ニコニコメドレー界隈と「新規性」の距離感の話

 こんにちは。きっかんです。最近はRTAの練習に傾倒しております。そっちの話は……今度しますね。3日後なので暇な人は応援してください。

 本記事はニコニコメドレーシリーズ Advent Calendar 2022に参加しています。ウボァーさん、貴重な機会をありがとう!
 2016年の全然関係ないアドベントカレンダーでもニコニコメドレーの話をしているんですが、今回はニコニコメドレー関係者向けに執筆しているため、他の人向きではありません。「界隈こういうところあるのでは……?」って記事ですし……。
 ただ、自分の創作に対する思想は噛み砕いたつもりなので、わかりやすい内容にはなっていると思います。

はじめに

 結論から言いましょう!
 ニコニコメドレー関係者、ときどき「新規性」を重く見すぎてないか?
……と思うことがあります。ときどきですよ。

 ぶちかましておきながら書いておきますが、大前提として新規性を考えること自体はとても重要です。「誰もやっていないことを思いついた!」というのは制作の大きな原動力でしょうし、新しさを求める態度は成長にも繋がりますね。
 受け手としても、様々な発想の作品に触れられることは単純にうれしい。同じような作品ばかりでは飽きてしまいますしね。新規性があれば楽しんでもらいやすいから作る際に重視する、という戦略もあると思います。

 違う視点でも新規性の影響に触れておきましょう。
 ニコニコメドレーをどんなエンタメだと捉えているかは人によって(作品によって)違いがあります。単純な音楽の一形式だと解釈する人もいれば、音楽や動画を用いた複合エンタメとして捉える解釈、二次創作作品、オールスターコンテンツとして扱われることも多いかと思います。
 フックになる要素が多く表現の幅も広い、そもそも「ニコニコメドレーって何?」が人によって違う……、そんな状況で、誰もやっていない発想を求めて実験的な作品が数多く投稿されてきました。「駆け抜ける」など、それがニコニコメドレー内のサブジャンルとして一定の人気を獲得するケースも存在しますね。
 そうやって多くの作者が新規性を絞り出し、これまでのタグ検索結果を彩ってきました。自分は2009年頃からニコニコメドレーのファンを続けていますが、いわゆる「その発想はなかった」には何度も直面させられています。
サプライズ要素にもなるのがよいところですね。

 自分は聞き専として、新規性が意識されたことによる恩恵を10年以上は享受してきたわけですが、最近はデメリットも顕在化しているような気がしてならないのです。

新規性を求めすぎると生じるデメリット

 新規性に重きを置きすぎるとどんなデメリットが生じるのか。自分の考えを綴っていきます。

 注意書きを一点だけ。今回の記事の中では、「新規性」「革新的なアイデア・ネタ」の具体例として、既出でない繋ぎや重ね・とっぴな選曲・構成や演出・動画尺やタイトル・サムネイルなどの周辺要素など、ありとあらゆる要素を包括的に想定しています。

ネタ被りに対するめちゃくちゃ強い忌避感、あるよね

 想像のつく方もいらっしゃると思いますが、まず挙げられるのはこれじゃないでしょうか。特に繋ぎや重ねで顕著なイメージですが、楽曲の起用方法や構成などでも見たことがあります。
 最近では、「めっちゃ被っているから」とボツにしちゃう例もあったりしました。でもそれもったいなくね? もったいないよ~~~~~!!

 「誰も思いついていないことをやる」こと自体がコンセプトで、かつその被ったアイデアがやりたいことそのものだった場合は共感できます。そのアイデアが世に出た時点でコンセプトが満たせなくなってしまいますからね。
 そうではなく、そのアイデアはあくまでそのメドレーの構成要素の一つだったら? 「誰もやっていない」というトピックはそのアイデアの付加価値の一つにすぎないのではないか? と思ってしまいます。

 被ってしまったことは残念かもしれません。でも、本来そのネタを自分の作品でどう活かそうとしていたかを思い出してほしいなと思います。自分の作品でしかできない活かし方だったら、胸を張ってそう使えばいい。そうである限り、既出のネタでも他の作品にはない(新規性のある)扱いができているはずです。

 余談ですが、選曲に関係する「被りへの忌避感」が多いのは、ニコニコメドレーが選曲単位に分割できることに由来していると思っています。繋ぎ/重ね/選曲単位で考えると被るリスクってメチャメチャあるんですが、ミクロだとそうなるものがマクロでもそうなってることは多くないんじゃないでしょうか。

既出ネタでも、もっと掘り下げてほしい

 新規性に重きを置きすぎると、既出のネタについて掘り下げが行われにくいんじゃないか? と思っています。ちゃんとやってる人もいると思うので、そんな人はすごい!

 これも外的要因が絡む話だと思っています。ニコニコメドレーに限ったことではないですが、ニコニコ動画はコメントを媒体に内輪のノリで多くの作品が楽しまれているプラットフォームです。文脈を蔑ろにすることはできませんよね。
 そういう事情もあってか、リスペクトとして既出の作品の印象的な部分などを引用することは多いのではないかと思います。「既出になってしまった時点で、このネタはこの作品のもの」という大いなる力のせいかもしれませんね。

 ちゃんと反例もあって、「駆け抜ける」は一発ネタにならずにニコニコメドレー内のサブジャンルと言えるまでに成長しましたし、今年は「存在しない曲ニコニコメドレー」が話題になったりもしました。便乗するのがニコニコメドレーの界隈のいいところでもあると思うので、リスペクトもいいですが、凌駕を目標にしてみてほしいな、と内心思っています(言葉が強いね)。

「パクリって思われるの怖い」問題

 わかる! わかるけど、気にしなくていいです。選曲や繋ぎや重ねが被ってしまうのは、小説で例えるとシチュエーションとかセリフ回しが被っちゃうとか、そんなレベルだと思います。よくあることです。「同じだからなんですか?」と開き直っちゃいましょう。
 もし事前にそれを知っていたならば、それとは違う使い方をするか、凌駕を目指すかしてみましょう。
 なんなら把握もしなくていいと思います。「被りを回避するために見る」ってエンタメの摂取として動機が後ろ向きすぎますし。被りたくないからって理由でニコニコメドレーなんか見なくていいですよ、ほんとに。

 ぶっちゃけ頭でわかっていても割り切れないという人も多いとは思います。いちファンとして、「気にするな!」って主張したいというのが伝わればと思います。

最初にやった人がすごい、のはそうだけど

 だれもやったことがないことを、最初にやったらすごい。
 自分もそう思います。

 でもそれは、「その最初にやった作品が100点満点の活かし方をしている」とは限りません。「発展してこういう応用ができる」という可能性を秘めているかもしれません。

 そもそも、自分が思いついた「まだ世界で誰も思いついていないネタ」は、意外と誰かが考えていたりします。
 例えばそういうときに、急いでそれを織り込んだものを投稿するのと、活かし方や演出を熟慮の上で満を持して投稿するのと、新規性しか評価基準がなければ前者が大正義ってことになっちゃいますよね? もちろん前者も評価されるに値する場合は多いと思いますが、一辺倒にはならないと思います。

 そういうわけで、怖がらずに自信を持って、大事に温めたネタはちゃんと芽を出すまで面倒を見てあげてほしいと、ファンは思います。

 執筆がタイムリミットギリギリになったところで、ちょうどクリスマスになりそうですね。みなさん応援しております!

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