『あの頃のニコニコ動画』と、わたしのあの頃
この記事はニコニコメドレーシリーズアドベントカレンダーの12/17分の記事です。
すみません、10年以上前のツイートや情報を掘り出すのにありえない手間がかかってしまい、遅刻してしまいました……。すみません。
早速本題に入りましょう。
ニコニコ動画が大破壊され、再び帰ってきた2024年8月5日。
ニコニコメドレーのコミュニティの外にも伝わるヒットとして『ニコニコ動画復活祭』が大いに盛り上がった裏で、とある別のニコニコメドレーが投稿されます。
そう、某フラ。『あの頃のニコニコ動画』です。
『ニコニコ動画超決戦!!』や『ニコニコ動画混沌自由奏』など往年の名作で知られるFLAGさんときっかん(旧ハンドルネーム:某部員)がタッグを組んで制作したニコニコメドレーです。『某フラ』はお互いのHNが由来。
恐ろしいことに、この企画は2010年から進行していたものでした。
およそ14年の時を経てようやく日の目を見た、というわけです。
ニコニコ動画の歴史もずいぶん長くなりましたが、これは相当珍しい事案ではないでしょうか。
今回はせっかくなので、思い出せるだけのことを書いてみます。記事の進行の都合で時系列順に語ります。
選曲意図やアイデアなど、単発の制作後記と呼べるものは末尾に隔離しましたので、目次からそれだけ飛ぶことも可能です。
読むことを決めたあなた。
だいぶ埃のかぶった自分語りと、これでもかと老人ワードが出てきます。
玉手箱を開けて煙に包まれる気分でお付き合いください。
1. 「わたしのあの頃」 ~ 作者じゃないのにクラスタに馴染むまで
1-1. ニコニコメドレーとの出会い
すべての始まりは2009年春。
高校入学直後、プチ林間学校的な行事で過ごした2泊3日の非日常な時間。
ある日の夜、同室のクラスメイトに聴かされた『ニコニコ動画流星群』が、ニコニコ動画にアカウントを取得するきっかけになりました。
当時から引用と羅列が好きだった(車や動物の図鑑が好きな幼稚園児と変わりませんね)自分にぶっ刺さりました。一目惚れというやつですね。
題材になった動画やアニメ、流行なんて、全然知りやしないのに、です。
さて、これはとても絶妙なタイミングでした。
アカウントを作成した少しあとには『七色のニコニコ動画』が登場。
傑作が生まれる瞬間にちょうど立ち会えたのです。
楽しいことこの上なかったですね。
こうして、自然な形でニコニコメドレーが最大の関心事となっていきます。
また、その趣味を後押ししたのが高校の部活動でした。いい意味でナードのたまり場だったそこは、仲のいい部員がニコニコメドレーに一緒にハマってくれたり、部誌編集用のPCで誰かが買ってきた東方原作をプレイできたり。
真面目な活動(実験など)もやっていて、そのおかげで部誌に「某部員」として自分が引用されたことが、初代ハンドルネームの由来です。
(そういえば、未だに音MAD作者の咲崎(♂)さんだけが自分を某部員と呼びますね。まだ「きっかん」がしっくりこない、って先週言われました。この名前もう12年使ってるんですが……)
個人のこととか、組曲「360小節」のこととか、踏み入るともっと書けるのですが、今回は割愛しておきます。
ニコニコメドレーのファンになってしばらくしたのち、有名どころの作品だけでなくタグの網羅を始めました。
同時に家族共用のWindows XPにCraving ExplorerとWinampをこっそり導入。120GBのiPod classicはすぐにニコニコメドレーのmp3や動画原本で埋まったのを覚えています。
極めつけは、先ほど述べた「一緒にハマってくれた部員」が、ニコニコメドレーの制作をやり始めたこと。
あらゆるお膳立てが、2010/2のTwitterアカウント(初代)の開設につながっていきます。
1-2. 2010年・ニコニコメドレークラスタとの邂逅
自分のTwitterデビューはニコニコメドレークラスタ(以降メドクラ)との出会いから始まります。初手メドクラという感じでした。
(注:メドレークラスタがメドクラと略されるようになったのは、体感では数年後に思えます。今回の記事は極力当時の表現を使用していますが、このワードのみ長いので省略しています。)
昔からTwitterを利用されている方には周知のことですが、当時は界隈によらず人が全然少なかったんですよね。
そのため捕捉もされやすく、ニコニコメドレーに言及している様子がメドクラの誰かに見つかると、公式リツイート(現公式リポスト)で衆目に晒され、フォロー爆撃を受ける……というのがお決まりの流れになっていました。
自分より後にアカウントを開設した多くの作者やファンも雪だるま式に絡め取っていく姿が見られました。
(余談ですが、この公式リツイート機能が実装されたのは2010/1で、当時の新機能でした。まだ普及しきっておらず、当時はみんなTweenなどのクライアントで「非公式RT」をしていました。自分も公式リツイートではなく非公式RTで拡散を受けた身だったかもしれません)
Twitterにてニコニコメドレー作者と聞き専(ファン)の境目がなかったのは、少なくとも2010年からそうだったのです。
自分も例に漏れずという形で、フォローイング・フォロワーともに50人ぐらいから始まったことを覚えています。
こんな温度感だったこともあり、みんなもそうしていたので、高校生時分の某部員少年は今では信じられないペースでツイートを重ねていきます。全盛期はツイート規制(注:3時間で127ツイートするとツイートできなくなっていました)もかかってたんじゃないでしょうか。
そりゃだって、「おやすみなさい」をリプライでする時代の生まれですからね。まるで共同生活を営む仲間に対する挨拶じゃないですか。
今からすると信じられないですが、周囲みんなそうだったんですよ。
おおっと、だんだんおじいさんになってきましたね。話を戻しましょう。
馴れ合いをやっているうちに(コミュニティにいたのだから馴れ合うのは当たり前ですね)気づけばフォロワーも増え、音MADや予想スレなども含めたちょっとした規模のコミュニティに属する形となっていました。
昨年から自分を見るようになった音MAD関係の方は多いと思いますが、僕は10年以上前にも音MAD作者を含めたTwitterのコミュニティにいたことがあるんですね。
当時は主に「某さん」と呼ばれていました(エゴサ性能×)。
名前が「きっかん」になるのは2012/4、大学入学を待つことになります。
さてそんな2010年ですが、非常に豊作な一年だった印象です。
Twitterアカウント作成の直前には『ニコニコ動画CMY』や『ニコニコメドレー的な何か、その3。』がありましたし、
Medley-PVの先駆けともいえる麻痺さんの『ニコってる?!』、
トランペットが印象的なジコさんの『友人達からの課題メドレー』、
現在ではアイマスPとして有名な黒土さんによるおそらくニコニコ初のアカペラニコニコメドレー『メドレークイズ 今何の曲?』、
leiverraさんにしか成しえない難解な重ね繋ぎを楽しめる『ファンタスティックアレンジメドレー』(リンクは再投稿)、
絢瀬みどりさん(当時たぶん緑茶さん)による原曲から離したアレンジが印象的な『ニコニコ☆すぷらっしゅ』、
ππππππππππππππππさんによるコンセプト通りな1曲目に驚かされた『ニコニコメドレー『バトルドーム』』、
各々がのどかに好き放題やった唯一無二の雰囲気の合作『まいうぇい!』、
どんな引き出しをしていたらそんな重ねができるかわからないきさいちさんの『おれとく!!』、
歌詞を常に配置、最終盤のインパクトが話題になったYASUさんの『KING of niconico』、
年の瀬には麻痺さんから最近でも音MAD合作で扱われることのある『The Medley of Amusing Desert』と、歌い続けられるような構成が印象的な『nicotune』。
これらをリアルタイムで見て、タイムラインで興奮を共有していました。
そんな最高の体験のさなか、すでに一部の企画には関わっていたのです。
1-3. 2011年頭の二つの合作
年が明け、投稿が期待されていた二つの合作が続々と登場します。
その双方においてタイトル命名を担当させていただきました。
自分は直に音源や映像の制作には関わっていませんが、Twitterでも交わされていた情報から知る限り、音源ができても映像を付ける下りで投稿が数か月ずれる、といったことが散見されていました。
そのため、投稿が2011年頭であっても、各参加者は前年のわりと早い段階から手を動かしていた記憶があります。記録も一部あります。
■粉切れ合作
2010/4ごろに立案、投稿は2011/1。タイトルは9月に渡していたようです(頑張ってTwitterを掘りましたが、自分のアカウント消えていて確証に至れませんでした)(みんなはアカウントを消さないようにね)。
「細切れ合作」だったものが、ある人の誤字によって「粉切れ合作」になってしまいました。それを加味したタイトルになっています。
調べて気づいたのですが、なんとこの合作、wikiが残っているようです。
見ていただくとわかりますが、「パートごとの役割を定めてからそこに入る人を決め、その人がメドレーを作る」という形式で進行していました。そんなアサインをするメドレー合作が、いまどのくらいあるのでしょうか?
自分が粉切れ合作を好きなのは、このファクターが大きいです。
ツイートや思想に詳しい方なら察していただけるかと思いますが、これは自分が2016-17年に言い出した揶揄、「カタログメドレー」に対する一つのアンサーであるといえるでしょう。
各々が合作内でどのような立ち位置であるか合意を取らずに進めるのであれば、それはただ個人作を集めているだけに過ぎず。オムニバスである、カタログであることを良しとしないのであれば、少なくともこういった「役割の設定」は事前にあるべきだろう、と現在でも思っています。
■桃方合作
投稿は2011/2ですがタイトルは前年7月には完成していたようです。各パート音声も早々に集まっていたはず。
長時間のメドレーになったので第1部と第2部に分かれ、映像のウェイトも相当重かったのではないかと思われます。
当時のメドレークラスタの何割かを巻き込んだ大企画であり、参加者やイベントを知る人から投稿を期待するツイートが数多く見られました。
タイトルは当時の最新作「東方星蓮船」と「桃」「星」「泉」の言葉遊びで、「蓮」もニコニコメドレーにちなんで「連」にしています。
「Medley Dream」の「Dream」もカービィにかかっていますね。
当時かなり悩んでつけたタイトルで、これをツイートしたときには皆盛り上がってくれていましたのを覚えています(うれしすぎ)。
普通にFIX案ツイートして伝えてんの変すぎる。DMじゃないのかよ。
しかし、このタイトル命名には後悔が三つあります。
・東方原作のタイトル名、および楽曲名に合わせ、「~」の手前は全角スペース、奥は半角スペースとしておくべきでした。
・ニコニコメドレー形式の動画だとわかりやすいタイトルをもう少し模索すべきでした。
・星蓮船一つをフォーカスしているように見えるタイトルはよくなかったかも?(とはいえ、オリジナルなフレーズでもパチモン感あるしなあ……)
さてこちらの合作、選曲被り以外の構成(というか、全体の雰囲気の作り方、流れ)はかなり好きなのですが、えげつない量の選曲被りがありましたね。
他の人が何使うかわかるって大事なんだね……ということが身に沁みます。
2. 『あの頃のニコニコ動画』 ~ 某フラのあゆみ
FLAGさんは自分より先にTwitterアカウントを持っていたメドレー作者のうち一人で、2009/10の『ニコニコ動画混沌自由奏』もあり、もちろん個人的に注目する方でもありました。
何らかの議論で主張を異にする人というのもちゃんといながら、当時はメドクラ自体が「ひとかたまり」だったので、アカウントを取得して交流するのは難しくなかった記憶です。
FLAGさんに限った話ではありませんが、みなさんにカジュアルに接していただいていました。
桃方合作はFLAGさんの主催ですが、それのタイトルやってるわけですしね。
2-1. 2010年秋、FLAGさんとのやり取り
さて、ついに某フラの話題になるわけですが……。
どちらからやろうって言い出したのかとか、全く思い出せないんですよね……。
思い出すのとエビデンス探しに3日ぐらいかけたんですが、ダメでした。
ただ、某部員が選曲・構成・やりたいネタなどを投げる、FLAGさんが少なくとも打ち込みをやる(適宜相談)という計画で同年秋ごろにスタートしておりました。
やることが決まってからは準備期間をいただき、遅々としていたので急かされつつ、こちらから最初のアプローチとして途中までの選曲構成をまとめたメールを送ったのをよく覚えています。
このメールにあった曲リストを確認したのですが、なんと『あの頃のニコニコ動画』投稿バージョンの大枠はすでにできていたようです。
(選曲意図や構成についてはのちほど)
無事にFLAGさんにバトンが渡り、長い長い制作がスタートしました……。
2-2. 2011年~2013年
もう小見出しのタイトルがおかしなことになってますね……
FLAGさんからは定期的に進捗をツイートしていただいており、過去一番の出来栄えになっていることが伝えられていました。
きっかんもそれに応えるようにカオスゾーンの選曲構成を提出。
ラスト1曲を除いた構成がひとまず完成します。
2-3. 2016年
2016年です。
2016年!?!??!?!??!?!??!!?!?!?!?!?!?!
2015年あたりにきっかんがTwitterアカウントを削除してしまい、DMのログも残っておらず。この時期ニコニコ動画からも離れていたので、すっかり空隙でした。
FLAGさんからは某フラを制作中である旨は数回ツイートされていました。趣味や仕事と両立しながら進めている……と連絡があった通りだと思います。
なんやかんやで2016年4月のこと。
すっかり新アカウントになった自分のもとに、FLAGさんからDMが届きました。
現状の音源の進捗と、アレンジ周りの相談。
部分同士をつなぐ案を模索していて、そこに最近の楽曲を扱うかどうか。
そういった内容の連絡でした。
繋ぎ部分の細かな手法についての共有もあった気がします。
この際激長になってもいいからFLAGさんに満足いくまでやってほしい、ということと、「今の流行のメドレー」ではないから(大体楽曲6年前だし)、新しい曲を扱うかどうかはとても迷いますね、ということを伝えました。
よ~し、改めて頑張っていくぞ~~~~~~!
2-4. 2020年
2020年です。
2020年!?!??!?!??!?!??!!?!?!?!?!?!?!
上記のDMから特にやり取りを往復させることなく4年弱が経過。
この時期は自分がニコニコ動画から離れていたのも大きかったと思います。
再びDMにて進捗の音源を共有いただき、長いこと音について試行錯誤していただいたことや、カオスゾーンが埋まれば完成間近であることを改めて確認しました。
こちらからも連絡しなかったことをお詫びして、数曲空白になっている楽曲の方向性について話をします。
残っているのがカオスゾーンだけだということもあり、重なる曲を見繕っていただく方針に。
2-5. 2024年6月
2024年6月です。
ニコニコ動画が壊れてしまいました。
2024年!?!??!? 6月!??!?!??!!
やばいやばいやばい! 投稿8/5だったよね??? 大丈夫?????
さらに4年経ち(オリンピック?)(東京オリンピックは2021なのでオリンピックではない)、FLAGさんから再度DMをいただきました。
ニコニコ動画の復活に合わせて某フラを投稿する、と。
やるしかない、と思いました。
(このタイミングではニコニコ復旧の日時は明示されていませんが)初めて具体的な動画投稿日が設定されたと思います。
また、古き良きニコニコ動画が注目されているまたとない機会だから、全体的に古い楽曲で揃えて軌道修正をかけることも決まりました。
目的や方向性が具体的になると、思い切った決断も前に進むために選べるもの。空いていた楽曲をどうするか、前後の着地をどうするか、ずっと迷っていたカオスゾーンを全廃することになりました。
『寝逃げ』で終わる音源までは完成した状態でしたが、これできれいに締まっている、と判断したわけですね。
相談ののち、在りし日のニコニコメドレー同様に陰陽師+数曲のカオスゾーンをアウトロとして加えることに。
……ニコニコ動画とニコニコ大百科が止まってるから当時の流行のファクトチェックができねえ!!!!!!!!!
全然大丈夫でした。ここはFLAGさんと協力して楽曲を挙げ、いい感じの選曲とします。ついに音源が完成。
ここまで来たら動画はWMPにしたい……。
FLAGさんの環境がmacだとお伺いしたので、動画作成はきっかんが引き受けることに。なんと8/2です。ニコニコ復旧3日前。
1年ぐらいAviUtlを触っていたおかげで、WMP+曲名表示の動画を作るぐらいならすぐにイメージが沸きました。
音MAD作っててよかった~~~~~~~!!!
動画を急ピッチで用意し、楽曲名の表示タイミングや細かい部分について相談。もろもろ告知。投稿じゃ!!!!!!!!!
「時を越えた」というのは、決して冗談ではなかったのです。
3. 投稿され終えて
よかったです!
後述するけど、選曲に趣味がめっちゃ出てて恥ずかしいです!
14年というと自分の人生の半分弱なので当然紆余曲折はあったのですが、それ以上にFLAGさんが様々な試行錯誤を凝らしていたはず。
催促するのでないにしろ、もっとこまめに連絡を取るべきでした。当時の感覚では「わからないので待とう」が強く、特に急いでいないのも大きかったですね。
企画の進め方に関してこの件は反省することばかりなので、投稿までいって本当によかった、申し訳なかったと思うばかりです。
あと、楽曲名を2か所誤字するとは思いませんでした。FLAGさんは「誤字に定評のあるうp主」のタグをつけられる方でもありましたが、今回は全部自分なので! ぼくが悪いです!
ハレ晴レユカイは凡ミスなのですが、horor-bは指摘されるまで正式名称を勘違いしていました……全部コピペのほうがいいですね。
あ! momokotaさん! 歌ってくれてありがとうございます!
東方とスイッチ切り替えが多く、あんまり歌うことを考慮しておらずすみません……。
4. 選曲意図とか
覚えている範囲で書いていきますよ~。
1. 『Action-ZERO』
1曲目の『Action-ZERO』は、ドしょっぱなで出てきておきながら、ニコニコ動画との関わりが最も薄い曲じゃないかと思います。
動画内の楽曲クレジットにもありますが、FLAGさんに敬意を表して、『ニコニコ動画混沌自由奏』から引用されています。
『混沌自由奏』の824曲目に収録されているこの楽曲は、『だんご大家族』『you』というニコニコメドレー超頻出楽曲の間に挟まれ、バラードパートで長尺で起用されています。
そう、ぼくは極端に楽曲への知識が乏しく、ニコニコメドレーで聞いた曲がそのまま知識のデッキになるような人間でした。
『混沌自由奏』には知らない曲が無数に採用されていましたが、特に印象的だったこの楽曲が据えられていることになります。
というわけで、仮面ライダーに全く知見がなく、あくまで「ニコニコメドレーの楽曲」としての採用になっています。
これを多用しているのがこのメドレーなので、ある意味最も象徴的な採用のされ方をしている楽曲である、と言えます。
楽曲のバックボーンを知らないのに選曲ができてしまうって、恐ろしいことですよね。今思うと恐ろしいです。
2~5. 『未来への咆哮』『蛹』『初音ミクの消失』『禁じられた遊び』
ニコニコメドレー的にはABメロに相当する箇所です。
当時から自分は「ニコニコメドレーは、たとえサビを連打することになっても、展開の起伏を作るべきであろう」と思っていました。
いまでこそニコニコメドレー論者には理解されている「ABサビ(ポップス同様の)構成」ですが、それを曲がりなりにも実践していることになります。
あとここ普通に繋ぎうまいと思う。どう?
6~8. 『Evans』『空』『Do-Dai』
さっき自分のつなぎを誉めましたが、『禁じられた遊び』の「青いドレサージュ」の部分と見せかけてEvansのサビの入りにするのはさすがにめちゃくちゃだったのではないでしょうか。
前段が比較的暗いイメージの曲であり、深海から空に突き抜けて、このメドレーの物語は始まっていきます。
⑨~11. 『氷結娘』『Don't say “lazy”』『FINAL FANTASY』
次のABサビですね。
チルノが⑨にリンクされるのもだいぶ前のギャグ(東方花映塚の発売は2005年)なのですが、『チルノのパーフェクトさんすう教室』『チルミルチルノ』『おてんば恋娘』の採用は多数見てきたので、少し捻りたかった。
そこで『氷結娘』が登場します。
かなり好きな東方アレンジの楽曲だというのもあるのですが、ここで当時の思想が一つ出てきますね。
(こいつ聞き専のくせになんでこんな偉そうなんだ……)
これは2016年のツイートですが、当時からこの意識は持っていました。
メロディラインが同じアレンジ楽曲のクレジット問題です。
当時のTwitterを知る方であればご存じだと思うのですが、自分はしきりに「必然性」というフレーズを語っていました。
その曲である理由はあるのか。その楽曲名表記をする必要はあるのか。
せめて自分が東方アレンジを使うなら、明確にそうとわかるように使いたい……というあらわれがあったように思います。
ちなみにこの曲、ニコニコメドレーにおける初出を狙っていたのですが、
この選曲リストのメールを最初に送った時点ですでに『おれとく!!』に負けています。結局13年半負けてるよ。
12~15.『Bad Apple!!feat.nomico』『明治十七年の上海アリス』『森之宮神療所☆彡』『森のキノコにご用心』
2÷すさんパートの後半、08:20ぐらいからをご確認ください。
11年前に似たアイデアの尖った版が出ていて苦笑いでした。
ニコニコメドレー業界では有名な「つながる曲」という認識なので、似たような題材を選ぶところまではみんなやるけどアプローチは違うよね、ということで、逆に耐えているかもしれません。
15~19.『Heavenly Star』『nowhere』『究極焼肉レストラン!お燐の地獄亭!』『JOINT』
またサビです。
『nowhere』~『JOINT』までのつなぎは特に気に入っています。
また、18曲目に『究極焼肉レストラン』があるのは、『肉十八』という歌詞から。
20~27. 『スーパーカズヤのテーマ』『神さびた古戦場 ~ Suwa Foughten Field』『霊知の太陽信仰 ~ Nuclear Fusion』『感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind』『最終鬼畜妹フランドール・S』『キチガイレコード』『U.N.オーエンは彼女なのか?(ニコニコアイランドVer.)』『風といっしょに』
まず、なんか東方多くね? って思ったあなた、正解です。
唯一東方だけがちゃんと自分の楽曲の引き出しから出せる曲だったわけですね。
なお、自分以外にも、10年代初頭に東方多くねと言われていたメドレーはそこそこあったと思います。作者単位だと、ありゅ☆さん、ぞなもしさん、くろぎりさんあたりが浮かびますね。
そしてやはり特筆すべきは、『U.N.オーエンは彼女なのか?(ニコニコアイランドVer.)』でしょうか。
まさか15年ぶりにこのリンクを貼ることがあるとは思いませんでした。
晒してるみたいになっちゃって本当に申し訳ないんですが、貼ります。
投稿時はTwitterアカウントを持っていなかったのですが、どうしてもこのメドレーの『U.N.オーエンは彼女なのか?』の戦慄が耳に残り続けていました。
手前に『最終鬼畜』『キチレコ』を配置することで「狂気」を、『ミュウツーの逆襲』から『風といっしょに』を後続において「破壊」を演出しているつもりだったと思います。
また、『オーエン』から『風といっしょに』の繋ぎは個人的に自身がありました。うまいこと料理していただき助かりました。
ちなみにこのメドレー投稿者のセヰ(セイ)さんですが、この記事上部に掲載した『粉切れ合作』にて圧倒的に成長した姿で合作に参加しています。
気になる方は聞き比べてみてください。かっこいいよ。
28~33.『鳥の詩』『青い鳥』『蒼のエーテル』『horor-b(青鬼接近BGM)』『少女さとり ~ 3rd eye』『エアーマンが倒せない』
連想ゲームのゾーンです。鳥→青→ホラー→トラウマ といった感じ。
『蒼のエーテル』は『ニコってる?!』の印象があまりにも強く、それに引っ張られた起用になっていたかと思います。
また、『少女さとり』は古明地さとりが好きだったのも大きかったはずです。当時からあんま性癖変わってないね。
34~37.『Second Heaven』『激突!グルメレース』『All I want』『伯方の塩ジングル』『ワールズエンド・ダンスホール』『えれくとりっく・えんじぇぅ』
FLAGさんのニコニコメドレーの選曲と言えば「四天王」とも呼ばれる「オーエン」・「グルメレース」・「情熱大陸」・「Axel F」があるわけですが、オーエンはかなり特殊な使い方をしてしまっています。
そのためかどうかは覚えていませんが、グルメレースはかなり捻りのない採用で、おいしいところをそのまま活用する選曲になっています。
そんなグルメレースがめちゃくちゃかっこよくて、本当によかった……!!
『ワールズエンド・ダンスホール』『えれくとりっく・えんじぇぅ』は前後のブロックの繋ぎでもあるのですが、単純にこれらの楽曲が当時から大好きだったのも、よく覚えています。今でも好きですよ。
40~43.『最強〇×計画』『裏表ラバーズ』『既成事実』『結ンデ開イテ羅刹ト骸』
ここはボカロゾーン……ではないんですよね。『最強〇×計画』があるから。
ここはですね、子作りゾーンです。ラブラブでにゃんにゃんです。
近年では性的な接触を匂わせすぎているボカロ曲も話題になりましたが、昔からそうじゃない?ということです。特にデッドボールPね。懐かしい……。
『結ンデ開イテ羅刹ト骸』は「子作り」が歌詞に含まれているだけで、強引な引用なのは否めませんが。こいつ恥ずかしがりやがったな。雑魚が……。
44~46. 『Princess Bride!』『対武器ボス戦』『お嫁にしなさいっ!』
40~43がメドレー的にはABメロなので、ここからサビになります。
結婚おめでとう! ってゾーンです。Shotgun Marriage.
このへんの構成、今のぼくには直截的すぎてできる気がしません。
一人でやるならまだしも人にこれを発注してるのがすごいと思う。
47. 『寝・逃・げでリセット!』
あ、夢か! リセットか!
没になった構成案では「寝坊した!」「スイミン不足」なども挙げられており夢オチにしたかったんだと思います。
結婚を夢オチにしようとしている14年の間にこの案を書いたきっかん少年は結婚してしまいました。いろいろあるもんですね、月日が経つと……。
それ以降:当初考えていた案
先述の通り夢オチにした後はカオスゾーンを想定していました。
「歌えるカオスゾーン」をやろうとしていたり。
『クワガタにチョップしたらタイムスリップした』を用いて、タイムスリップの演出をやろうとしていたり。
いろいろバグって、最後100曲目で『初音ミクの消失』で締めるつもりでした。『初音ミクの消失』は4曲目の楽曲ですが、2進法では100ですからね。
実はもともと『とあるニコ厨の一生』というタイトルを想像していて、(誰かの/自分の)趣味曲寄りにニコニコの楽曲でメドレーを構成してその人が見てきた動画や過ごしてきたものを反映しつつ、寝て起きたら不思議なことに巻き込まれて、タイムスリップして戻ろうとするもむなしく……というストーリーラインを想像していた……と思います。
そのため、カオスゾーン前の部分であれば当時水準での「趣味曲寄りのニコニコの楽曲のメドレー」が成立しており、『あの頃のニコニコ動画』として息を吹き込むことが適った、という流れでした。よかった……。
実際のアウトロ
この部分は選曲案こそ出しましたが、最終的にはFLAGさんのアドリブで作っていただきました。
陰陽師が長く流れながら複数曲重ねで遷移していく構成もかなり懐かしいですよね。
楽曲クレジットを張るとき、『あの頃のニコニコ動画』であるなら、ポテトを揚げるときの音に『ティロリサウンド』という名前はついておらず、『ファミマ入店音』も『大盛況』と呼ばれる前のはずです。
その辺の扱いを意図的に小さくするなど、個人的な意向をちょっとだけ反映させました。
5. おわりに
かなりの昔話なんですが、お付き合いいただきありがとうございました。
当時から自分の趣味や性癖、ニコニコメドレーに対する思想はあまり変わっていないことが、こうして振り返ることで自覚でき、いい機会になりました。
「選曲意図」では覚えている範囲で選曲の思惑について説明しましたが、FLAGさんには正直ここまでの意図を伝えられていなかったと思います。
それも含め、一緒に何かを進めるときのコミュニケーションについて、かなり至らない点がありました。大変申し訳なかったと思います。
「作っていただく」という気持ちでやっていて、一緒に作るのだ、という意識が欠けていたのだろうな、と今では思います。
とはいえ、完成までこぎつけられたことは、本当にうれしかったです。
ありがとうございました。
ニコニコメドレーには、自分をインターネットに導いてくれた恩が、まだまだあります。
来年も、何らかの形で恩を返すことができればと考えていますので、よろしくお願いいたします。