺で暴れておったやつバラって思ってるわけで、京都の天子様のお胤をいただけば、格が上がるとばかりに、”娘”攻撃してくるし!」

「まあ、遺伝子レベルでも、これは、意味があるんじゃけどな。狭い地域で、嫁取り、婿取りを繰り返しすぎて、血が濃くなりすぎると、遺伝的な欠陥が現れやすくなるんで、”血を薄める”効果もある。古代から、経験的に知っていたんじゃろうなぁ・・・。」

「基盤、インフラストラクチャ、なんて言葉を使うとカッコ良くなるんだけれど、それだけ、生産性が上がり、歴史的段階として、関東は関東で、九州は九州で、中国、四国もそれぞれで、純粋に生産性だけでみれば、もう、やっておける時代的な、歴史的な段階に来ていたということですよね。」

「ま、妾、京都で貴族じゃったから、だから、この頃は嫌いじゃよ!」

「それはそれとして、大河では、このあたりの社会インフラ的な視点を、物語にうまく入れ込んで欲しい気がする令和3年の日本ですよね。」

「そうじゃなぁ。チャンバラ、合戦はもう、昭和、平成で散々、やってるしなぁ・・・。」

「平清盛役は、松平健さん、北条政子役は、小池栄子さんとか、徐々に配役も発表されていますね。」

「妾、平敦盛!敦盛!コレをジャニーズJr.あたりの、チョー可愛い子にやってもらいたいもんじゃのーーー!15歳の頃の岡田将生くんみたいな感じの可愛い子がええノォー!」

「幸若舞が有名ですよね。”人生50年、下天の内にくらぶれば、夢幻のごとくなるー!”ってね。信長も、好んで舞ったと言われていますね。」

「一ノ谷の、熊谷次郎直実との邂逅、戦闘は絵になるからのう!京都、黒谷の金戒光明寺には、碑文もある直実の墓や、近くには、敦盛の五輪塔があって、ひっそりと供養されておる。」

「一緒に、ひっそりと向かい合わせに祀るってあたりが、古き良き時代の京都人的な雰囲気ですよね。」

「うむ。イケメンのかわいい男子を屠るとは、直実め!って感じじゃがなぁ・・・」

「ま、姫、しかし、今回は、鎌倉が出来てからの北条氏のお話みたいですよ。だから、敦盛、出てこない!www」

「回想シーンでも、なんでもええから、無理やりにでも出せよー!笛の名手なんじゃよ、敦盛クーーン!なんか、フルートでも、ピッコロでも、いっそ、雅楽の篳篥(ひちりき)とか、横笛の名手でもいいから、イケメンー!若い男ーーーーー!出せーーーーーー!wオラオラーー!」

「もう、姫がおかしくなったから、今日はおしまいです!プンスカ!」

「あつもー(んがププっ!!!」

「もう、帰りまするよ、ほら。もうwww」









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