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名馬が教えてくれたこと ヒシミラクル

 競馬を始めたのが2002~2003頃なので、この付近の世代への思い入れは強い。群雄割拠で古馬になっても重賞勝ち馬を輩出し続けた2003、4強状態から4歳秋はゼンノロブロイの1強となった2004、1頭の馬の圧倒的実力で競馬の違った見方を教えてもらった2005の3世代は特に。

 ヒシミラクルは未勝利~500万から何となく条件戦でも見ていた馬で、あれだけ勝ちきれなかった馬が最終的にG1・3勝馬になったのは感慨深い。

 G1を勝ち切る格というものがあること。菊花賞での2着ファストタテヤマとの差はハナ差だったかもしれないが、その後大レースでファストタテヤマが勝ち切るということはなかった。有馬記念、阪神大賞典、産経大阪杯といまいちな走りだったヒシミラクルは、その後天皇賞と宝塚記念を勝ち切った。菊花賞では早めに動いて自ら勝利をもぎ取った、G1馬の実力はそういうものだということだ。

 馬には得意な条件があるが、不得意条件も競走能力の成長と共にある程度克服すること。展開・馬場にも恵まれたとは言え、距離が足りない足りないと言われた宝塚記念でタップダンスシチー・シンボリクリスエス以下を下す大勝利。G1勝利と共に馬の能力自体が少しずつ成長して充実期を迎えつつあったことの証であろう。2023天皇賞秋でイクイノックスの相手に自信を持ってジャスティンパレスを選べた人はそのようなことがよく見えていたのではないか? しかしいつまで経っても克服しにくいものもあり、有馬記念は距離が伸びたからと言ってさらに好転はしなかった。ヒシミラクル(サッカーボーイ産駒)も中山は明らかにダメそうだった。この線引きをうまくできるかどうかが馬券の検討には大切ではないか?

 脚部不安で一番よいと思われた4歳秋以降を棒に振ることになったのは非常に残念であったが、酷量を背負った京都記念で雨の淀に観戦にいった際の光景が最後の良い思い出である。私としては「無事に回ってきてくれれば」の思いで観戦していたが、重馬場を追い込んでの3着。結局全盛期の脚力は戻らないまま引退した感じだが、私の競馬参戦初期を彩る一頭となっている。

2024.1.5

 

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