noteの限界、現ブラウザの限界。視覚視野ベースの認識について

ブラウザやら携帯端末で見ると1ページや1視界がかなり狭くなる。それで、本文の全体の理解や構造化が滞り、文章や内容の質や量が、制限されてしまうよねという話。

分かりやすくいうならば、小さいチラシの裏に絵を書くなら、それ相応のサイズやらの絵しかかけないよねってこと。もっと自由であっていいのに、枠というか環境で、表現が変に制限されていると思う。

noteのこのありかた(分かりにくい伝えにくい環境)だから、それ相応の質や量のくだらない記事が大量生産されてまかり通っている気がする。ある程度以上の難解や複雑さを伝えにくいわけだ。

現状は、箇条書き、強調やデザイン、レイアウト、目次、まとめ、図表化。様々な工夫を使っていかに自分の言いたいことの全容とそこに至るまでのロードマップを示そうとあくせくしている。しかし、そういう小さいチラシの裏でも上手に見せる技術を研究するより、そもそも小さいチラシの裏という前提を見直せないものだろうか。

レイヤーにして、擬似的に三次元の文章スペースにしてもいいし。

本文の隣に、全体像やそれに至る構成や、箇条書きやらを常に二窓的に脇においておいてもいいと思う。

フリーマインド好きなので、あんな風に項目やらが平面上に多方向に展開されて、その時読みたくない項目を非表示にしたりとかもありだと思う。



終わりに

アナログの本が生き残るのもやはり無理からぬことで、目次にすぐ戻れるし、前のページにもすぐ戻れるし、一旦飛ばして結論を見てから戻るのも即座にできる。そして、そこそこのサイズの本ならば、ある程度の文字数を1度に表示できる。そうなれば文字の塊の構造をいくつかおけるのにたいし、noteや現状ブラウザでは、ひとつか二つ程度の塊しか置けない。なんとも表現と分かりやすさに困る。そのせいで、はなから難解なものはより見向きもされずに、不遇な気がする。分かりやすい何かが溢れる気がする。すべてのことがもっと伝わりやすくなったらいいのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?