電車の中で見ても大丈夫なバスでしか会えない友達の話

スラム街に上流階級の気配

 スーパーに向かう途中に、カナリアを飼っている家がある。前を通ると鮮やかな鳴き声が聞こえるのだが、今日はその家からヴァイオリンの音色が聞こえた。CDなどではない、生身の人間が練習している音だった。
 ところどころに町工場があり公園には住所不定仙人が住まいスーパーではトイレットペーパー、ティッシュ、マスク、納豆などの買い占めが行われたスラム街にあるまじき上流階級の気配にしばし足を止めた。
 そういえばヴァイオリンをずっとやっていると頬と顎の間に痕がつくんだっけ、と思い出した。そのことを教えてくれたのは小学生の頃からずっとヴァイオリンをやっていた友達だった。
 友達だった、といっても私が一方的に友達だと思っているだけの存在だ。なぜなら私とその子はほんの少し塾で隣だったあとはバスの中でしか会えなかったのだから。

隙あらば自分語り

 人生で一番勉強した時期は? と聞かれてたいていの人は大学受験を挙げる。私も恐らくそうなのだけれども、自分の意識として一番勉強したのは中学の3年間だ。
 私の父は勉強で身を立てた人で、当然自分の子供にもそうあって欲しい人だった。そういうわけで難しい数学の問題やら理科の問題やらのテキストを買ってもらって延々と勉強したのだったが、どれだけ勉強しても私が学年10位以内に入れたこと一度しかなかった。
 結果私の学校の通知表は上の下で、まあ学区内5位の高校ならギリギリ通るんじゃないかな? という認識を担任も私も持っていた。が、中学3年の時に入った塾では全く違う結果だった。

「志望校上げませんか?」

 何度もこの言葉を塾の担任から言われた。塾の模試の成績では、私は県内1位の高校にすら手が届くものだった。塾と学校の成績が乖離している。
 しかしそこは中学生、出会って数ヶ月の塾講師よりも2年以上の付き合いがある教師の意見を優先する。私は何度志望校を上げるアドバイスを受けても、塾のクラスを上げることを勧められても頑なに首を横に振り続け、挙げ句の果てに塾への不信感すら抱いた。
 そんな私の困った顔をいつも見ていてくれたのが、隣の席の女の子、ヴァイオリンの君だった。彼女と私は大体クラスで1位か2位で、成績順に並べられる座席ではいつも隣だった。

「志望校上げないの?」

 と彼女に聞かれたことがある。私は素直に答えた。

「学校の成績と違いすぎる。何かの間違いだよ、だって定期テストで10位以内入ったことないもん」

 それ以降彼女はなんとなく私の味方をしてくれるようになった。だがその関係も秋口までだった。彼女は一つ上のクラスに上がることになった。 
 私は多少別れを惜しんだが、一つ上のクラスといえども3歩先の部屋だ。休憩時間では普通に顔を合わせるし、模擬試験の際には同じ部屋だったりもした。
 そうして私も彼女も第一志望の高校に無事に合格した。塾の世話になることもなくなり、会うこともなくなったはずだった。

 ちなみに、成績は塾の方が正しかったようだ。高校受験から数年後、大学入学時に発覚したことだったが、私の中学からは東大生が4人、京大生が1人、医学部が2人出たのだった。そんな奴らに勝てるわけないだろ!

バスの一番後ろが特等席

 バスにはあまり人が座りに来ない、5人掛けの最後部席がある。私の定位置はそこの左端だった。雨の日は田舎のバス特有の安全ピンやら油性ペンで前の席に刻まれた下品な落書きを眺めながら帰るのが高校生になった私の日課だった。
 そんなときに私を見つけると笑顔で手を振りながら隣に座ってくれたのがヴァイオリンの君だった。中学生の頃は塾まで車で迎えに来てもらっていたため気付かなかったが、私と彼女は比較的近くに住んでいたのだった。同じ小学校の学区内だ。それなのに面識がなかったのは、彼女が私立の小学校に通っていたからだ。
 私が公立の小学校に通い裏庭の石をひっくり返してダンゴムシを捕まえたりドブでザリガニを釣ったりして遊んでいる間に、彼女はきちっと制服を着て勉強をして習い事のヴァイオリンに励んでいたのだった。家庭環境が違いすぎる。
 私と彼女は隣に座って学業や部活動の話をしたり、読んでいる本の話をしたりと穏やかな数分間を共にし、下りるべきバス停に到着すると手を振り合って別れた。そのときにヴァイオリンをやっていると頬と顎の間の皮が分厚くなって黒い痕のようなものになると聞いた。
 痛かったり嫌になったりすることはないのかと聞いたこともあったが、ヴァイオリンは彼女が好きでやっているから構わないそうだ。私も剣道が痛かったりするが好きでやっているから構わないや、と言った記憶がある。
 私は自分の好きなものを続けている彼女に仲間意識とほのかな友情を感じていた。彼女もそうだったかは聞いたことがなかったが、同じ学校に通ってもいないのに笑顔でこちらに近づいてきてくれた彼女は、少なくとも私に対して好意的だったといえるのではないだろうか。

晴れの日もずっとバス

 彼女が晴れの日もずっとバスで通学しているのを知ったのは高校2年の秋だった。私はその年の夏休みに左のアキレス腱をバッサリ切り、しばらく松葉杖をついて生活することになった。帰りにバスの乗った時、雨の日でもないのに彼女が乗り込んできて驚いたのを覚えている。

「あれ、いつもバスだったんだ」
「どうしたのその足!?」

 当然の反応だ。私は夏休みの間に3本足歩行の自分に慣れていたが、彼女はこんな私を初めて見たのだから。
 彼女は私を気遣ってくれたが、特に関係性が変化することはなかった。私は毎日リハビリで部活が終わるのとそう変わらない時間にバスに乗っていたし、彼女も同じバスに毎日乗っていたので、この期間はほぼ毎日一緒に帰っていた。
 私の松葉杖は10月頃に一度取れたのだが、11月から再び松葉杖生活となった。またアキレス腱を切ったのだ。それも同じところを。
 実はアキレス腱には残機があり、2度は縫い合わせられるが3度は縫い代がないためもうない。次にアキレス腱を切れば私は人工腱を入れる必要がある。そういうわけで、私はその日を境に高校剣道を諦めた。
 一度手放した松葉杖をまた私が抱えているのを見て、ヴァイオリンの君はたいそう驚いた。

「またやっちゃったの?」
「うん、部活もやめることにしたよ。もうさすがに治すの間に合わないし、色々厳しい」
「そっかぁ」

 彼女が残念そうにそう言ったのは覚えている。彼女には私が小学生の頃から剣道をしていたことは話していたから。人工腱の話はしなかった。そこまでシリアスな話はしたくない。
 それでもやはり私と彼女の関係性が変化することはなかった。変わらずバスの中だけで会い、とりとめもなく話をし、目的地に着くと別れた。
 ある日、私は髪を短くした。12月のことだった。彼女は驚いたが笑った。

「失恋でもした?」
「え、うん」

 一瞬で見抜かれて驚いた。私が形から入る方でそういった文学に親しんできたことを、彼女は数分間の積み重ねでよく知っていたのだ。
 ベタだなぁと彼女は笑ったあと、小声で秘密を教えてくれた。

「私も、この前失恋したんだ」
「じゃあ一緒だね」
「ね、一緒」

 私はまた彼女に親近感を得た。そして、予備校に通い始めるまで二人で一緒に帰り続けた。予備校に通い始めるとめったに会うことはなくなり、時折訪れた幸運をかみしめるようになった。

今は遠きヴァイオリンの君

 ヴァイオリンの君は薬学部に進み、薬剤師になるのが夢だと語った。私は何かを作れる人になりたいから工学部に行く、そして一人暮らしをするのが夢だと返した。

「じゃあ大学生になったら会えなくなるね」

 と言われた時、じわっとさみしさが染みた。さみしいとは心が寒くなることだと当時の私は思っていた。
 高校三年生の夏休み、夏期講習の時に久々に出会った彼女はいつも通り高校の制服を着ていた。

「私、大学生になったらどんな服着たらいいかわかんないな。ずっと制服だったから」
「少なくとも、もう白い靴下をはかなくていいよ」
「確かに! 私小学校からずっと白い靴下だ。いいね、高校靴下自由で」
「それでも白か紺色だからね、僕も私服自信ないよ」

 こうして私と彼女は一度も同じ制服を着ることなく進路を別にした。彼女は現役で大学生に、私は1年の浪人を経て実家を出た。それ以降会っていない。

 彼女は元気にしているだろうか? 薬剤師になっただろうか? このご時世で辛い思いはしていないだろうか? などなどを考えてしまう。
 きっとあの家からヴァイオリンが聞こえるたびに彼女のことを思い出すのだろう。あの頬と顎の間にできていたヴァイオリンを長く続けている証を思い出して、幼い頃から積み重ねてきたものを諦めないでいられたことに若干のうらやましさと尊敬の念を抱いていたことを振り返るのだろう。
 せめて連絡先を聞いていればよかったな、と後悔している。でも彼女のことだ、きっと幸せに暮らしているのだろう。そうだと信じている。

 書いて思ったけど、これ百合じゃね? くそう高校生の頃の自分がうらやましい……

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