手水の使い方

客は茶席に入る前に手水鉢の水で手・口を清めます。露地にある手水鉢は「蹲踞」「立石形」など様々な形式がありますが、大半は「蹲踞」であります。「蹲踞」は手水を扱うのに身をかがめ、つくばうので「蹲踞」と呼ばれております。その前には「水門」という使った水を流す穴があり、その回りに三つの役石があります。正面にある石を「前石」といい、この上につくばい手水を扱います。右側には「手燭石」があり、夜に行われる夜咄や夜会のとき手元の明かりを取る手燭を置くためにあります。左側には「湯桶石」があり、極寒のとき湯桶をこの上に出します。この様に一つの手水鉢と三つの役石が基準となりますが、手水鉢の形式により役石がかわることもあります。
・ 蹲踞の上に手なりで置かれた柄杓を右手で取り水を汲み、左手を清めます。
・ 柄杓を左手に持ちかえ、右手を清めます。
・ 再び、柄杓を右手に持ちかえ、左掌に水を受け、その水で口をすすぎ清めます。
・ 柄杓を縦にし両手で持ちの残り水で柄杓を清めます。
・ 蹲踞の上に戻します。

風邪やインフルエンザが流行ると「食事の前に手を洗い、うがいをすることです。」などと耳にすることがよくあります。これは除菌するために行われている事だと思いますが、手を洗い、口をすすぐという所作は古くからある習慣であります。それは単なる除菌するためでなく、とても深い意味があるのです。
様々な宗教では手を洗い、口をすすいでからお祈りを致します。例えば、神社に行きお参りをする時には境内にある手水鉢で手を洗い、口をすすいでからお参り致します。誰もが一度はその光景を目にしたことがあることでしょう。当然これは除菌ではありません。菌を除くのではなく、けがれを除くのです。そして「洗う・すすぐ」という所作の中には、「清める」という精神的意味があるのです。
千利休の弟子である南坊宗啓が書いた『南方録』という利休茶湯伝書には、こうあります。「易のいはく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、客も初の所作に手水をつかふ、これ露地・草庵の大本也、此露地に問い問ハるゝ人、たがひに世塵のけがれをすゝぐ為の手水ばち也、」。この最後にある「たがひに世塵のけがれをすゝぐ為の手水ばち也、」ここが大切なことです。手水鉢は世のけがれを清めるためにあるのです。茶事の流れでは、亭主は客を初めて出迎える前に露地にある手水鉢にて手・口を清めます。そして客も茶席に入る前に亭主と同じように手水鉢にて手・口を清めます。けがれを清め客を迎へ、けがれを清め客となるのです。
「手を洗う、口をすすぐ」という所作は、何気ない習慣ではありますが、本来、世のけがれを「清める」といった意味があるのです。日常生活の中でも客をおもてなしする、客になりおもてなしを受ける、食事をするときは、この「清める」という気持ちを習慣にしなければならないのです。

コンフォルト2003/3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?