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人と人は分かり合えない 後半には1つの解決案思いつきを。OZ的世界。

はじめに

タイトルの通り。人と人は分かり合えない生き物である。わかりきってるという人もいれば、話し合いとすり合わせで何とかなると思う人もいるかもしれない。でも、無理である。でもやっぱりと思って言葉を重ねてみたけれど、やっぱり無理なのだろう。自分の考えを整理するために書く。



各自の価値観の集合である各自の主義

人々の根幹には、様々な価値観がある。それらがまとまり束と渦になって、基本的なその人の主義思想信条が決定される。民主主義、社会主義、共同体主義、自由主義、科学主義、科学万能主義・・・。人間が関わる物事にそれぞれの人間の考えがあるので、政治的な意味合いの強い主義、経済的な意味合いの強い主義、ライフスタイルに関わる主義と様々ある。ただシンプルに言い換えれば、主義とはその人にとっての正義で善で、そういう世界で暮らしたいよね。そんな社会や暮らしがいいよね。という憧れや目的地ともいえる


基本的人権の考えや各国の憲法等でも掲げられているように、自由や公平公正、財産権、平和等々、ほとんどの人間が同意しうる価値観はある。それを守り追求することが正義で善であるという確固たるものはある。しかし、基本的、根幹的、誰もが絶対正しいだろう、よしとするだろうという価値観の中でも細分化していけば、対立してしまいせめぎあってしまう。つまり、自分の価値観と違う相手の価値観と対立するのだ。



自由  ー  規制管理、効率化、社会福祉、安心安全、所得の再分配

民主的 - 戦争中、緊急事態下、マスコミや言論の在り方

平等  -  個人能力責任対応論、所得の再分配、社会福祉

効果効率  -  科学万能主義、自然共生、循環的 リスクとコストとリターン


総論賛成各論反対

短期的長期的、拡大継続縮小・・・。他にも挙げれば様々な項目があるだろう。総論賛成、各論反対ともいう。大枠は認めるが、細部では立場が異なるのである。例えば、極端な自由主義者は、バイクのヘルメットをかぶらせるルールを否定する。売春も肯定する。臓器売買も肯定するかもしれない。個人の身体をどう扱おうかも個人の自由であるからだ。さもありなんと思う人もいれば、自由に売買されるべきではないと思う人もいるだろう。自由は大事だと思ってもその程度範囲で、各人の答えや立場が異なっていく


知識がある人同士であっても、その話し合いの論拠や根っこになるのは、社会の安心安全のため、人が善く生きるためであり。良く生きるとはこの思想主義だと。対立してしまう。言い換えるなら価値観を肯定する論拠が、突き詰めれば、それが社会の為だ=私はそういう世界がいいから好きだからになってしまうのだ。相手を説得すること、共通認識を得ることは難しいだろう。


限定的状況で因果関係や効果結果情報がふんだんにあるならば、対立している複数案の中から、その効果や効率性、速効性などから1つの案に絞ることはできるだろう。しかし、それはその場しのぎの解答でしかなく、各人の価値観を変えたのではなく、妥協した大多数の合意案という話だろう。世の中はそれで溢れている。


自分が良ければいいという人と、地球や未来将来の子供のためという人とは、やはり見方見え方が異なる。悠久の平和を見るような人と、目先のお金に飛びつく人は、根っこから違うのだ。ネットの膨大な情報があるのに、自分の求める今に合致した説明や記事や知識がすぐにないこともこの点が関わっていると思う。自分の見方や価値観に基づく視点で書かれていることが、求める記事の1つの条件になっているからである。各自の価値観は根深い。





そんな世界がもし変わるとしたら

・同じような価値観同士で、別れて暮らす。

共通善(価値観)を持ち、その善ゆえに同じ方向に伸びやすい、伸びていく集団同士で暮らせば、お手本や先を行く先輩が多いわけで、現状よりスムーズに各自の求める良い社会という形が成長するのではなかろうか。それは社会実験のようでもある。様々な共同体での生きざまが結果が、そのままその共同体の善の正しさや強さを証明するのだから。とはいえ、絶対唯一の正解はないので、それぞれの価値観でそこそこに普通にみえる生活をする今の暮らしと大して変わりはないのかもしれない。(ここまでの論調で分かったと思いますが、私は共同体主義寄りです。)



・各価値観や知識認識モデルを教科書のように、作り、誰もがアクセスできるようにすること。自分に合うあるいは違う価値観のモデルを作り学びやすくする。

小学生から高校生までの教科書は単元や章があって、学ぶ内容が決まっている。あれと同様に、各価値観やそれと関連する知識構造もマップというかリスト化可能だろうと思う。主義信条について学びやすくするのだ。文系、理系とかそういう枠組みではなく、各自の価値観や善(こういう世界が良い)に基づく、知と価値観が融合しとけあったマップである。

こうすれば各自がマップの中で興味を持つように、自由に進めるようになれるだろうし。価値観と絡めることで、効率化やその他の価値観と対比比較することも容易になる。

パターン化、マニュアル化のように思えるかもしれないが、やる触れる機会を経て、自分とはちょっと違うこれは違う。と横にずれていって、違うから本当の自分に気づくチャンスになるのだろうと思うのに。そして対立する概念も一緒に知る。相互理解を促せる。




まとめ

共同体主義寄りです。わかりあえないのだから、分かり合える一番の多くのところだけは全員で妥協合意して、細かいところは細かいところが合う人同士で生きればいいのではないか。共通善を持つ人同士で暮らす方がよっぽど良い気がする。と私は思ってしまうわけです。対立が面倒で無駄だから避けたいという気持ちが強いのかもしれません。


突き詰めれば、分断と共生というテーマについて学ばなければいけないと思いました。どこまでは全員でどこまでが各自の共同体という境目はどこにあるのだろう。先のアメリカ大統領選で、トランプによって分断されたアメリカを回復させる~という演説がよく耳に残っていますが、分断は確かにリスクであり社会の危機でしょう。構成員同士が仲たがいして内紛ばかりしていれば、国が疲弊するのは目に見えています。


対立が嫌だからと最初から相手と別れる、それは分断と何が違うのだろう。それこそ、自分とは違う対立します、求める利益が違うライバルですと公言するようなもので、どうもうまくない気がする。共同体主義について学びなおしたいと思います。と、散々書きましたが、1つの解決案は昔から出ているのでそれを最後に書いておきます。




解決案 サマーウォーズのOZ的システム

個々人の主義思想信条が異なる。だから、それは大なり小なり対立を生み、人間同士でわかりあえない苦労苦痛を生む。

分かり合える人同士で暮らしまとまりたい。

でも政治や経済という大きなシステムの一員である以上、そのシステムの中で勝手に分かり合える人同士では暮らせない。

仮に暮らせたとしても、政治経済ライフスタイルやらの主義が合致する人同士なんてごくごく少数だし、その人の立場状況、人生のタイミングでも変わってしまうものなので、現実的ではない。でも理論理想でおわらせたくない。

政治経済のシステムを分断できないので、ライフスタイルの中で共通善を追い求められる趣味興味関心について、疑似空間で出会い繋がり一緒に過ごせないだろうか。

人間はペルソナを持つ。状況によって顔を使い分ける。50代の役員が経営や金融について熱く語りたい日もあれば、ただの最新AVについて語りたい日もあるだろうし、終わってる夫婦関係について語りたい日もあるだろう。


つまり解決案としては、疑似仮想空間にて、いくつかのアバターを使い分けられるようにする。顔も年齢も性別も声もわからなくして、ただの興味思考趣味でその人が使い分ける。YAHOOチャット、メッセンジャー、インスタグラム等々、これまでSNSの人と人をつなぐサービスは溢れているが、裏アカやサブアカが横行するように、誰でも多面性を持っていることを無視している。ペルソナについて着目していないのだ。シンプルな理性人格同士の繋がりにするために、匿名性を保ちながらの確固たる個体個別認識はできる。真面目に政治を同じ主義思想の人と話した後に、下ネタやエロについて別の場所に移って語ってもいい。その時には別の顔(アバター)に切り替えればいいのである。


イメージしてみる。パソコンを開きOZ空間にアクセスする。その日の話したい事興味関心に向けたアバターを選ぶ。疑似空間内で、その関心事の場所へ向かってみる。これまで使用した言葉や語彙やらキーワードから、その場所ごとの知識レベルや興味関心の内容が大体わかるようになっていて、また参加者個人ごとにも評価システムで色分けやら熟練度やらがわかるようになっている。自分に合う知識、思想信条、人や場所を選べばいいのだ。


親しくなっていたら各アバターへのフレンド登録みたいなものもいいだろうし、そもそもあなたの個人関心が蓄積されていれば、あなたへのオススメみたいなところへ案内されてもいいだろう。そこでのなにかで意気投合してリアルでは一切関わりはないのに、一緒のサービスを始めるとか、共同制作をするとかも面白い。同じ道を歩む人同士ならば、きっと1人よりも遠くまで行けることだと思う。そこでのログが残っていて後からくる誰かが引き継いでもいいし。


インスタグラムは、私の大学生活すごいでしょ自慢から始まったサービス、イケテル大学生を決めよう精神から始まったサービスであるように、スターによる発信、発信してスター性を得たいとかそういう目的なので、あういう形にしかならない。それを否定するつもりはないけれど、理性知性人格同士(その時の興味関心事)の出会いをもっと広げられたらいいと思う。


同じ興味関心を持つ人を我々は毎日求めているし、その心の部分が満たされれば、政治経済という世界社会の不平不満はだいぶ和らぐと思う。そして、社会を動かすのは縁とお金なのだから、その縁の力が合わされば、もっと遠くまで行けるし、もっと人生を豊かに有意義にするお金の使い道も増えて、結果的に、社会も経済も活性化すると思うのだ。

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