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意見交換、記事コメント返信における生産性の向上。(話のズレの回避。扱うべき論点や作法について)

noteに限った話ではないが、まぁnoteでの経験を踏まえてタイトルの件について書こうと思う。ある問題意識について話していたり。コメントなどを通じて意見交換をしていると、どうしてもなんかかみ合わない、しっくりこないことがでてくるあの現象の解明と、それを克服して振る舞うべく作法の話をしたい。参考になれば。



記事や意見見解の構造

まず、そもそも記事や意見見解の構造を把握する必要がある。それは次の3点で構成されている。


1、立場視点 ⇒ 目的到達地点

2、制約、制限、人間観、社会観

3、1に向かう、2を前提にした具体的、現実的アプローチや方法論、具体案


例えば、旅行についての意見や記事があったとしよう。ざっとみれば、旅行が楽しい(旅行賛成派)。近場のリラックスできる旅行地に行きたい!(私が望む旅行像!)といった、潜在的な立場視点とその抽象的な目的到達地点がわかる。

しかし、その理想やゴールに向かうには、制限制約がある。記事を書いた人は、車の免許を持っていないとか、2泊3日の連休しか行けないとか。体を動かすことが私にとってのリラックスだから、アクティビティも大事とか。そういうその人の表出していない根底の価値観や、知識やらが制限制約となって、3の具体的、現実的アプローチや案として表に出てくる。どこどこにいって、いくらの料理を食べる、何をするにおとしこまれるわけだ。

1の誤読、2の目に見えていない部分での誤読というか錯誤?。2の部分が明かされていない状態でする3の議論の無駄というか行ったり来たりになる非効率性が話のズレ・不毛感現象の正体である。





話のズレ、不毛感、広がっていく現象の整理

上述の構造の記事や意見を、読んだ人が理解して返信反応する過程で齟齬が生じる。上述の通り各工程で起こりうる。

0、独りよがり型 (そもそも難解な言葉や例を用いない説明で、本文を理解できていない。)


1、トンチンカン型(立場視点、目的地到達地点が理解できてない)

 1-1 知識不足、特に専門性が増すほど理解不能になる。

 1-2 興味関心のキーワードに引っ張られて誤読(枝葉末節を拾う)


2、後出しじゃんけん型(表に出てない制約制限、人間観の価値観のズレ)

 2-1 すべての前提をオープンにしていない、できないこと

 2-2 ○○主義等における相反する価値観によるズレ


3、机上の空論型(2の部分のズレとまざりながら3の方法論を話す)

 3-1 6w3hの欠如と価値観における優先順位等や可能度の対立(理想空想主義 対 現実主義的バトル)





現象の具体的説明

0の例)超常現象対抗合戦における宇宙法則スピンパワーが…

専門外で難解に見えているだけの場合もあるが、相手に理解させようと思っていない書き方がほとんど。誤読以前にスムーズに読めない。誤読とは少し違うが、話のズレの1原因。



1-1の例)○○理論に対する、○○経済学から想定される批判への反論

旅行や料理等なら、スキキライの立場で、どういうところどんな旅行や味が好きという話が展開されるというのは非常にわかりやすく慣れ親しんでいる。しかし、上記のように専門性が増すほど、どういう視点立場で、どういう部分を目的や目標にして語っているのかわかりません。なんのこっちゃ。これは極端な例だが、どういう視点でどこに向かう話なのかの大筋を誤読してしまう場合がある。



1-2の例)ウマ娘とは、実にけしからん。元来競馬における~

興味関心がありすぎる単語や事柄の場合、脊髄反射的に反応してしまうような場合。ウマ娘の批判ではなく、競馬の批判の話なだけかもしれない。ウマ娘の単語にひっぱられて全体の大筋を読み違えて、重箱の隅をつつくような反応や返信をしてしまう場合や、その単語から自分の話に持っていくような場合。親ガチャ、子ガチャとか有名になりすぎたフレーズを安易に使うと、生じやすいのかもしれない。



2-1 2-2 2-3の例)

確かにあなたの意見はもっともかもしれないが、私は環境より経済の方をある程度には尊重したいし、また効率よりも効果を重視したいので、その案に賛成できない。といった反応返信等。

後半3つは、こんな感じ。最初の記事なり意見で、その意見に隠されているすべての背景要素や前提条件を明示できていれば、まだそこでの誤読は起きないかもしれない。しかし、当然紙面や時間の都合がある。そんなすべてをしていたら本題に入れない。だから不十分なまま話が始まり、不十分な個所をお互いに理解しあわないと話が前に進まない。不十分な個所の訂正作業=誤読となって多大な時間がかかる。

さらに、環境を経済も大事だよね。といった人によってかなりグラデーションがある主義思想的な価値観領域で批判や反論をされる場合。当然どの主義思想にも一長一短あるわけで、論破などできないので、主義思想的対立からくる3の方法論のアプローチは不毛に終わる。何の足しにもならないし、相手からみても、この人は随分急進的な人だなぁとか、理想主義的な人なんだなあで終わってしまう。

主義思想とかいいから6w3hで話そう、具体的事柄で話せばまだ合意が得られるのではないかと思っても、効率よりも効果が大事とか。効果よりも納期が大事とか。まぁ人により事柄優先度の価値観は異なるわけで・・・当然合意は得られない。





論点や作法について

正直人と人は分かり合えないとしか思えない。これまでを踏まえてどうするかは読者の方の気持ち次第だ。しかし、基本的に人間は自分しか信じられずに他者を受け入れられない生き物だ。だから、大多数の人には次の行動をおすすめする。生産的だ。

1の領域で、立場や論点を質問や返信する場合だけが効果的効率的である。フェミニズム?それってなにとかそういう場合だ。

もし何かの記事を読んで、その意見になにか言いたい!それは違う!と思っても、2や3の泥沼に陥ることがほとんどである。フェミニズムを貫けば、社会はよくなる!記事とかそういう場合だ。

なにがなんでも答えや形にしないといけない現実ではない場合、妥協や譲歩や時間制限がないのだから、2や3の点で解決を見ることはない。それでも私は信じてるという信じている人を説得するだけの言葉や時間はないし、その人の価値観を1から洗い出して説得に成功しても、何の利があるのだろうか。



終わりに

別の記事でも書いたが、人と人は分かり合えない。でも分かり合えるように努力するしかない。という結論をまた再度言いたくなる。

その話を分かる人で似たような立場価値観の人としか、その話の先には進めないのだ。あぁ、でも間違っている!とかこっちの方が良い!と言いたくなってしまう。謎の正義感使命感がある。不毛だ。

今回の話をポジティブに考えればそれは作法となる。それは個人の価値観でしょという論点話題が、議論の対象にはならないように(議論のルールなど参照のこと)、記事にたいして何か思うところがあっても、それはあなたの価値観や主義が強く出てるよね!?と言い切れてしまうなら相手にしようとしても無駄なのだ。

もし本当に誰かと建設的に意見交換をしたいなら、仕事のアドバイスをもらうかのように、その時の状況や優先事項など、6w3hを自ら最初に明示して、かなり限定的、現実的領域におとしこめば、他人との共通見解やアドバイスは導き出せる。

視点や目的だけを理解しようとすること、机上空論系の話題にはてを出さないこと、本当に誰かに意見を求めたり話す必要性を感じるなら、6w3hとまたその優先度まで最初から提示して話すことである。以上が、作法とマナーだと思う。

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