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育ちがちがう

仕事をしていて、予想外にひとりぼっちになることがある。
例えば、話が少し面倒な感じに傾いたときや、声の大きい人がずれた方向に行こうとしていたときなどに、なんとかせねばと解決しようとする(しますよね?会議終わらないよ?)。そうすると、そのほかのメンバーが全員気配を消す(黙る)のである。
ずっと不思議に思っていた。議論中は、面倒な議題(と人)と私だけがリングに立ち、しゃべったあとマイクを床に叩きつけたりそれを拾って歌ったりしている。どこからもタオルは投げられないし、ロープを飛び越えて来る仲間もいない。もちろん声援もない。さらにどうにかこうにか試合を終え、面倒な人がzoom画面から消えると、気配を完全に消していたメンバーが口々にその人たちの悪口を言い出すことがある。パイプ椅子を頭上に持ち上げる人、リングに戻ろうとする人、それを止める人。勇ましいのである。そして全員で笑い合い(やれやれだったな、みたいな)、会議室から出る。「みんな、声、出たんだ…!」という驚きを抑えて、ここは私も一応笑ったほうがいいんだろうな、と思い「HAHAHA」と言ったりする。

HAHAHA。
 

は?


 
夫は「その人たちとあなたは、カルチャーがちがう」と言う。
 
家庭と同じように、仕事でどう育てられたかというのがある。何をすべきか、何をやってはダメか、何がカッコよくて、何が無粋なのか。どこは戦うべきか。どこは守るべきか。何を許して、何は詰めるべきなのか。それは自分の中に価値観として染み込んでいるが、仕事の相手とは自分の育ちの答え合わせをすることはあまりなくて、嗅ぎ取るしかない。
 
「そこに課題があったら考えて解決しろ。アイデアを出すべきときに黙っているなら会議室から出ていけ。同僚が困っていたら助けろ。悪口だけ元気に言うな。」
 
私にそういうカルチャーが染み込んでいるから、会社の人たちに違和感を感じるんじゃないの、ということだ。育ちがちがうだけ。良いとか悪いとかじゃない。(あと私のキャラクター設定が多分失敗しているのも一因)
 
その視点で見ると、会議中は私が戦うのを黙って見ていて、終わった途端に相手の悪口を言うのは「私へのねぎらい」という相手のカルチャーかもしれない。なのに一緒に悪口を言わずに席を立ってしまった私は、あちらからしたら優しさが伝わらない、空気が読めない人である。相手のカルチャーをできる限り理解して、自分から歩み寄っていくことが、お互いにストレスなく仕事をする上で大事なことなのかもしれないよね…。


 
などとは全く思えないから(しゃべれコラと思っている。今この瞬間も)会議が終わった瞬間にPCをしまって六本木で平間至の写真展を見てアイスを食べて帰った。夕方外を歩いたのは久しぶりで、空がすごくきれいだった。

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