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第8章 いよいよ出産!


第1話 トキメキのバースプラン


 妊娠8ヶ月になると検診が月2回となる。今日は2回目の検診。バースプランを組む日である。


 産休を取っていた美波が復帰していた。

「カトミナ、もう復帰したんだ。よろしくね」

「もう身体はバリバリだからね。早紀、私がいない間ちゃんとマタニティビクスさぼらないでしてた?」


「もうバッチリ。ぜったいあなたに取り上げてもらいたいから」

「嬉しい事言ってくれるじゃん。まかせてよ」

 翔の本心だった。この人に任せれば大丈夫だと。


 バースプランとは、妊婦や家族にとって最適な出産にするために組む計画の事である。妊婦とその家族が妊娠中や出産についての希望や一緒に頑張る事、助産師に求める事等を用紙に記入していく。


 出産に向けて心の準備という意味も含まれる。

「どんな細かい事でもいいから、出来るだけ具体的に記入してね」


「あと不安な事とか、してほしくない事もどんな事でもいいから」

「例えば?」

「うちは個人医院だからないけど、大学病院だと研修生の見学とか求められる事があるよ。あと看護実習で男の人が立ち会ったり。もし恥ずかしくて嫌ならはっきり伝えないと」


 翔は自分が男だけに、あまりそういう事にはこだわらないようだ。

「大丈夫。今の所は特にないかな」


「可能な限り、希望にそえるようサポートするからね。でも、医学的な理由で希望にそえない事もあるから。例えば、早紀の場合だと緊急帝王切開になる可能性があるけど、これは例え嫌でもしょうがないから」

「うん。覚悟は出来てるよ。ちなみにどんな場合に帝王切開になるの?」


「前に少し話した赤ちゃんの頭が骨盤より大きいとか、逆子とか前置胎盤が典型的ね。前置胎盤っていうのは、胎盤が子宮の出口を塞いでいる事を言うの。早紀の場合はどれでもないから今のところ自然分娩出来ると思うよ。一番心配なのはやっぱりPSASイクイク病の発作で体力が奪われて、いきむ力が失われたり、赤ちゃんの心拍が下がったりして緊急帝王切開になる事かな。だからこれからもマタニティビクス等の体力作りは続けてね」

「もちろんよ」


 美波はヒヤリングに入った。

「旦那さんの立ち合い希望だよね。ずっと立ち会うの?」

 早紀は入れ替わる前にも翔に立ち会って欲しいと言っていた。今では翔の出産に始めから終わりまでずっと立ち会う気満々である。


「うん。そのつもり。主人に腰のさすり方とか教えてあげて欲しいの」

「まかせておいて!」

「あと主人がへその緒カットしたいって言ってる。カトミナの旦那さんの辰巳さんもカットしてたよね」

「うん。いいんじゃない」


「動画撮ってもいいんだっけ?」

「ОKよ。頭側からしか駄目とか、撮影禁止の所も多いけど、うちは邪魔にならなければ脚側から撮ってもいいの。第一赤ちゃんが出る所撮れなきゃ意味ないよね」

「そうだね」


「陣痛が弱すぎる時に陣痛促進剤使ってもいいかな」

「出来れば避けたいけど、どうしても弱くて仕方ないのなら使って」

 もともと帝王切開も覚悟していた翔は、ある程度の医療行為はやむを得ないと考えていた。


「分娩スタイルは?」

「例えば?」

「そうね……妊娠中もそうだったけど、PSASの症状を抑えるにはリラックスする事がすごく大切。だから好きな音楽を流して欲しいとか、アロマを使いたいとかね」

「もちろん希望する」


「院内でアクティブバースにも対応しているよ。どうする?」

「やってみたいけど……でも私の場合ちょっと難しいかな」

「そうだね。色々医療行為が必要になる可能性が高いからね。分娩台がおすすめかな」

「しょうがないね」翔は残念そうに言った。


「でも分娩台はリクライニングで座位にも出来るやつだから。あおむけの産みにくい分娩台じゃないから安心して」

「それは良かった」

「浣腸とか剃毛は?」


「出来れば嫌だな。特に浣腸は」

「ちょっときたない話だけど、いきむっていうのはウンチするのと同じだからね。腸内に残ってるともらす事になるけどいい?」恥ずかしいけど仕方がない。


「仕方ないんじゃないかな。赤ちゃんを出すのにウンチだけ出さないなんて無理でしょ」

「なんだ、良く分かってるじゃん。私達に気を使う必要はないから。いつも見慣れてるから。気にしないでウンチでもオシッコでもどんどん出しちゃっていいよ」


「カトミナ、なんか楽しんでない?」

「大真面目だよ。だからあなたさえ恥ずかしくなければ、浣腸はしない方がおすすめだよ」

「あなたに見られてもあんまり恥ずかしくない」


「私、あなたにもっと恥ずかしい姿見せたしね」

「そうそう」翔は、美波の出産に立ち会った日の事を思い出した。


「会陰切開は? やっぱり嫌?」

「出来ればね。でも必要なら仕方ないけど」

「まあ私に任せてよ。会陰保護には自信があるから。ちゃんと裂けないようにしてあげるよ」


「それは頼もしいね。お願い」

「無痛分娩もやってるけど、どうする?」

「やっぱり自然がいいな。陣痛の痛みを味わいたいの」


「やっぱりあなた私に似てるね。超マゾ!」

「そうかもね」翔は大笑いしながら言った。


「後はマッサージや呼吸法とか色々教えて欲しいな。あなたには出来るだけそばにいて励まして欲しい」

「もちろんよ」


「赤ちゃんが生まれた後にしたい事は?」

「?」

「例えばカンガルーケアをしたいとか、初乳をすぐに与えたいとか」


 カンガルーケアとは、出産後すぐに母親が赤ちゃんを抱く事である。赤ちゃんの体を密着させる事で母子の結びつきを深めると言われている。その様子がカンガルーの親子に似ている事からそう呼ばれている。


「カトミナもしてたよね。私もしたいな」

「もう! 真似っ子なんだから~」

 美波は続けた。


「でもね……カンガルーケアにはデメリットもあるの。出産後は体がすごく疲れているからね。無理に抱っこしてもストレスになるかも。あなたの場合PSASがあるから特にそうね」

「そっか。やっぱり難しいかな」

「すぐ後にもゆっくりと関われる時間はとれるからね」


「母子同室にして欲しい?」

 かつて出産後には、新生児室と呼ばれる別の病室に行くのが主流だった。しかし、近年は母子同室を推奨する産院が増えている。なぜなら産後1週間が母子にとって非常に重要な時間だからである。


「どんな違いがあるの?」

「まずメリットは、子育ての最適な予行演習になる事ね。それから新生児室まで行かなくても授乳が出来る、赤ちゃんがそばにいる安心感がある、お見舞いに来た人達に赤ちゃんをすぐに見せてあげられるとかね」


「それいいね。同室にしようかな……」

「でもね、やっぱりあなたの場合はあまりおすすめ出来ないの。大変な点は、特に初産の場合、初めての赤ちゃんと二人きりで不安を感じる事が多いの」

「良く分からない」


「何もかもが初めてだからね。おむつを替えたり、授乳したり、全部自分でするんだよ。赤ちゃんって何も出来ないから」

「そっか。そうだよね」


「産後で疲れてるのにゆっくりと休んでいられないから。かなりストレスになるかも。あなたの場合PSASの事を考えたら別室の方がいいよ」

「残念だなあ」


「やっぱり母乳で育てたいよね」

「もちろん! 母乳がよく出る方法を教えて欲しい」


「それはまかせて」

「ちょっと身の危険を感じるけど……」

「心配しなくてもいいよ。もうあなたが旦那さんに本気だって事が良く分かったから」

「分かってくれたんだ。でもあなたの事は友達として大好きだよ」

「それはどうも」美波は少し悲しそうに言った。


「あとこれは任意なんだけど、『さい帯血バンク』に協力してくれるとありがたいな」

「何それ?」

「それはね……」


 美波は説明した。

 さい帯血バンクとは、白血病等の血液疾患の治療として造血幹細胞移植が必要な患者のために、産婦から提供される臍帯血を患者に斡旋する仕組みと、その業務を取り扱う機関の事である。造血幹細胞は、骨髄と臍帯血に含まれているのだ。


 さい帯とは、母親と赤ちゃんを結ぶへその緒の事だ。さい帯血はそのさい帯と胎盤の中に含まれる血液である。

 通常ならば産まれた後、へその緒や胎盤と一緒に処分する。しかし、さい帯血には血液を造る細胞がたくさん入っている。これが造血幹細胞である。白血病等の病気に苦しむ患者の治療に使う事が出来る。


「もちろん協力させて。白血病なんかで苦しんでる人達のためになりたい」

「ありがとう」


 翔は、改めて美波が担当で良かったとしみじみと感じていた。こんなに細かい事まで配慮してもらえるとは。出産が待ち遠しくて仕方がなかった。


◇◇◇◇◇◇


 読んでいただきありがとうございました。


 次の第2話は、ついに出産予定日を迎える翔。でもなかなか陣痛が始まらない。どうなるのでしょうか。お楽しみに!


第2話 予定日を過ぎたのに……


 妊娠9ヶ月目に入った。

 早紀は嫌がっていたが、翔は待ちきれず性別を聞いてしまった。女の子だった。
「ごめん早紀、女の子だって聞いちゃった。どんな名前にしよっか」
「やっぱり名前は生れてからにしようよ」
「えーそれじゃ事前に聞いた意味ないじゃん」

「だって女の子っていってもさ、どんな顔でどんな姿なのかで合う名前って変わってこない?」
「それはそうだけど……」
 
「だからさ、いくつか候補を出しておいてさ、生まれてからその中から選べばいいんじゃない」
「そうだね。そうしよう」

 もうおなかもはちきれんばかりに大きくなってきた。家事一つとっても色々大変である。足元の作業に色々とおなかが邪魔になる。そんな翔を気遣ってか、早紀も今まで以上に家事を手伝ってくれるようになった。

「ごめん早紀。仕事も大変なのに」
「なに言ってるの。二人の子供のためだから」
 出産前後というのは色々とやる事が多い。育児に備えて新しく買わなければならないものも多い。

 生まれたら生まれたで、出生届をはじめとした役所等への申請手続が控えている。出産祝いをいただいたら内祝いをお返しする必要も出てくる。

 病院とのかかわりも出産が終わればそれでなくなるわけではない。2週間健診や1か月健診を皮切りに、数か月ごとに乳幼児健診がある。

 予防接種も次から次へと受けさせなくてはならない。

「さ、早紀……くすぐったいよ……」
 翔のおなかに耳をつける早紀。
「赤ちゃん、元気かなあ~」

「も~。元気だって。すごいおなか蹴られてるし。最近は慣れたけど、一時は大変だったよ。この刺激だけでイッちゃったりした。今はだいぶPSASイクイク病の症状がおちついてきたから大丈夫」
「加藤さんのおかげだね。彼女元気?」
「うん。もう産休から復帰しててさ、バースプランもカトミナが組んでくれたんだよ」

「待ち遠しいね。早く生まれないかな~」
「それはこっちのセリフだ」
「ねぇ……」

「今日もこれからしよっか」
「そうだね」
 普通の夫婦ならそろそろセックスを控えたり、かなり体位も限られてくる時期である。おなかが邪魔にならない、ソフトなセックスを心がけるべき時期に来ていた。

 でも、翔と早紀にはあまり関係がないようだ。セックスじゃなくてオナニーの見せっこだから、大きなおなかが邪魔になる事もない。むしろ出産を間近に控えて翔の性欲は普段以上に高まっていた。

「あああっ……」
「イイっ……」

 きっとこの二人は陣痛が始まるまで夜の生活は続けるのだろう。

「翔、あなたが代わってくれたおかげで、病気もかなり良くなって自然分娩まで出来るかもしれないくらい体力も回復したね。私と入れ替わらなかったらこうはなってなかったかもしれない。本当にありがとう」
「なんか照れるな。お礼は言わないって言ってたじゃん。きっと早紀のままでも同じだったと思うよ。僕自身というよりもカトミナのおかげだから。入れ替わらなくても彼女とは知り合ってただろうから」

 翔と早紀はここに来て、今まで以上にお互いをいたわりあった。
「でも本当、あなたと一緒に暮らしてて、いつもすごく感謝してるよ」
「僕もだよ。今回こうして入れ替わってくれたことも。自分で出産するのって僕の子供の頃からの夢だったからね。本当にありがとう」

「うん……愛してるよ、翔」
「僕もだよ、早紀」
 もはや二人を邪魔するものなど何もない。

 ついに翔は、臨月に入った。

 臨月になると毎週検診がある。しかも内診をする。

 PSASの翔にとっては内診の刺激は発作を起こす。でもかなり慣れて来た。やはり鷺沼医師の配慮と技術が素晴らしいのだろう。
「うくっ……」

 それでもやはり何度か絶頂で軽い吐息をもらす翔。とても恥ずかしい。

 でも、翔はそんな恥ずかしさなんて吹っ飛んでしまうくらいの充実感に溢れていた。

 もうじき、翔は二人の愛の結晶をこの世に送り出すのだ。

 翔の中にとめどない父性が込み上げてきていた。

「どうですか。出産が始まりそうな感じですか?」
 気が揉んで仕方がないのか、せかすように尋ねる翔。
「まだ子宮口も硬いですから。もう少しかかりそうですね」

 内診の後はいつもの超音波に移る。もうおなかのプローブ程度の刺激ではほぼ症状は出ないくらい慣れていた。

 もう顔もはっきり映っている。顔を見てますます会いたい気持ちが募る翔。

 そんな中、翔はある異変に気付いた。
 おおきなおなかでゆっくり歩いていると、子宮と一緒に内臓まで出てきてしまうんじゃないかと錯覚するような痛みに襲われた。

 まだ出産予定日ではなかったので焦った。

 翔は不安に押しつぶされそうになりながらも、スマホアプリで痛みが続く時間を計ってみた。すると、痛みも間隔も不定期だった。どうやら陣痛ではないようだ。
「カトミナが、本当の陣痛だったら規則正しく10分間隔と正確に痛みがきて、間隔もだんだん短くなるっていってたからな」

 もしかしてこれが前駆ぜんく陣痛かも、と思った。ひとまず風呂に入って落ち着こうと。
 前駆陣痛とは、妊娠中期から後期にかけて起こる陣痛に類似した痛みの事である。前駆陣痛も本陣痛と同様、子宮の筋肉が収縮する事で引き起こされる。やはりおなかの張りや痛みが生じるのだ。

 かなりの痛みである事が少し気になっていたので、美波に電話する翔。
「あんまり心配する必要はないよ。そろそろ夜の生活は激しくし過ぎないでね」
「そんなでもないよ」

「って……やってるんかいっ! エッチし過ぎだと前駆陣痛が酷くなるからね」
「そんなの関係あるんだ。へー」

 美波は、「陣痛促進剤を使って今から産んでもいいけど、どうする?」と聞いた。

「なるべく促進剤は使いたくない」
「本陣痛はすぐ来るかもしれないけど、まだずっと先かもしれない。個人差が大きいの」
「そしたらもうちょっと待ってみる」

 しかし、この時の痛みは嘘のように収まってしまった。

 予定日を過ぎても、翔の陣痛はいっこうに始まる気配がなかった。
 予定日には早紀の友人、美香と花江からメールが来た。これがかえって気持ちにあせりを生じさせた。

>赤ちゃん生まれましたか? 美香
>早紀、今病院かな? 花江

 とても返事をする気になれず、イライラを抑えるために瞑想やエクササイズにいそしむ翔。

 3日過ぎても起こらず、痺れをきらした翔は鷺沼医院へ電話を入れた。
「まだ陣痛が起こりません。大丈夫でしょうか?」
「予定日はあくまでも目安に過ぎませんので、3日程度なら心配いりません。場合によっては2週間くらいなら待っても大丈夫です」

 2週間! 普段ならあっという間の短期間であるが、今の翔にとっては永遠にも感じられる長さだ。そんなに待てるのだろうか。

 まあ、先生が言うのなら心配いらないだろう。そう思って多少不安はあるものの、待ってみようと思った。

◇◇◇◇◇◇

 読んでいただきありがとうございました。

 次の第3話は、ついに翔に陣痛が始まった! どうなるのでしょうか。お楽しみに!


第3話 まだおしるしが来ないのに陣痛?


 翔の出産予定日を経過して一週間が経った。もうこれ以上は待てないかもしれない。二週間経過しても始まらないようであれば陣痛促進剤を使う事もやむを得ないと考えていた。

 豊満に膨らんだお腹と胸。特に乳首は真っ黒に染まり、大きく尖っていた。妊婦の乳首が黒くなるのは赤ちゃんが見つけやすいからだ。

(う~ん。男の心のままでこの姿はやばい。自分で自分にうっとりしてしまう……我慢出来ない……)

 でも父は強し(?)である。今はお腹の赤ちゃんのためにリラクゼーションで性欲を押さえ、PSASイクイク病の発作を緩和する事を続けて来た成果が徐々に表れてきていた。これなら日常生活もなんとか出来る。小説の執筆も進む。欲望を文章に変え、ひたすら文字を打ち込む。下半身に伸びそうになる手をキーボードへと張り付かせていた。
 
(お腹の張りがすごい……これならいつ生まれてもおかしくないな)
 ベッドで横になりながら膨らんだお腹を撫でる翔。お腹が苦しいので横向きで寝ていた。

 翔はわずかに腹部の痛みを感じた。
(これはただの張りじゃない。さっきより痛くなってる)
 翔は出産開始を感じ始めていた。
(この調子だと今日始まるかも……)
 
(長かった……ついにこの重いお腹ともお別れだな)
 曲げられないお腹を曲げたくなるような痛みが翔を襲った。
(ついに始まったかな?)

 翔は自分の股間に手を伸ばし、「おしるし」と呼ばれている出血がないかどうかを確かめようとした。これは重要な出産開始の合図なのだ。しかし……
(今の所おしるしは来ていない。そうするとまだなのかな?)

 おしるしは来ない事もある。翔は痛みの間隔をスマホアプリで図って見た。10分間隔だ。もしこれが陣痛ならば、そろそろ病院へ行かなければならない。

「早紀、さっきからかなりお腹が痛い。もしかしたら陣痛かも」
「どんな感じ?」

「最初はただ張っている感じだったけど、今ははっきりと痛みが感じられる。さっき計ったら10分間隔だった」

「それやばいんじゃない。そろそろ病院へ行かないと」
「でも、まだおしるしが来てないよ」

「おしるしがなくても出産が始まってる事はあるから。やっぱり病院行こう」
「分かった。電話してみるよ」

 翔が電話すると、すぐに来るように言われた。

「これで全部かな」
 お産に必要な荷物を揃えてバックに詰めた。
 陣痛が押し寄せる。まだまだ我慢は出来るが、少しうんちしたい感触が生じて来た。

(いきみたいってこんな感じなのか?)
 まだまだ陣痛の間隔の時間は長い。陣痛が止んでホッと一息。しかし……
「……あッ……」

 このところトレーニングでイきにくい体にしていた翔であったが、いざ出産が開始すると再び敏感な身体に戻ってしまった。またもや望まない絶頂に襲われる。しかし、この時はまだPSASの症状が出産に与える影響の恐ろしさのほんの入り口に過ぎない事を翔は知らなかったのだ。

 イった後の脱力感でしばらく仮眠を取る。この時点ではまだそのような余裕があった。

 陣痛の間隔は10分よりも短くなり、痛みの続く時間が少しづつ増してくる。
(今のところ進行は遅めかな。この後進むと良いけれど)

 翔は玄関のドアを開け、早紀の運転で病院へ急いだ。
「戻ってくる時は僕と君だけじゃない。もう1人増えて3人になるんだね」
「そう。楽しみだね」

「うっ……」
 翔は大きくて重いお腹を右手で軽くおさえてうめく。左手で早紀の手を握って痛みに耐える。

「大丈夫? がんばって。あと少しだから」
 病院ではお互いに名前を呼び合う事が出来ない。周りの人達におかしいと思われるからだ。

「間隔が急に短くなってきた……アッ」
 当初遅いと感じられていた出産の進行が、その後思ったよりも速く進行していた。
(なんかヌルっとしたものが……おしるし来たかも)

(何センチくらい子宮口開いたかな?)
 だいぶ間隔も狭まってきた。
 鷺沼医師に内診してもらう。

「うくっ!」
 慣れたとはいえ、やはり内診の刺激はPSASの症状を呼び覚ます。翔は苦痛と快感に交互に襲われる。

 確認すると……
「5センチ開いています。あと少しですね。まだいきんじゃダメです」
 まだ5センチ。されど5センチ。結構進んだ事が嬉しかった。

 子宮口が10センチまで開けば分娩第2期に入る。そうなれば赤ちゃんも膣内に降りてくるから、いきむ事が出来るようになる。それまではいきみ逃しで耐えなければならない。

「痛いっ…痛い痛い痛い…」
 更に陣痛の間隔が短くなり、痛みの強さは増していく。

 最高に痛いと思っても、次に来る痛みはその前の痛みよりもずっと強いという状態が繰り返される。

 それでも腹痛フェチの翔にとってはまだまだ耐えられるレベルだ。
 
 お腹がどんどん下がって来ている。子宮の重心が下腹部に近い場所に感じるように。
 バッグから取り出したポカリスエットを飲み、気を引き締め直す。

 陣痛が来た時、痛みだけではなく段々と身体が何かを押し出そうとしているのを感じた。
(ああ……ウンチしたい……)
 
 とてもいきみたい。身体が勝手にいきんでしまう。でもだめだ。今の時期にいきんでも胎児が効果的に進まないからだ。それどころか疲れて肝心な時にいきめなくなってしまう。そうなれば難産必至である。

 翔は必死でいきみ逃しを行った。

 陣痛が止み、お腹の中の胎児が内側から蹴ってくる。普通なら喜ばしい胎動は、翔にとっては苦しさをもたらす。この刺激でも絶頂に達するきっかけになるからだ。

「はあああ……お願いだからお腹蹴らないで……あうっ」
「大丈夫? また症状が出て来たの?」

「うん。一時はかなり抑えられてたんだけど。やっぱり出産が始まったらぶり返して来たかな」
「つらいよね。でもがんばって」

「大丈夫。今はまだイった後に少し休めるから。でも早紀、こんな辛いのずっと我慢してたんだからすごいよ」
「分かってくれて嬉しい」

 どんどん狭まる間隔の陣痛。そして強まる怒責どせき感。いきみたいという気持ちが高まり続ける。
「来たーっ……また強いのが来た」
(もう我慢出来ない。身体が勝手にいきんでしまう……)
 
 と、突然生暖かい液体がほとばしり出て、下着を濡らすのを感じる。破水だ。羊水が股から脚を伝っていく、おもらしした時のような感覚を感じた。

 お産用のショーツと大きなナプキンを着けていなければ床が水浸しになるくらい大量の羊水が翔の股間から排出されていた。

 翔は自分のお腹に話しかけた。
(早く出てきて。あまりお腹は蹴らないで)

「破水したみたい。お願い早紀、先生呼んで」
「分かった。もうすぐだね」

◇◇◇◇◇◇

 読んでいただきありがとうございました。

 次の第4話は、ついに翔が分娩室に移動します。いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに!


第4話 一進一退。早く出してっ!


「子宮口全開大。分娩室へ行きましょう」
 内診した鷺沼医師が翔に告げた。
(これでやっといきめるんだ……)
 破水したため陣痛は更に強く、間隔も短くなった。
「痛い……お腹だけじゃなく脚も腰もとにかく痛い」
 早紀のマッサージが本当に心地よい。翔は痛みに耐えながら早紀の励ましに心から感謝していた。

 胎児の頭が骨盤内へ下がって来るのを感じる。
 凄まじい痛みに加え、圧迫される直腸から伝わる異物感。

 分娩室の扉が開く。「分娩中」という上のランプが点灯する。まるで手術室のような雰囲気だ。それでなくても翔は自分が帝王切開になってそのまま手術を受ける事になると覚悟していた。鷺沼医師から常々言われていたからだ。

 分娩室に入った翔は、中央よりやや左側に設置されている分娩台に上る。リクライニングシートのように上体を起こしたような形の分娩台だ。「寝る」のではなく「座る」と言った方が正しい。

 今時の分娩台はこのようにベッドに寝た姿勢ではなく、「半座位」のようないきみやすい姿勢のものが主流だそうだ。
(うん、この姿勢なら洋式トイレに座るのに近いな。いきみやすそうだ)

 下着を脱いで分娩台に座ると、脚に袋のような形をしたシーツを掛けられた。助産師の美波が翔に声掛けをする。彼女は翔のプレママ友であり出産の先輩でもある。

「原口さん、子宮口が全開になったので次に痛くなったらいきんでみましょう。なるべく長くいきんでください」
 翔と美波はかなり親しい関係なので、普段は下の名前呼び捨てと、あだ名で呼び合っている。当然タメ口である。でも、病院では他人のふりで苗字でさん付けである。

 陣痛が来て、翔は分娩台のレバーをしっかりと握り、下半身に力を込めた。
「う~ん」
「そうそうその調子。上手よ。なるべく声は出さないようにして」

「うぐうううう……むうううっ……」
 胎児が急激に下に降りてくる感覚。いきまずにはいられない。分娩台のレバーを壊れるかと思う程強くにぎり、必死でいきむ翔。

(なんという強い痛みなんだろう。鼻からスイカなんてなまぬるい物じゃない。体内からエイリアンがお腹を食い破って出てくるんじゃないかって感じだ……それに痛みだけじゃない。とてつもない吐き気がする。くっ……苦しい……)

 翔は自分の想像がいかに甘かったかを思い知らされていた。陣痛は男が経験したら死ぬと言われている。

 ただでさえ陣痛はそれ程までに過酷な経験なのであるが、翔の場合はそれだけではなかった。PSASイクイク病で敏感な身体になっているため、通常よりも陣痛の痛みを強く感じるのだ。

 更に陣痛の合間には激しいオーガズムに襲われ、次の陣痛に耐えるために英気を養う事が出来ない。今の時期は陣痛の合間がとても短いため、仮眠を取る余裕もない。

 まぶたに鉛の重りが付いているかのような、強烈な睡魔に襲われた次の瞬間に体に電流が走る感覚で目が覚める。こんな過酷な拷問が他にあるだろうか。
 やっと間欠期が来てホッとする。少しでも仮眠を取らないと体がもたない。ところが……

「……あ……」
 翔は望まぬ絶頂を迎え、一睡も出来ずにいたのだ。
 そしてすぐにまた地獄のような痛みが襲ってくる。

(うわ~体がちぎれる…………痛い痛い痛い)
「なるべく声は出さないようにしてください。力が入らなくなるから。肛門の方に力を入れて。なるべく長ーくいきんで」
「うう~ん……」
(そんな事言われても、どうしても声が出てしまう……)

 まだ赤ちゃんの頭も見えていない時期に、既に翔の体力は限界に近づいていた。
(もうだめだ……いっそ殺してくれ……おーいイブ、そこにいるんだろ、返事してくれ)

 イブは姿を現し、翔にささやく。
「なんだよもうギブアップか。しょうがないなあ。たしかにあたいは閻魔大王ともマブダチだからね。あんたを殺すなんて朝飯前さ。でもいいのかい。あんたが死んだらおなかの赤ちゃんも死ぬんだよ」
 イブは意地悪そうで楽しそうな表情を浮かべている。

(なんだって! それはダメだ。やっぱ今のナシ。ちくしょう、絶対耐えてやる)
 強がっては見たものの、やはり人間には出来る事と出来ない事がある。翔はだんだん気が遠くなってきた。すると……
「赤ちゃんの頭が見えてきましたよ!」
介助している美波が伝えた。

(おお~やっとゴールが見えて来たか)
「……鏡を……見せて下さい……」
 翔はやっとの思いで美波に告げる。ところが……
 鏡で自分の股間を見ると、赤ちゃんの頭はごくわずか髪の毛が見えるか見えないかぐらいだった。
 まだまだゴールははるか遠くにあったのだ。

 この時期を「排臨」と言う。赤ちゃんの頭が見え始める時期の正式名称だ。でも、赤ちゃんの頭はどんなに一生懸命いきんでもすぐには出てこない。少しづつ少しづつ出ては戻り、また出ては戻りを繰り返しながら進む。まさに一進一退である。

 陣痛が来ていきむと、赤ちゃんの頭は膣口を押し広げて母体外にほんの少し露出する。しかし、陣痛の合間にはまた元通り体内に引っ込んで見えなくなるのだ。母親(中身は父親)にとってはとてももどかしい時期と言える。

 美波は翔の膣内に手を入れて、進行を確認する。その手つきはお産のプロ、助産師そのものだ。翔を愛しているプライベートの彼女は完全に封印されている。すごいプロ意識だ。
(やっぱりカトミナにして正解だな)
「もうかなり降りてきてます。あともう少しです。がんばって」

 翔の膣内から、グチャグチャという音が聞こえはじめる。一人でするときのような感覚にビクッとする。
(あっ……カトミナ、少し地が出て来たんじゃ……前言撤回、まじめにやれ! うううっ)

 しかし、初産である翔の排臨はかなり長時間に渡った。陣痛時の激しい痛みと、くり返し児頭が出たり入ったりする刺激で、間欠時には激しいオーガズムを感じるという拷問のような時期が続く。
「大丈夫ですか? 赤ちゃんの頭に触ってみましょう」

 翔は気を失いそうになりながらも、自然と広げた股に指を当てる。
(あ、本当だ……もうすぐそこまで来てる…)
 赤ちゃんの頭にかなり押し広げられた穴の周りをなぞってみた。

 再び強烈な痛みが翔を襲い、大量の汗がしたたり落ちる。
 
 翔の股間の秘所から、その2つの扉と同じくらいの大きさに胎児の後頭部が出てきている。すごく固くて大きい便が出かかっているような感覚。
(これが赤ちゃんが挟まっている感覚なのか。大きい。身体がバラバラにされそうだ)

 陣痛が止むと、胎児の後頭部は産道を戻っていく。
 秘所と児頭の隙間から羊水が垂れてくるのを感じた。
 脚は閉じられないくらい骨盤に胎児が下りてきていた。

 深呼吸をして息を整えると、段々と痛みが増してくる。
 「きたっ! う~ん」
 翔は今日一番にいきんだ。
 「ン…………」

 声を出さずにうまくいきむ。それに応えるかのごとく、翔の穴をムリムリと広げる胎児の頭。

 やがて陣痛が止むと、嘘のように胎児の頭が翔の中へと戻る。
 この排臨の時期は一進一退でもどかしい。
 
(痛いっ!)
 胎児の後頭部が、翔の膣口を更に押し広げる。
(アソコが……裂けそう……)
 
 自分の穴から出せる大きさを遥かに超えている。鼻からスイカ以上だ。

 いきめばいきむほど、身体の中で胎児が膣口に突っ込んでくるのを感じる。
 (すごく大きい……)
 裂けそうな感覚を生じ、力を抜く。でも陣痛がすぐに翔をいきませる。
 半透明の粘液が垂れる。次第に露出面が拡大し、黒い髪の毛が覗く。
 出ては戻っての繰り返しが続く。
 
 翔には胎児の頭の大きさが、膣の感覚から鮮明に感じ取れた。
 翔は何度もお腹に力を入れた。
 鏡に映った膣口は、次第に広がりを増してきた。
 
(まだ……戻らないで……)
 どれだけいきんでも、児頭は間欠期には膣内へと戻ってしまう。
 まだまだ排臨から進みそうな感じがしない。


◇◇◇◇◇◇

 読んでいただきありがとうございました。

 次の第5話は、ついに翔の赤ちゃんが生まれます! お楽しみに!

第5話 おめでとう! 無事赤ちゃん誕生。でも……


 翔の出産は分娩第二期に入り、「排臨」と呼ばれる、赤ちゃんの頭が見え始める時期まで来ていた。赤ちゃんの頭はどんなに一生懸命いきんでもすぐには出てこない。少しづつ少しづつ出ては戻り、また出ては戻りを繰り返しながら進む。まさに一進一退である。

 やがて大量の汗に冷や汗も混じる頃、腰の痛みが更に増していた。
(翔……苦しいのかな……もうすぐよ、がんばって)早紀も声掛けしつつ、心の中で必死で応援する。
 
 この「排臨」の後には、「発露」と呼ばれる時期に進む。
「発露」は、赤ちゃんの頭が最大周囲に近い所まで出てきて、陣痛の合間にも児頭が体内に引き込まれなくなる時期である。ここまで来ればもう赤ちゃんの頭が完全に出るまではわずかな時間で済む。

 翔は今にも気を失いそうになりながらも、なんとか鏡で自分の股間を確かめ、間欠期にも黒々とした胎児の頭が引きこまれていない事を確認した。
(やっとここまで来た。あとちょっとだ。よーしがんばるぞ!)気を引き締め直す翔。
(そうよ早紀。赤ちゃんがすぐそこまで来ている事を感じる事が出来ればきっと頑張れるから。その調子)美波も心の中で応援しつつ、自分のすべき仕事に集中していた。

 胎児の頭に押し広げられた骨盤がメリメリッと音を立てているようだ。

「もういきまないで。短息呼吸してください」
 発露後は、いきむと会陰裂傷を起こしてしまう。鷺沼医院はなるべく会陰切開しない方針である。美波はその神がかった会陰保護で翔を介助する。

(そ……そんな……あ~とてもいきみたい! 我慢出来ない!)
 それでも翔は今までの道のりを思い出し、呼吸法を実施した。
「ハッハッハッハッ」
 短息呼吸でいきみをのがす翔。
 
 再び手でアソコに触れる。
 ぐっと戻すように押しても全然動かない。
 更に会陰の伸びを確認しようと、児頭と膣に隙間を作って指を入れてみる。
(まだ一番大きな所じゃないんだ)
 
 翔の膣口は、もうこれ以上伸ばす事は出来ないくらい伸び切っていた。
 狭いその出口を突破しようとする頭部は、今まさに最大の直径の所まで出てきた。
 あと少しだ。
 
(はぁ~~ッ。大きいのが挟まってる)
 最も膣口を広げたまま、翔は次の陣痛に向けて一息ついた。
(大丈夫。きっと裂けない……カトミナの会陰保護は神だし……)

 また痛みが……ぐっと穴が盛り上がって、胎児のおでこまで露出した。
(ここからは急に出すとアソコが裂けちゃう。少しづつ出さなきゃ)
 翔は気を引き締め、必死でいきみを押さえる。

(うう……苦しい……でももう少しだ。やっとここまで来たんだ)
 収縮する子宮内が苦しいのか、激しく動く胎児の動き。
(赤ちゃんも苦しいんだ……ごめん……もう少しだけ待ってて)

 あいかわらずひどい痛みと吐き気が襲う。秘所が限界まで広がり、大きな児頭が股に挟まっている。
 少しづつ頭が出始める。

(あッ出るぅ……ああっ……)
 ついに羊水で濡れた頭が全部露出した。

 少しだけ楽になった。すると、急に肩が飛び出して来た。ここからは早い。頭が出るのにあれだけ時間がかかっていたのが嘘のようだ。
(あ……今肩が出て来た……これはお腹かな……腰、脚……すごい、こんなにはっきりと感じるんだ……)

 体内に残されていた羊水が激しく飛び散ると同時に、熱く巨大な胎児の身体全体が産道をくぐり抜けていった。

 この瞬間、翔は今まで一度も感じた事のない快い感覚に襲われた。
「ああああああああっ!」
 ついに翔と早紀の赤ちゃんがこの世に生まれて来たのだ。

 一気にしぼむお腹。あたかも10か月にわたるひどい便秘が解消されたかのような爽快充足感。ああ気持ちいい。しばらくの間放心状態でぼーっとする翔。

「原口さん、赤ちゃんですよ。おめでとう」
「ありがとう」

 美波から手渡され、翔はへその緒で結ばれたままの赤ちゃんを抱きしめた。
 そして、こみ上げる満足感。
「カトミナ。本当にありがとう。ちゃんと下から産めたよ。あなたに取り上げてもらえて嬉しい」翔は思わず、プライベートでの呼び方で話しかけていた。
「どういたしまして」

「ねぇ、あなたの事、小説に書いてもいいかな?」
「えっ?」
「私、実は小説家を目指して今色んな小説を書いているの。このお産の経験も書いてるんだよ。だから……」
「そうなんだ。私の事書いてくれるの? もちろんOKだよ」

「ありがとう」
「書けたら見せてね」
「もちろん。ちょっと恥ずかしいけど」

 約束どうり、早紀(見た目は翔)がへその緒をカットした。
「こんなに固いんだ。なかなか切れない」
 見た目は細長くてやわらかそうなへその緒も、自転車のチューブぐらいの強度がある。

 早紀は、目の前に産まれた命を見た。本来ならば自分が生み出すはずだった我が子である。自分の代わりに翔がこの世に送り出してくれた尊い命である。

「はあっ……はあっ……」
 分娩台には、何時間にも渡る出産時の疲労から、上気した顔で荒く深い息をたてながら翔が座っていた。その顔は、喜びと安堵に満ちていた。

 更に胸元には、翔と早紀の子が乳に吸い付いていた。翔のはちきれんばかりに大きくなっていたおなかをずっと見ていた早紀は、かなり小さく感じたのだろう。
「こんなに小さいんだね」
「え~。出る時すごく大きく感じたよ」翔は少し余裕が出て来たのか、笑顔で対応する。

「すごいね。何も教わっていないのに、自然に何をすればいいかわかるんだ」
 早紀は、ちゅうちゅうと乳を吸う赤ちゃんを観ながらささやいた。
(そう言えばまだ元に戻らない。たしか目的を達成したら戻るんじゃなかったっけ?)

 翔と早紀は、まだ自分達の身体が戻っていない事を確認し、少し不思議に感じていた。

 これは決して不思議ではない。なぜならまだ出産は終わっていないからだ。

 赤ちゃんが生まれるまでが分娩第二期で、この後まだ分娩第三期が控えている。胎盤やへその緒、羊膜等の胎児の付属物がすべて体外に排出される時期だ。これが終わるまではまだ出産の途中なのである。

 通常ならば胎児娩出後、10分程度で胎盤が出てくるための陣痛が起こり、比較的容易に体外へ産出される。

 ところが、翔の場合、一時間近く経過しても胎盤が出て来なかったのである。
「困ったな。自然に胎盤が出て来ない。先生、もう一度見ていただけますか」
 美波は鷺沼医師に言った。

「まずは胎盤圧出法を試してみます」
 胎盤圧出法とは、子宮マッサージ等で自然に胎盤が剥がれるよう促す措置だ。この際に臍帯静脈から生理食塩水を注入する。

 でも、この方法を用いても胎盤が出て来なかった。明らかに異常である。まさかここに来て異常に見舞われるとは。

「出産中に命を落とすのは、この産後の出血による場合が多いですからあなどれません。仕方がない、用手剥離という処置を取ります。私が手で胎盤を剥がす処置です。少し痛いですけど我慢してください、すぐに終わりますので」

 鷺沼医師はそう言うと、翔のアソコに手を入れて、中の胎盤を剥す措置を取った。
「うううっ、痛ったーい!」翔は、出産時以上の激痛に思わずうめき声を上げる。
(痛いのね翔)早紀はとても見ていられないのか、固く目をつむって顔をそらした。

 鷺沼医師の手によって、なんとか胎盤も排出された。
 と、そのとき、翔と早紀は再びまばゆいばかりの光に包まれ、次の瞬間に元通りの身体に戻っていた。

(早紀、本当にありがとう。僕に出産を経験させてくれて。すごく痛かったけどすごく良かったよ)
(翔、本当にありがとう。私に代わってあんな痛い思いしながら赤ちゃんを無事送り出してくれて)
 翔と早紀は、無言のままじっと見つめ合っていた。

「疲れたでしょ。ゆっくり休んでね」翔は今までの自分が体験していた過酷な状況を思い、早紀に声がけした。
「ありがとう。私、本当に幸せだよ……」

 激しい睡眠不足からか、早紀はあっという間に深い眠りに落ちた。
 無理もない。出産は自分が想像していたよりもはるかに過酷な経験だ。翔は、良く乗り切れたものだと心から思っていた。

◇◇◇◇◇◇

 読んでいただきありがとうございました。

 次の第6話はついに最終回! 翔と早紀の夢の行方は? いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに!

最終話 チャレンジは続くよどこまでも


 最後の最後になってちょっとした異常に見舞われたものの、とりあえず無事に終わった出産。

 退院した早紀と翔は、二人が入れ替わっていた間の思い出話に花を咲かせた。
「今だから言うけどさ、女の人ってすごい刺激的だよね。やっぱり今でも女の人に生まれ変わりたいっていう気持ちは変わらないよ。むしろますます強くなった」
「えーあんなに痛そうだったのに? また出産したいと思う?」
「うん。また産みたい」

「どんな感じだったの?」
「まず、出産中はとにかく痛くてたまらなかった。腹痛フェチの僕でも耐えられないくらいだからかなりの痛みだと思うよ。下痢の100倍くらいかな」

「生理痛と比べるとどう?」
「それわかんない。だって入れ替わったの妊娠した後だから」

「あーそうだよね。どうせなら毎月の大変さも翔に味あわせたかったな」
「そっか。そう言えば女の人が大変なのは出産だけじゃないんだよね」
「そうそう」

「でもね、本当に最後の最後なんだけど、赤ちゃんが出る瞬間がすっごい気持ち良かったんだ。ただカトミナが言うようなオーガズムとは少し違うな。10か月分の便秘が一気に解消したような爽快感だね。スッキリした~っていう感じ」
「それってかなりの快感じゃない」

「その後が最悪。胎盤の用手剝離は地獄の痛みだった。思い出しただけで下半身がキューッて来る。あれはトラウマものだよ。ほんの短時間だけど出産中より痛かった」
「あれは痛そうだったね。本当に入れ替わってくれてありがとね」

 ただでさえ出産時には胎児の大きな体で子宮も膣も擦過傷だらけだ。そんな所に人の手を突っ込まれ、そのうえ貼り付いていた胎盤を無理やり引き剝がされるのだ。いかに痛いかが早紀にもはっきりと想像出来た。

「それでもやっぱりまた入れ替わって僕が産みたいな」
「ダーメ。次は絶対私が産むんだから」
「いいな~」
「何言ってんの。私の代わりに産んだくせに!」

「それに、あの痛みを耐えてでも、女の人の性感はやっぱりうらやましい」
「私みたいにPSASイクイク病でも?」
「だいぶ症状軽くなったでしょ」
「うん」

「やっぱり女の人がいいな~」
「やだな~もう。あれだけ経験すれば十分でしょ」
「あーまた子供欲しいね」

「そんなあせらなくても。これからいくらでも作れるよ」
「あんなに苦労したのに?」

「大丈夫。だんだんコツが分かって来たから」
「それにしても元に戻ってから、PSASの症状がすごく改善されたのはなぜなのかな?」

「やっぱりリラクゼーションが良かったんじゃないかな。カトミナのおかげだよ。良くお礼言っといた方がいいよ」
「そうだね」
(ちょっと心配だけれども。カトミナ、早紀の事諦めてくれればいいけどな。なんかそんな事言ってたっけ)

 二人の話は終わりそうもない。

◇◇◇◇◇◇


 そんな中、ついにカクヨムコンの結果が発表された。

 残念ながら、翔は2作品共賞をとる事は出来なかった。

「まあ、今回初めての応募だからね。しょうがないよ。これからも引き続きがんばっていこう」
「そうだね。翔の『セクシャルマイノリティーが結婚したら悪いか』なんてランキングもいい線いってたのにね」

「ランキングはあくまでも目安だからね。読者選考を通過出来るだけのランクをとれれば、あとは中身で勝負するしかない」
 翔のセリフは、強がりがかなり含まれてはいた。自分の渾身の作品なのだから、やはり落選はかなりショックのはずである。

 でも、あまり落ち込んでいる感じではない。むしろ以前よりも書く事が楽しそうに見える。

「書き上げた時はさ、もうこれ以上の作品なんて自分には絶対書けない、だからなんとしてでも賞を取りたい、って凝り固まってたけど、今はもっと書きたい題材が次々と浮かんで来るようになったんだ。まだまだ勝負はこれからだよ」
「やる気満々だね」

「特に出産体験をベースにした話はもう書きたくてウズウズしてる。カトミナの事も入れてね」
「がんばろうね。私だって負けないよ」

 コンテストの賞は逃したものの、セクシャルマイノリティの造詣ぞうけいが深い人気作家、金畑ヒロが翔の作品を大々的に取り上げ、講評してもらう事が出来た。これをきっかけにyoutubeコミックの原作を作って欲しいとの依頼を受けた。

「ねえ、翔、見てみて。翔が原作を書いた小説がyoutubeで流れてるよ」
「やっぱり嬉しいね。自分の作品に絵が付くってこんなに感動するんだ」
(これで一応、作家の第一歩を踏み出したと言っていいんだろうか?)

 この先どうなるかなんて全く分からない。単にyoutubeコミックの原作に使われただけなのだから。今のご時世、書籍化されたから、コミカライズされたから一生安泰とはいかない。厳しい嵐が吹き荒れて、どこかにふっとばされてしまうかもしれない。

 それでも、翔と早紀は「物語を作る」事を続けるに違いないだろう。

 なぜなら、それが自分達の何よりも好きな事なのだから。


◇◇◇◇◇◇


 翔と早紀は、生まれて間もない子供を早紀の両親に預かってもらい、気分転換もかねて夫婦水入らずで旅に出た。新婚旅行以来で、伊豆のヒリゾ浜の海岸を訪れていた。二人で海を見ながらとりとめもない話をしていた。

「ねぇ、翔」
「何?」
「あれからイブはどうなったの?」

「うん。あいつとにかく冷たいんだ。あの出産の最中に彼女流の激励(?)の言葉をかけてくれて以来、一度も姿を現さない。顔ぐらい見せて欲しいよ。せめて一言お礼を言いたかったのに」翔は、唇を尖らせて不平をつぶやいた。

「たぶん興味ないんじゃない。神様にとっては私達人間がどうなろうが大した事じゃないんでしょうね」早紀は、しょうがないねという感じで応える。
「だろうね」

 そうなのだ。イブにとって翔達人間は手のひらの上の孫悟空みたいなものである。だからこそ、イブはお説教がましい事なんてこれっぽっちも言わなかった。

 翔がどれだけの覚悟で入れ替わりの決意をしたのかの試し方も秀逸だった。
「あれは、本当にアイツらしいやり方だったな」
 翔は、イブと出会った日のやりとりをなつかしく思い出していた。 
(おーい、いるなら一度くらい顔をみせてくれよ)

 それでもイブは全く姿を現す気配も見せなかった。イブも、早紀との入れ替わりも、実は夢だったんじゃないか。そんなふうにも考えた。
(ありがとうイブ。やっぱりお前は僕のたった一人の女神だ)
 変な言い方かもしれない。でも彼女のおかげで間違いなく翔と早紀の絆は深まったのだ。

 何よりも二人の愛の結晶である子供に出会えた。

 それでもまた、いつ夫婦の危機が訪れないとも限らない。愛が永遠だなんて所詮幻想に過ぎないのだ。
 
 でも翔は全く心配していないみたいである。
(大丈夫。そのときはきっとまたアイツが現れる)
 翔は早紀の肩に手を乗せて、寄せては返す波をいつまでも見つめていた。

◇◇◇◇◇◇

「妻の代わりに僕が赤ちゃん産みますっっ!! ~妊娠中の妻と旦那の体が入れ替わってしまったら?  例え命を落としても、この人の子を産みたい」最後まで読んでいただきありがとうございました。

 現在、「第8回角川文庫キャラクター小説大賞」にエントリーしてます。

 もしこの世界観に少しでも何か感じていただけたなら、ぜひ♡評価とフォローをお願いします。

 この小説は私の2作目の長編小説です。私小説と言っても良い前作と異なり、かなり大変な思いをしました。翔と同じく難産です。自分の身の回りとは全く異なる設定。知識も不足していましたので、様々な資料を参照し、インターネット検索等かなり本格的な調査を経てようやく形になりました。でも、以前から書きたかった内容でしたので、とても楽しく書き進められました。

 前作が衝撃のバッドエンドだった事もあり、この物語はなんとしてでも超ハッピーエンドにしようと思っていました。最終話は1か月以上前に書いたものを少し修正したものです。

 よろしければ、私のもう一つの長編小説「ひとり遊びの華と罠~俺がセックス出来なくなった甘く切ない理由」もお読みいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429286397392

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