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僕はこうしてビデオグラファーになったんだ

「結婚おめでとう!プロフィールムービー作らせてよ」
これが僕がビデオグラファーになったきっかけだ。

日本一映像を楽しむビデオグラファー のだいげんです!
とかって言ってるけど、数年前まで一眼カメラで動画が撮れることを知らなかった普通のサラリーマンだった。

現在チャンネル登録者は2.5万人。
色々なカメラやレンズや周辺機器を使って日々発信している。

そんな自分がどのような経緯でビデオグラファーになったかを語っていきたいと思う。

きっかけは一本の電話だった

「だいげん、オレ結婚するわ」
高校の時のサッカー部のキャプテンから一本の電話がかかってきた。

「まじか!?結婚おめでとう!プロフィールムービー作らせてよ!」
結婚の報告を聞いた僕はなぜか咄嗟にこう言っていた。

もちろん今までプロフィールムービーを作ったことはない。
動画を作った経験といえば、学生時代に活動していたバンド「MEAT STICK BROTHERS」の適当なMVと、彼女(今の妻)と海外旅行に行った際の思い出の写真や動画を適当につなぎ合わせたVLOGとは到底いえないような拙いものだけだった。

そんな僕が「プロフィールムービー作らせて」だなんてなんで言ってしまったのかよくわからない。
とにかく、この一言で人生が大きく動いた。

カメラはSonyのα55だった。
営業先の医者がカメラ好きで(会社員時代は製薬会社の営業マンだった)、共通の話題が欲しくて買ったカメラだ。
ちなみにその医者はC社のカメラを勧めてきたが独断と偏見でSonyのカメラにした(デザインで選んだ)。

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この時に買ったα55がFHDで動画を撮影できるカメラだったのもまた運命だったんだなと思う。
当時はFHDで撮影できるミラーレスカメラってあまりなかったんじゃないかなぁ。

そうして結婚式の動画を試行錯誤して作った。

式の当日は今までにないぐらいにドキドキした。
自分が作った動画で会場の人がどういう反応をするのかわからなかったからだ。

結果は大成功だったと思う。
プロフィールムービやサプライズムービーでは驚きの声が上がった。

何よりも嬉しかったのは新郎の父からの最後の挨拶で「こんなに素晴らしい動画を作ってくれる友達を持った息子が誇らしい、だいげん君ありがとう」と言ってくれたことだった。

もしかしたらこの一言が今の自分の原動力になっているのかもしれない。
こうして初めての誰かのための映像製作は強烈な成功体験で幕を閉じた。

ちなみにこの友達とは今でも家族ぐるみで付き合いがある。
北海道へ帰省する度にみんなでどこかに出かけるし、離れている期間はDAIGEN TVを家族で視聴してくれているみたいだ。

日々の忙しさに動画なんて忘れていた

あの結婚式から数ヶ月後、僕はあんなに動画って面白いと思ったのにそんなことはすっかり忘れていた。
日々の仕事が猛烈に忙しかったからだ。

仕事の付き合いでよさこいをやったりもした↓

モザイク

当時の僕は北海道大学病院という会社にとって北海道で一番大切な取引先を担当していた。

僕の担当している大学は「糖尿病」の分野で有名な先生がいて、その先生の講演のアテンドをするために全国を飛び回った。
出張に次ぐ出張。

東京、大阪、福岡、仙台、名古屋、広島、京都、千葉、香川、熊本、横浜、釧路、旭川、函館・・・。
数え切れないほど飛行機に乗った。
飛行機に乗りすぎてANAのステータスメンバーになった。

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そうこうしているうちに動画のことなんてすっかり忘れていた。

毎朝6:30頃から大学病院に入り、通常は21:00帰宅。
週に2回は24:00まで大学病院にいると自分で決めた。

仕事が楽しかった。

そうして仕事に没頭しているうちに、大学病院内での信用が高まり、担当している薬の売り上げが驚くほどに上がった。

僕が務めていた会社ではトップセールスマンの表彰制度があり、1年間の売り上げ達成率で上位1%に入れれば表彰されフランスに行けるという制度があった。

当時営業マンは1200人ほどがいたので12人がフランスに行けるような仕組みになっていた。

その年僕は絶対にトップセールスになると決め、上司に「今年はフランスに行きたいので担当交代は絶対にしないで欲しい」と伝え、医者には「今年はトップセールスになりたいので他社かうちの薬かどちらでも良い2択になった時は僕のことを思い出して欲しい」と伝えた。

上司は「おう、頑張れ」と答え、医者の7割ぐらいは「応援するよ!」と言ってくれた。

そうして4ヶ月がたって、僕の売り上げは過去にないほど上がっていた。
後8ヶ月キープできたらフランスだなと思っていた矢先に大きな裏切りにあった。

突然の転勤

上司から急な転勤の打診があったのは3月末。

「飯田さぁ、悪いんだけど急遽福岡に欠員ができたから行ってくれ」と。

僕は上司に詰め寄った。
転勤させないでくれと言ったこと、売り上げが順調なこと、フランスに行きたいこと。

「転勤は拒否できるんですか?」と聞いたら、「一応希望は聞くけどもうほぼ決まりだ」と、、、。

そうして急遽福岡への転勤が決まって福岡で引き継ぎをしているときに電話がかかってきた。

「やっぱ大阪に行ってくれ」

会社への忠誠心が急激になくなっていくのがわかった。

そうしててんやわんやして個人的に日本で一番住みたくない都道府県の大阪に転勤が決まった。
大阪でも色々あったが、ここでは割愛する。

大阪で2年ぐらい働いたころ、仕事がつまらなくなっていた。
ふと結婚式の動画を作ったことを思い出した。

あれ、楽しかったな。
まさか、動画を仕事にできたりするのかな??
いやでも動画素人だしどうやるんだろ?
無理じゃね???
あーでもあれが仕事になったらなぁ・・・。
と日々思うようになった。

オンラインサロンでの出会い

その頃僕はくすぶっていた自分を変えたくてホリエモンのHIUという月額1万円もするオンラインサロンに入っていた。

そのサロンメンバーのカレー屋さんがクラウドファンディングをする!PR動画を作りたい!という言うのだ。

僕はここだ!と思い手を挙げた。

そのクラウドファンディングは大成功し、多分僕が作った動画も微力ながら貢献できたと思う。

それからやっぱり動画を仕事にしようと思ってSonyのα6500を購入し、他のサロンメンバーのクラウドファンディングの動画を作り(当時HIU内ではクラファンが流行っていた)、自身でもクラファンを立ち上げビデオグラファーとしての道を歩み始めた。

その時のクラウドファンディング

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とは言ってもその頃は僕も結婚しており、妻のお腹の中には赤ちゃんもいたのですぐに会社員を辞めるという選択できなかった。

しばらくは週末ビデオグラファーとして活動した。
どんな些細な案件も受けた。

京セラドームでの野球イベント、餃子イベント、テックボールイベント、人力車に乗るのが趣味な人の記録動画、料理人の動画、ラーメン屋さんのPR動画、ホリエモン祭りの告知動画や記録動画など報酬はほとんどなかったがとにかくいろいろやってみた。

天ぷら屋さんの動画を作った時に「これは思ってたクオリティと違う」と言われたこともあった。

サマソニのちっちゃいブースの撮影もやった。
↓これは空き時間に行ったlocofrankのステージ

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そうして1年がたった頃、会社が早期退職を実施すると言いだした。
「退職金を上乗せするから辞めたい人は辞めてくれ!」というものだ。

ここだ!と思った。
迷わず手を挙げた。

まだスキルも人脈も何もなかったが、この機会を逃したらもう一生動画を仕事にすることはできないと思った。
全ては後からついてくると思った。

上司や同僚から「え?まじで辞めんの?」というようなことも言われた。

「会社員辞めたら大変やで。全部自分でやるんやで」と会社員を辞めたことのない人からの謎の上から目線アドバイスも貰った(お前誰だよと思った)。

勢いで独立したんだ

とにかくこの早期退職の機会を逃せないと思い、誰のアドバイスも忠告も一切聞かずに仕事を辞めた。

2018年6月のことだった。

すでに子供は生まれていたが妻にも退職金が出るから辞める、しばらくお金には困らない(何年も前から仕事を辞めたいと言っていた)。
と伝えた。

期限は2年間と決めた。
2年で生活ができるようにならなければ何かしらの会社員に戻ると決めていた。

その後「ブルバナチャンネル(現DAIGEN TV)」を開設し、鳴かず飛ばずの期間を経て今に至る。

人生に責任を持つのは自分だ

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色んな人がいろいろなことを言ってくる。

同僚、上司、友達、家族、飲み屋で隣に座ったおっさん。

ほとんどのアドバイスや助言は聞く必要がない。
自分の人生で経験をしたことのないことに、否定的になってしまうからだ。
人は未知との遭遇に恐怖を覚え"とりあえず否定"してしまう。
知らないことに対して理解を示して肯定するより否定することの方が楽なのだ。

誰かの根拠のない助言はあなたの人生の責任を取ってくれるわけではない。
責任を取るのはいつも自分自身だ。

やるかやらないか。

どちらを選択しても良い。
死ぬ直前にあの時あぁしとけばよかった・・・と極力後悔しない人生を送れるように必死に考えて選択をすれば良い。

僕は息子にカッコ良い背中を見せられる人生を送れる可能性の高い選択をした。

さぁ、あなたはどうする?

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