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きたしろ、恋バナの回

 きたしろです。結論から申し上げますが、今回はすごく短いです。←なんか書き始めてみたら意外と書けるのでそうでもないかもしれません。

 自分のことを、決定的には好きにならなそうな相手のことばっかり好きになります。なんかそういうのってありませんか。自分のことが好きじゃないから特別扱いされない感じとか、かといって雑に扱われるでもなく、その他の友人・知人のカテゴリとして普通に接される感じとか。おれは他人のそのような振る舞いにキュンと来て惚れます。多分。そうなんだ、知らなかった。
 (追記:なんか全く興味なくはないっぽくて、ウケますね。人間と関わるとレスポンスがある場合があり、テンションが上がる場合があります。みなさんも、他人を介在する形でなんらかの精神活動をしてみてはいかがでしょうか)

 こうしている間にも、おれ以外の誰かを好きなひとたちが各々の好きなひとのことを好きだなあと思っている。いや、そうでもないのか。おれも別に四六時中好きだなあと思っているわけではない。ふとした会話の拍子に好きだなあと思う。あとなんか、なんとなーく不意に顔とか声とか喋り方とかを思い出して、良いねの箱にポイっと入れる。そんな感じのものを恋と呼んでいいのなら、おれは人間に恋をしたことがある。している。

 自分も人間的な活動をしているぞ、と思うために恋をしている。のかもしれない。愛や恋というものがよくわかりません。自分のことがよくわからないし、他人のことがよくわからないし、なんならよくわかるものってない気がする。
 どうですか、みなさんにはなにかありますか。これについてよくわかります、と胸を張って言えますか。それはすごいことですよ。財産なので、胸にしまってひっそりと大事にしてください。あんまり言わない方がいいですよ、嫌な人が来て損させられるから。

 恋を通して相手の人格を否定するなんてことはあってはいけないと思うけれど、恋とは得てしてそのようなものなのかもしれないとも思う。思います。なんか口調が気になってきましたが、この件は別で記事にしましょうね。なんだろう、恋の話してるから真剣なのかな。乙女だもん。
 なんか、胸の奥からムラムラっと炎が湧き上がってきて、腰の炎を滾らせるようなものが恋なの……か? 世間ってそうなのか? とも思っていて、いやでもそれは性欲じゃん、と思います。でも衝動に定規を当ててここから内側は恋、外側はますだくんの席、なんていう風にはっきり区切れるものじゃないよなとも思います。思っています、今。
 おれは好きな人(ということにしています、便宜上)が心身ともに健やかであればいいなーと思うし、おれの分は減ってもいいから差し引きで釣り合いをとるように、日々の小さな幸せがいっぱいあるといいなあと思っていますが、なんだか自分でもよくわかっていなくて、これも口で言ってるだけのような気もしています。こういうのを、直接言いがちです。言って、キモ〜、重〜、と感じているんだろうな〜という空気を感じるのをライフワークにしています。していません。
 恋ってよくわからなくて、なんとなく世間でそうであるとされているような恋を意図して行っていて、そのために自分と相手をそれに都合の良い形のレンズ越しに見ているような気がしています。

 衝動に名前をつけようとすること自体が間違いなので、人間は一度言語から解き放たれてみた方がいいのかもしれない。神様は別に高い塔を築いたことに罰を与えたのではなくて、ちょっと人間ちゃん、あんたのそれは恋だって言っていいよ、ってか愛ってことでいいんじゃない? ウチはそう思うけどな〜、という感じで言語を分割したのかもしれません。おれはほんまに何を言ってる?

 ともあれ、おれは特定の他人に対してなんらかの興味関心を抱いていたことがあり、今もおそらくそうだと思います。あなたのことです。人間の精神活動についてなにか知っていたら教えてください。手取り足取り腰取り。これって性欲か。いや普通にピエロかな。

 いやごめん、なんかめっちゃ観念的な話してたけどめちゃくちゃ面食いだったわ。顔が好きな人のことが好きです。

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