文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 4

前項●ハラスメント防止室と学生への説明(2/12~2/15))


●教務との一度目の面談(2/19~2/21)

2月19日(火)、防止室の仲介のおかげで、論系と事務所を束ねる執行部教務J氏(以下J教務)、学生や非常勤などの学内生活の保持を取り扱う事務所O氏と面談がかないました。

その面談の直前に予想外のことが起きました。
論系による臨時教室会議が開かれたのですが、14日の件について、H主任が3名の学生のうちのひとりから報告を受け、「北原によるハラスメントがあった」と会議で報告した、ということでした。
学生のひとり(以下学生B)は、授業内特集の記事のうち、多くのメンバーを抱える班の代表でもあり、同時に、企画「B」での一員でもありました。

わたしは不安を抱えた状態でしたが、目の前に迫った面談に向かいました。

J教務と事務所O氏が、わたしに「編集実践2」および「S」に関して聞きたい事項は、おもに2点に集中しました。
①防止室を通じて要請した、学生Aとの関係調整について
②指導における大幅な時間外労働状況について

わたしは防止室でも訴えた、自分の認識を述べました。
(ここまでの記述と重複する部分もありますが、いま一度書きます)

まず①学生Aとの関係調整について、

・前提として、授業は論系の決定した授業目的のもとで組まれたカリキュラムに沿って行い、そこに企画妨害の意図も事実もなかった。現に企画は他の自主企画同様に成立している。

・ただし、公開を前提としない初回アンケート記載項目において確認された企画「B」素案が、企画者の学生を含め、2017-18年のハラスメント事案に関する複数人のプライバシーや名誉に関わる可能性のあるデリケートな内容であることが容易に想像できたため、すみやかに論系に報告した。

・協議をおこなった論系は「十分な指導と監督」が必要と判断し、教務の回答もそれを承認するものだったと聞いている。※

※ちなみにその教務回答には、寄稿者やインタビュイーの選定に関する明確な制限項目もあったと聞いていますが、ここで仔細を書くことは控えます。

論系は、企画「B」案の内容から、専任教員とは異なり、件のハラスメント事案について学生と変わらぬ情報しか持たない非常勤北原ではなく、H主任を指導監督とすると決定した。

・学生Aら3名の希望した企画「B」は自主企画として授業内で正式に承認され発足し、その後は、2ヶ月近くに渡り、他の自主企画と同じように、授業内および授業後に継続してサポートを行ってきた。

・企画「B」はH主任の監督指導が決まっていたが、成立初回のミーティング後、あらためてH主任に「自分は先のハラスメント事案について仔細を知らないため、安全に着地させる指導ができないので、内容の指導をお願いしたい」と伝えた。それまでにも、「北原さんなら丸くおさめられると思う」など、遂行不可能な業務の押しつけと感じられる言動があったので不安を感じた。H主任は了承した。

・しかしH主任の自主企画「B」学生3名に対する指導は、「アンケートの文字が小さいのでもう少し大きく」「X氏の全小説作品を読み、その文学性について依頼状で指摘すること」などに留まり、今件においてとくに必要と思われる、「B」企画に内在する、それと知らず他者の人権を侵害し名誉毀損やプライバシー侵害などを犯す危険性およびその危険を避ける方策については具体的に指導をしなかった。

・それら、教える必要があるものの学生たちにとってはネガティブに感じられるであろう指導内容について、北原の口から学生に伝えるよう、密室での打ち合わせでH主任から暗に促され、強制されたように感じた。それらの内容を北原から伝えた後も、学生たちへ「最後はXさんを信じるしかない」と楽観的かつX氏への負担を増しリスクを高めるようなことしか言わなかった。

・X氏原稿の記載に見られる、学生Aの「北原・I氏が独断で企画妨害を行っている」という不信感について、H主任はそれを事実ではないと知っており、その不信感を払拭できる立場にありながら、そうはしなかった。むしろ、「そんなことになっているとは知らなかった」「「S」の風通しをよくするため、透明性を上げるために、自分が指導監督になった」等、事実関係から見れば真実ではなく、学生の北原・I氏への不信感を煽るとしか思えない言動を繰り返した。

・それらすべての経緯があったうえで、2月8日の教室会議の決定事項は、論系機関誌であることを考えても、論系のなかのハラスメント告発という意味でも、一般的な編集の常識という面でも、納得できない。

・論系の専任教員たちがどのように議論し決定したのか、十分な説明がされているとは思えない。

・学生Aとの関係調整を望んでいる。校了まで時間がない状況ではあるが、後回しにするよりは、彼らが聞かないとしても、可能であれば説明機会や第三者による関係調整が行われるべきだと思っている。

そして②指導における大幅な時間外労働状況について、

・授業期間終了後の時間外労働が大幅に発生している。自主的にプロの校正者を呼びレクチャーを行ったり、学内で個別に作業指導をしたり、インタビューに同行したり、オンラインも含めればほぼ毎日、何らかの指導を行っている。

その指導には、10月の段階で、「S」内に掲載する企画決定までの授業内容について、3回分の引き伸ばしをH主任から指示されたことで、授業期間に収まらなかった内容が含まれている。

・(補償への希望について問われ)もともと時間外労働が多いというのは授業を引き受ける前に聞いていたし、雑誌制作という授業の性質上、覚悟はしていた。しかしH主任から指示された3回分については、その指示により、当初予定していた授業内容が授業時間外に押し出される時間外労働が発生しているし、何よりそのことで学生Aたちの不信も生まれているので、もっとも望む補償としては学生への説明であると考えている。

と伝えました。

J教務は、わたしの話に「教務として正確に知っておくべきことがたくさんあった」と発言したうえで、

・先のハラスメント事案の世間への発覚以降、学内はつらい状態がつづいていた。通常の専任教員でも大変なのに、それを非常勤の先生が担当しているのは、大変な状況だったというのがわかった。
・ただ学術院としては、学生が「ハラスメントである」と言ったときに、それを受け止めないような、あるいは隠蔽するようなことをすると、再発防止の努力が無になり、またネットで書かれたような疑いを持たれることになってしまう。
・学生たちの感じていることを真摯に受け止めることが基本方針としてあるので、それを崩れるようなかたちは選択できない。難しい問題だと考えている。

と見解を述べました。

わたしは、
・論系の「X氏の原稿は作品だ」という決定は、学生Aがハラスメントを訴えたことを誰も取り合っていないことになる。それは隠蔽ではないのか疑問である。
・自分としてもハラスメントの隠蔽をしたことはないし、してないから防止室に行った。

という見解を伝えました。

後日の連絡のお約束をいただき、面談は終了しました。

この面談に対する個人的な感慨を述べます。

話は、5ヶ月近くに渡って推移した事態の全体に及びました。14日の学生Bを含む会議の件についても、自分の口で見解を述べました。

わたしの語りは、「わたしの認識では」「X氏が誇張をしていないのであれば」等、複数の留保を重ねた、入り組んで長い、聞き苦しい部分が多かったと思います。

しかしひととおり話を聞いたうえで、途中でJ教務が発された言葉は、一定の理解を示してもらえたと感じられるものでした。

「何かを発言するたび、学生から「こちらの行動を勘ぐってるな」と思われる。いちどその関係ができると、「霧が晴れた」と思うことがないかぎり、なにかを指示したり、指導するたび、「自分たちの企画を潰すつもりなんじゃないか」と学生が受け止める。訴訟の可能性や事実確認の必要性など、通常であれば当たり前の話だが、指導の回数が重なるごとに学生たちの疑念は強くなる。そのような特殊な状況に置かれ、北原先生自身がたいへん苦しまれていたことがわかりました」

そのJ教務の言葉に、とても救われた思いがしたことを覚えています。

現在でもそうですが、この頃は特に、防止室や支援者との面談と説明、会議の連続で、連日の編集作業サポートも加わり、心身ともに疲弊し、混乱、悲しみ、憤りがピークに達していました。

わたしは、X氏の原稿に、深く傷つき、憤っていました。
個人的にも、そしてこの授業においても関わりのない作家に、伝聞を根拠に実名を出され誹謗中傷されたことももちろんですが、その原稿に、編集者として6年に渡り深く関わってきた「早稲田文学」に対する「言論統制を行った」という事実無根の中傷や、知人を含む複数の特定個人への侮蔑表現が記載されていることも、わたしに大きいダメージを与えていました。

いま考えればおかしい話かもしれません。明確に事実無根なことばかりなのですから、単にそれを指摘すればよいだけなのかもしれません。

しかし、雑誌にとって「言論統制」と謗られることがどのように屈辱的なことか、
著しく客観性を欠いた記述で他者を中傷し、いっぽうで自著の宣伝まで入れるその記述がどんなに一方的なものか、
何より、X氏が企画「B」とその学生3名を称揚するために用いた「本当の特集」という表現が、
クラス全員の投票によって特集を決め(6案から選ばれた特集案は過半数の支持を得ました)、そのなかで希望の企画と役割を自ら選び、企画が成立し読み応えのあるものになるようにブラッシュアップさせ続け、選んだ役割を全うし、かつ仲間同士で補い合い、実践で雑誌を作ることについて、熱意と誠実さと粘り強さをもって取り組み続けている30名弱の授業履修生(そこには当然「B」企画の学生3名も含まれます)の作るものに対し、どれだけ不当なものであるか。
X氏が学生Aらの主張に基づき心を寄せて書いた文章だとしても、学生たちの活動を見てきたわたしにとっては、とても許しがたいものに感じられました。

そして、なぜそのような原稿が、文学者としても、教育者としても、知識と経験、何より文学と教育における倫理について高い知見を持つはずの専任教員たちで構成されている論系により、「まず(…)一篇の「作品」として完成されており、修正等ができない」と決定されるのか。
わたしを雇用した早稲田大学は、文芸・ジャーナリズム論系という組織は、不当にわたしの社会的信用を損なう原稿を、十分な議論がされたととても思えないプロセスで、掲載を決定している。
この事実はわたしにとって、不条理以外のなにものでもありませんでした。論系には、I氏やH主任のほかにも仕事の関係で知人が多いことも、この絶望感に拍車をかけていました。

さらに、この一連の件について他者に説明をする機会にはつねに、自分が与えたとされる他者の苦痛について語ること自体の困難がありました。
わたしはわたしにハラスメントを受けたと訴えている学生A、Bの正確な主張や考えを知らない。X氏の原稿を通じて訴えられる主張は、わたしの認識と大きく異なり、「ハラスメント」と呼ばれる正当性があるとは考えられない。
しかし、それが「ハラスメント」であろうとなかろうと、おそらく苦しみのなかにある学生らを批難する気にはなれないし、自分の認識する事実が「被害者の主張が正当ではない」証左として機能すること自体に、強い心理的負荷と罪悪感、これまでの自分の考え方や倫理観との軋轢がある。かといって、正確な主張を知らないまま、反省や謝罪をすることも、正直に言って、できない。
そしてその間に、正当とは思えないプロセスで決定された掲載によって自分の「罪」が「事実認定」され、原稿の公開による社会的評価の毀損という「罰」がもたらされる……。
加害者として名指された事実について考えれば考えるほど、思考は泥沼に陥っていきました。

さいわいなことに、この一連の経過を発端から継続的に相談している知人や友人、支援者は常にそばにいました。しかし、かれらと別れひとりになった瞬間、「すべて自分がおかしいのか」という疑問は何度も浮かびました。
どうすればこの不条理な状況を、学生A、Bを含めた履修生全員、それから関係者の希望を損ねることなく解消できるのか。
考えられる最善の策を考え、動きつづけてきましたが、そのかたわらには、状況を世間に訴えるためのとても強い、しかし最悪の選択肢も、いつもそばにありました。発作的に存在感をあらわすその策を選ばないために、しばしば努力を要しました。

そのような精神状態のもとで得たJ教務の言葉は、防止室や支援者たちの言葉同様、困難を理解してくれる誠実なものに響きました。

翌20日(水)、わたしは「S」代表のひとりである学生Cと、「S」の今後の進行についてミーティングを行いました。
そこで決まった、表紙に関する特殊な仕様が、論系から与えられた予算と日程的に可能かどうかを、すでに決定していた印刷所に確認しました。すぐに「可能である」と返事が来たので、学生Cと共同担当非常勤O氏に共有し、以降ふたりで表紙のデータ作成や入稿を進めてもらうよう依頼しました。
また、数日内に迫っていた台割決定会議に向けて、まず学生代表が、その後学生全員が見られるよう、最新データの提出の〆切を決めました。各学生への連絡と提出先の作成は、学生Cが進めてくれました。
並行して、すでに伝えていた校了日程の、より詳しい作業内容や場所等について、学生全員に通達しました。

同日夜、事務所O氏を通じて、J教務との再度の面談が申し込まれました。
面談は2日後に設定されたのですが、翌2月21日(木)20時、面談に先行してメールが届きました。

内容は想像通り、「わたしを「S」の担当から外す」というものでした。そしてこちらも予想通り、メールの段階で、履修生全員への、通信を含めた接触を禁じられていました。

しかしその決定に至る論系の決定およびその説明は、たいへん不可解なものでした。


次項●教務との二度目の面談(2/22))


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