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私にとってのRRR(ネタバレあり)

RRRについてのあれやこれやを書き留めておく。
結論)対等な3人。私にとって、RRRは映画自体が一生の友達

2023年2月25日(土)が私にとっての初RRRだった。なぜ見たかというと、高橋一生さん主演の「岸辺露伴ルーヴルへ行く」が5月26日公開で、そのフライヤーを入手したとTwitterで相互さんたちがつぶやいていたから。映画が上映される映画館は自宅から約60キロ離れており、最初はそれだけのために行くのはやめようと思っていた。ふと、気持ちが変わり、「どうせならついでに映画を見てこよう」と思い、いつも運転してくれる夫にRRRと別の映画とどっちがいいか聞いて、夫が「インド映画にチャレンジしてみよう」と言ってくれた幸運に感謝しかない。

RRRに関しては、地元で上映されておらず、上映されていれば予告編でその存在を知ることもできたのだが、うっすら何かの記事で「すごい」というのを読み、上映館を検索してみて時間が合わず、そのうちに上映が終わっていた。

という程度で臨んだRRR。
思うままに書いてみる。(※監督や主演2人の2022年10月の来日インタビューや、何十回もRRRを観てきた先輩方の考察が多々出ているので、検索エンジンでRRRまたはTwitterで#RRR で調べてください。私の意見もそれらの影響を受けています)

●予告編の1000倍すごい 
具体的な題名は書かないが、今まで映画館で見てきた中で、映画の見せ場が予告編の場面だけだった映画や、事前のPRが上手すぎて、実際の映画は内輪ネタオンパレードにすぎず、がっかりしたことがある。
RRRも1分程度の予告は見ていたので、アクションシーンがすごいようだという印象はあったが、実際は、予告編はほんの一部だし、歌やダンスの場面だけの動画や歌を集めた動画、セリフを集めた動画、BGMだけの動画など様々YouToubeに出ているが、どれだけそれらを見て聞いても、また映画館に行きたくなる。

●最初はラーマに眼がいくが。。。
ペンライトや発声OKの上映も全国で時々開催されている。その中のある会場では、赤いペンライトが8、青が2の割合だったそうだ。赤は炎=ラーマ、青は水=ビーム。私も最初はラーマに目を奪われた。劇的な登場場面、改心と神のような変貌。アクションシーンのジャンプやキックの美しさ。インド映画を見たことがなかったので、あれが普通なのか分からないのだが。
キャラクター上でも、2人は違っている。性格も、行動も。
例えば冒頭の橋から飛び降りるところ、ビームは割と「わあああ」という感じで両手を上げて飛び降りるが(実際の撮影も、高度差のあるセットで、中の人は高所が苦手だそうだ。そのプロ魂)、ラーマの飛び降り方は静止しているかのような、歌舞伎の見得のような、美しい動きだ。

6回観て今の感想は、「ラーマとビームは対等」だということだ。彼らの見た目(つくり込んだボディや長いまつげその他)は置いておいて、冷徹なビームと語り合い、共に踊り、ビームを探してビームの仲間を拷問していたゆえに毒蛇に噛まれたラーマを、そうとは知らずに助け、ラーマに捕らえられても一切の泣き言や愚痴を言わず(『俺が助けてやったのに!』と言いたくなるのは観ている私だけで、ビームは決して言わない)、鞭打ちで跪かずに歌で民衆の心を動かす。あの場面はまるでキリストの磔刑のようだと思ったが、無私のビームのattitude(態度・振る舞い)が、ラーマをも動かす。
ラーマは大義を捨て、ラーマをマッリと共に逃がすことに決める。ラーマは自分のおじには話すが、ビームはそれを知らない。ビームの首吊りの場で、陰ながら他の警官たちを美しい足技で薙ぎ倒し、ビームの後ろから狙う警官を撃つが、ビームはラーマの方を向いていたので、自分が狙われたと思い、ラーマを殴り、すんでのところでラーマを殺しそうになる。
ラーマは囚われ、ビームは逃亡の途中で、ラーマの許嫁のシータからラーマの過去と想いを聞く。そして涙ぐみながら「ラーマを連れて帰る」と宣言する。ここで、ビームはなんて素直なんだろうと毎回思う。ラーマに聞かされてなかったから、ラーマが自分を助けようと心変わりしたことなど、知るはずもないのに。

●ビームは一見目立たないが、水のように寄り添う
ラーマを想起させる炎が、この映画の随所に出てくる。炎は見た目も派手だし、分かりやすい。それに対して、ビームの水は、炎の華々しさに比べたら、一見地味だが、言うまでもなく私たちは水がないと生きていけない。ビーム自身が水のように状況に柔軟に寄り添う。例えば、ビームはラーマを何度も助ける。
○毒蛇に噛まれたラーマの命を救う
○ラーマを独房から救い出す
○独房から救い出したラーマを肩車して死地から逃れる
○兵舎の森でラーマの膝に薬草を塗り、神像に供えられていた弓矢を授ける

ラーマの華々しい活躍は、ビームの助けがあったからこそ、一層引き立つ。

●RRRの意味
そもそもこの映画を知る前、「RRRってどういう意味?」と思っていたのだが、当初、監督と主演2人の名前からとった仮題だったのが評判が良く、後でRise(蜂起)、Roar(咆哮)、Revolt(反乱)のサブタイトルをつけたり、冒頭にSto Ry、fiRe(ラーマ)、WateR(ビーム)として紹介される。
つまり、ラーマとビームは対等なのだ。

●RRRの魅力
何度も書くが、インド映画をほとんど知らない。RRR後に『マガディーラ』と『バーフバリ』完全版その1、その2をプライムビデオで観ただけなので、これまでのインド映画の蓄積を知らないのだが、私はRRRのダンスやアクションシーンが大好きだ。それは私自身が「まず行動」「体験してみる」という傾向があるし、ズンバというダンスフィットネスに週5で参加しているから、あのような身体の動きが難しいと日々実感しているからということもある。
それと同時に、毎日賛嘆しているのは、RRRの歌の秀逸さだ。聞けば聞くほど、楽器やメロディや歌声が好ましい。子どもの時から「コンドルは飛んでいく」のような、土地の空気感を感じさせてくれる歌が好きだし、ビートルズが好きだったので、インドの楽器も好ましいのかもしれない。
RRRの歌を聞くと、声や楽器の震えから、空間の広がりを連想する。大地の豊かさや、大地への感謝を感じる。私にとって、空間の広がりや、大地とのつながりは「自分らしく在る」「自由」を意味して、とても大事だ。

●自分なりの意味
いずれ映画館から消えるだろうRRR。これまでも消えてはまた復活しているし、それが終わっても、私はもうRRR前の自分とは異なる。
RRRのお陰で、毎日が濃密だし、毎日楽しい。例えば私にとって苦手な仕事も、RRRの歌を脳内再生することで、集中力を保ち、乗り切っている。
監督と主演2人も、複数のインタビューで「RRRの撮影に関われたことは一生の宝物だ。この関係(主演2人は共演前から友人だったが、この撮影を通して、一層強固な友人となった)もかけがえのないものだ」という主旨のことを話している。
彼らの大変さ(コロナ禍で撮影延期になる中で、あのボディを維持していたこと、スタントなしでアクションを演じたこと、一つの場面の準備やリハーサルや撮影が何週間にも及んだこと、それらの積み重ねが3時間の映画になったこと)もさることながら、彼らがそれを「大変」とは言っていないことがすごい。
「得難い体験だった」「挑戦させてもらった」
それが彼らが大スターだからなのか、インド特有のポジティブさなのか、これからも探求を続けていきたいが、彼らの前向きさを見習いたいと願う。

●RRRは一生の友達
私はこれまで自己啓発系の学びをいろいろ続けてきて、これほど短期間に、これほど効果のあった学びは初めてだ。
RRRは人によって「脳内麻薬」「サウナのように整う」「心の筋トレ」と様々に言われる。
私にとって、RRRは、一生の心の友人だ。いつでも共にいてくれ、いつでも力を貸してくれる。

出会えたことに感謝します。そしてこれからも、RRRに関わった全ての制作者やスタッフのますますのご活躍を心から祈念しています。

※余談※
1)RRRの中の「Naatu Naatu」が第95回アカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞した。2023年3月のLAでのアカデミー賞授賞式に参加した時の記念写真の1枚に、監督と2人が手をがっしりつないで写っているものがあり、最初はビックリしたのだが、その後、2022年3月のインドでの映画公開に先立って、インド各地でのRRRのPRや合同インタビュー時に、2人が手を繋いだりくすぐりあったり、頬を寄せ合ったりしている写真や動画を多数拝見した。

監督はRRRで「インドでは普通の友情を表現した」そうだが、一部では2人に二次創作としてそれ以上の交流を妄想する向きもあるらしい。(インドでは俳優の熱烈なファンが善意で俳優本人のアカウントに、@をつけてツイートを知らせて誤解を招きかねないので、妄想は鍵垢でやってねというお知らせも出ている)

映画上では一切そういう表現はないし、仮に彼らが役の上でバイセクシャルだったとしても、私にとってこの映画の素晴らしさは全く損なわれない。(私は人の性的指向は何でもOKだし、私自身は人を恋愛感情ではなく、人として尊敬することが大事な価値観の一つなので)

2)彼らはこの映画を離れたインタビューでは、RRRの役とは逆の印象を受ける。役の上であまり笑わないラーマの中の人、ラーム・チャランさんは笑顔が美しくて、朗らかで愛妻家(人前で奥様を幸運のお守りだと話している)。

ラーマ兄貴と一緒に過ごしている時のアクタル(ビームの仮の姿)は可愛くて人懐こい感じなのに、ラーマを蛇毒から助ける時に仲間に指示を飛ばす時は、優秀さを発揮する。そして、中の人、NTR(とても長い名前の略。愛称はタラク)さんは、ダンス動画や写真などで見る限り、カッコいい、都会的、洗練されているという印象なのだが、「監督が僕にビーム役を当て書きしてくれた」と読んで、嬉しい驚きを感じている。

タラクさんがおっしゃっていたように、「ビームはイノセンス(無垢)」という部分もあれば、ラーマの手助けもあったにせよ、英国人女性との恋仲が成就するというちゃっかりさもあれば、虎を生捕りにする敏捷さや勇敢さもあれば、虎に「利用してすまない、兄弟」と祈る清らかさもある。
人は多面的な存在で、ビームとラーマのダイヤモンドのブリリアントカットのような多面的な輝きが、一層私を魅了する。

3)チャランさんがボディガードに守られて移動する動画を拝見して、その凄まじさ(容赦なくファンが近づいてくる。誕生日には花びらをバッサバッサと振りかける。ギャ〜という私には騒音にしか聞こえない声援)に、大スターがプライベートではほっとできますようにと祈るのみだ。

そういえば、インスタグラムで監督と2人が、それぞれに自宅で庭を竹箒ではいたり、床を拭き掃除をしたり、洗濯物を畳んだりしている動画を拝見したが、ほのぼのと微笑ましい。

4)彼らの母語はテルグ語。インドには22の公用語があり(使用されている言語は200以上)、テルグ語は8000万人が話しているそうだ(日本語並みの多さ)。巻舌が難しそうなのと、文字がさっぱり区別がつかない。「基礎テルグ語」という本(日本語字幕の監修をされた山田桂子先生著)の到着を待って、今後も学んでゆきたい。


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