檸檬爆弾

浪人生に人権はない

 むしろあると思ってたんですか? 高校にいるわけでも進学するわけでも就職するわけでもない全くの身分がない浪人生なんかに人権なんかあるわけないじゃないですか。
 そういうわけなので高校最後の年を思う存分BSS(僕が先に好きだったのに)に捧げて志望校全落ちした私は、津田沼にある駿台予備校にえっちらおっちら通っていた。
 駿台予備校津田沼校は下にユザワヤと丸善があった。しかも定期的に骨董品とか天然石とか陶芸とかの展示会をしている。天国だ。人権ないのに天国にいていいのか? 戒めよう、清く正しく浪人生しよう。

予備校の生活

 予備校では昼間に講義を受けて、わからないとこを先生に聞いて、自習室で復習と予習をして、残りの時間でせっせこ自分のやりたい勉強をする。それでも途中で疲れるので、休憩と称してフラフラお散歩をする。
 行き先は丸善の本屋と文房具屋、それからユザワヤのジグソーパズル売り場。それらをぐるっと30分くらいかけて回って、満足してから自習室に戻る。
 本屋さんでは月に一冊だけ小説を買って舐めるように読んでいた。月に一冊だけだから許してほしい。
 こうしてきっちり勉強しつつしっかり息抜きもして、私は見事に第一志望に合格したのだった。 
 どうもお散歩タイムに退勤時間が重なる受付のお姉さんがいたらしく、合格報告の折りに

「よかった合格して! いつも本屋さんにいたから大丈夫かなって心配してた!」

 と言われた。それはたまたまです、たまたま。
 まぁ一年間勉強と読書だけやってたら流石に地方駅弁レベルの学校は通る。問題は私が本当に勉強と読書だけしかやらなかったことだ。

こんなところに同門生

 なんやかんやがあって大学生になった私は落語研究会に入ったわけだが、そこでとある同級生にこう言われた。

「予備校、同じクラスだったよね?」
「???」

 全く覚えてなかった。というか、私は予備校で同じクラスにいた人を覚えていない。私が予備校に通っていて覚えたことは数式と物理公式と化学式と英単語に英文法、評論小説の読み方に漢字と古文文法と漢文、申し訳程度の現社の時事問題に溢れんばかりの森見登美彦ともやしもんだけだった。
 そんな私の口から出てくるのはエクストリームバッドコミュニケーションの言葉だ。

「しりません、だれですか?」

 結果落研卒業まで大嫌われた。当然だ当然。
 もちろん、予備校所属時代に一人で黙々と小説を読みながら母の作ってくれた弁当を食べる私を、同じクラスの女子生徒達が奇異の目で見ていたことにはなんとなく気付いていた。
 でもどうでもよかった。お母さんの作ってくれたお弁当がすごくおいしくて味わいたかったから。
 もちろん、誰とも連絡先を交換しない私を、同じクラスの女子生徒達が奇異の目で見ていたことにはなんとなく気付いていた。
 でもどうでもよかった。予備校に友達をつくりにきているわけではなかったし、どうせ一年しか過ごさない人と仲良くする必要もなかったから。
 もちろん、放課後に同門生の誰とも談笑せず講師室に駆け込んで講師と話したがる私を、同じクラスの女子生徒達が奇異の目で見ていたことにはなんとなく気付いていた。
 でもどうでもよかった。先生の方が勉強には詳しいし、話し方も上手だし声も良かったから。
 まぁその、私はあまりにストイックで浮いていたのだ。そりゃ悪目立ちするし嫌われるのも残念でもなく当然。
 じゃあそんな予備校生活が辛かったと言われると、そんなことはない。予備校で教わったことは今の仕事や趣味に活かされているし、そこに付随する記憶に苦痛の感情はない。

十分拗らせてるよお前は

 かくして一切の交流を排してテキストとノートとシャーペンと文庫本と大人とだけ向き合った私は無事に第一志望への二年におよぶ片想いを成就させ、約束だった一人暮らしの切符を得た。
 予備校の合格祝賀会でチューターの大学生(話したことがない)の挨拶を眺めながらジュースをちびちび飲み、ハッピーターンをもそもそ食べ、打ち上げ(誘われてない)に向かう同門生の後ろをすり抜けて、担任と受付、お世話になった講師陣にお礼と別れを告げた私は、いつもの散歩ルートを通った。
 これでここを通るのも最後になるかもしれない。エスカレーターをおりてユザワヤのジクソーパズル売り場を眺め、もう一度上がって本屋をぐるっと回る。その上の階にある専門書売り場に併設された文房具コーナーで見慣れないものを見つけた。レモンの模型だ。
 ショウケースの中には黄色に輝く万年筆が展示されていた。その年は梶井基次郎の「檸檬」発行から95年で、その記念品だそうだった。「檸檬」なら知っていた。教科書に載ってた。
 ふと魔が差した。一年間がんばったから多少のことは許されるのでは?
 私は店員がいないことをいいことにそのレモンの模型を失敬すると、写真集売り場の本を引っこ抜いていい感じに積み上げた。元々色彩豊かだった本のおかげで実にいい感じのタワーができた。そして、その上に檸檬を置くと、妙な達成感を胸にぴゃっと逃げた。逃げながら檸檬爆弾が爆発していく様子を想像して、しめしめやってやったぜと妙な恍惚を抱いていた。

 という話をいつもAmong Usやってる鯖の人に話したら「一周まわって気持ち悪い」と言われたのでここに供養しておきます。
 若気の至りだね本当にね。でもわかってよ、丸善だったんだよ?

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