ドMじゃないですー

クソnoteって評判いいですね

 割と身内に評判がいいので思い出したらクソnoteを書いていこうと思う。自分の身はどんどん削っていけ、鰹節みたいに。
 そういうわけで今回は高校生の時怪我で部活を辞めた話を書こうと思う。お、シリアスだぞ???

剣道

 小学生の頃、何か習い事をしてもいいよ、と母が言ったので友達がやっていた剣道を一緒にやることにした。母はそこが私の居場所になってほしいと願っていたそうで、そしてその願いは無事に叶った。
 私は剣道教室に高校生になるまで通い続け、小学生に指導したり警察官の師範に遊んでもらったりと楽しい時間を過ごしていた。剣道が大変に好きだったが、強いわけではなかった。
 そういうわけで、高校の部活動でも剣道をやっていた私は同級生に「まぁ強くないけど好きでやってるならいいんでない?」と思われていた。当然強い方がいいのだが、いかんせん私は勝とうという意志が弱めだった。
 しかしいつまでもお荷物ではいられないので、私も私なりにがんばってストレート二本負けからなんとか抵抗して一本負け、がんばって引き分けにするところまで成長できた。そろそろ勝ちがほしい、と思ったりするところまできたところで、私は怪我でリタイアしてしまった。
 アキレス腱断裂である。しかも二回も。調べたところ、二度のアキレス腱断裂から復帰した高校生もいるらしいが、その人はかなり有力な選手だったようだ。私はそこまで強い選手ではない。つまり復帰は叶わないのだ。
 私の公式戦記録は0勝で終わった。

居場所

 怪我で稽古に出られなくなっても私は部活に通い続けた。試合のスコア付けや竹刀の手入れ、掛かり稽古の時間管理から道場の掃除といったマネージャーのやるような仕事をしていた。
 これらの仕事は、私がやらなければ後輩がやることだ。それを怪我で稽古がもうできない人が、それも弱いけどがんばってて、剣道を好きだと公言していた人が、竹刀も握れないまま、着替えもしないで制服のまま、ストップウォッチでただただ5分計って時間の経過を知らせるだけの仕事をしている。
 どれだけの人をいたたまれない気持ちにさせていたのか、と今ならば考えられる。当時の私は自分が周りからどう見られているかなんて考えられなかった。
 だから懲りずにリハビリのない月曜日と水曜日と金曜日は部活に通い、雑用を続けた。気を遣った同級生に「もう来なくてもいいんだよ」と言われても頑なに通い続けた。
 周りの人は、部活が私の居場所で、稽古ができなくても私がいてもいい場所で、だから離れたくなくてすがりついている、と思っていたのだろう。
 しかし違う。そうではないのだ。

 剣道場からは英会話部の部室が見える。

解答編

 単純な話です。英会話部に好きな女の子がいたんです。でも彼氏ができたんです。だからその子が英会話部の活動を終えてからテニス部の彼氏からの連絡を受け取って部室の電気を消して帰って行くまでを眺めていたかったんです。それには剣道場がちょうどいい場所だったんです。おまけに時間帯がちょうど掛かり稽古のタイミングだったんです。
 だって見てたいじゃん!!! 私高校生なんですよ!? その子のことめちゃくちゃ好きなんですよ!? なんなら私が先に好きだったのに! なんで二年生の時に同じクラスになっただけのぽっと出の男に取られないといけないんだよ!! いいじゃんどうせ校舎から出たら彼氏と一緒に帰るんだから校舎出る前は私が眺めてたって!!! 声かけてるわけでもないしただ見てるだけだもん!!!!!
 こんな理由で私は部活の空気を生贄に捧げて好きな女の子に横恋慕してBSS(僕が先に好きだったのに)(高校生時の私の一人称は僕なので正しい)を噛み締めていた。正直に言うと最高に自虐的で気持ちいい時間だった。
 ちなみに英会話部の活動は月水金だったので、私はその間の火木にリハビリの予定を入れていた。無駄はなかった。火木のリハビリではその女の子から借りたポルノグラフィティのCDをウォークマンに入れて聞いていた。ピンポイントに失恋曲が多かったので気持ちよかった。ジョバイロジョバイロ。
 私は全力で自分の失恋にしがみついた。仕方ないのだ、剣道よりも好きなものを見つけてしまったのだから。そりゃしがみつきもするさ。
 結果剣道を辞めて大学で落研に入った結果ご主人に出会って結婚して子供にも恵まれたし、そのとき好きだった女の子とは今でも仲良くしているのでこれでよかったのだ。
 部活の空気は本当にごめんな!!!!!ゆるして!!!!!!

たぬき「と、いうクソnoteを書きたいんだけどどうかな?」
判断基準「え、たぬき、ドMなの?」
たぬき「ちがいますー」

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