文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 1

●はじめに

これは、早稲田大学文学学術院文芸・ジャーナリズム論系の授業および機関誌制作の終盤に起こった出来事の顛末を、授業担当非常勤講師の立場から語った手記です。

①書き手はその機関誌内で、「授業内でハラスメントを行った」と実名で告発されています。
②しかしそこで示されるハラスメントの内容「企画妨害」は事実ではありません。
③そして書き手は、この原稿の到着後から機関誌の発行までの日々で、文芸・ジャーナリズム論系および文学学術院からの、人権侵害やハラスメントに相当すると感じられる言動、および適切と思えない判断や不十分な説明の数々によって、強い苦痛を受けました。

機関誌制作の日々で一体何が起きたのか、具体的な事実関係に則して説明します。
担当授業履修生をはじめ、関係各位のプライバシーに配慮し仮名が多いこと、時系列に沿って個人の見解も交えた手記のため、読みづらい点があることをあらかじめご了承ください。

わたしは、早稲田大学の非常勤講師として、文化構想学部の2018年秋期授業「文芸・ジャーナリズム論系演習(編集実践2)」、および授業内で制作される機関誌「S」【仮名】2019年号の制作指導を、もうひとりの非常勤講師O氏と、コーディネーター(共同担当者)の論系専任教員I氏とともに担当していました。

その機関誌「S」の企画「B」【仮名】に、作家X氏が原稿「これ?二〇一九年「S」【原題は実際の誌名】の解説です」を寄せました。そこでX氏は、「この授業で、北原とI氏が授業を通じて、企画の妨害というハラスメントを学生に行っていた」という告発をしています。
X氏が、授業履修生の学生A【X氏の原稿とは記載が異なりますが、プライバシーを鑑み、より記号性の高い仮名としています】から告発を受けて記載したというその主張については、すでに授業の共同担当者であるI氏が背景を含めた見解を書いています。

いま一度担当非常勤の立場から説明すれば、
「S」は「編集実践2」の授業において履修生全員によって制作するものであり、授業内容は、論系の決定した授業目的のもとで組まれたカリキュラムに沿って行ったものです。
授業のなかで、学生Aらの希望した企画案「B」は自主企画として授業内で正式に承認され発足し、その後は、もうひとつの自主企画とともに、継続してサポートを行っていました。

実際におこなった授業内容を整理します。

授業概要
初回…ガイダンス 2回…目次や記事、雑誌作りに見られるさまざまな物理的制約について学ぶ  3回…記事の構成と相互講評 4,5回…いくつかの条件を設けた模擬特集のグループディスカッション、発表と講評 6,7回…「S」全体構成の説明、模擬特集をクラス全員が参加する特集企画へリファインするための再GD 8,9回…本特集の各班プレゼンと投票、担当配置決め  10回…自主企画のプレゼンと承認 11〜15回…本特集の企画各班の話し合い、O氏によるデザイン講義、進捗報告、相談、指導

前半では、紙の雑誌により強くあらわれる物理的条件について、座学や模擬を含めた実践、相互批評や講師による講評など、トレーニング的な側面を重視した授業を行いました。
内容は記事の構成や編集、特集の立案とその発展など、いずれも実際の「S」制作で学生たちが行う作業の先取りでした。また結果的にですが、そこで出た個別のアイデアが、最終的に「S」での特集企画や自主企画に発展したりもしました。

後半はおもに、授業内で履修生全員が参加する特集企画について、各班ごとに分かれ、具体的な誌面づくりのための依頼や取材、およびグループディスカッションをメインに進めていました。
こちらの指導は、学生たちの進める各企画へのサポートや相談が主でしたが、各企画の毎週の進展に、頭を悩ませる場面も、興奮で教室の温度が高まる場面も、多くありました。インタビュイーの人選や企画のネタ探し、作業フローなど、それぞれ負担が大きくなりすぎないよう、学生同士が班をこえて協力を呼びかけ、調整することもありました。
同時に、自主企画の発足後は、おもに授業時間の終了後に、ほぼ毎週ミーティングと指導、サポートを行っていました。


X氏の寄稿には、学生Aたちの企画を成立させないための「妨害」として、授業内での模擬特集制作の指示、ページ数の制限などが例示されていました。

たしかに、企画「B」案の存在を知った文芸・ジャーナリズム論系の主任であるH氏(以下H主任)により、授業内での企画決定を、授業3回分延ばすように指示を受けましたが、その予定変更についても、上記のように「雑誌を作る」という授業目的に沿った授業を行って対応しています。
そして、「S」枠組みの説明のために当初例示した全体ページ数118Pは仮のものであり、自主企画のページを制限するためのものではありませんでした。

決して企画「B」あるいは学生の自主的な立案による企画を「妨害」する意図もなければ、そのような事実も存在しません。

X氏原稿で「妨害」の例として挙げられた内容について認識している事実は以上です。

そのうえで、わたしは自分の身に起きたことについて自分の言葉で伝える必要を感じ、いまこの文章を書いています。

文芸・ジャーナリズム論系の機関誌「S」掲載原稿において「ハラスメント加害者」と実名で謗られたわたしの現在の状況をここに記します。

・機関誌「S」の校了一週間前に、文学学術院教務J氏により「S」の担当指導を外されることが通告され、企画「B」に関与しない30名弱を含めた授業履修生全員への、通信を含む一切の接触を禁止されました。それは現在も解除されていません。この決定の理由は、学生Aの告発によるものではありません。

・X氏原稿が届いた2月8日時点から現在に至るまで、文芸・ジャーナリズム論系、あるいは早稲田大学本体から、学生Aの主張したハラスメント事案について、事実確認を目的とした直接あるいは第三者を通じた聞き取りや調査は実施されていません。

このような状況で、X氏の原稿到着を端緒に、わたしと、H主任をはじめとした文芸・ジャーナリズム論系の専任教員数名、文学学術院執行部教務、そして履修生たちとのあいだで起きた、「編集実践2」および機関誌「S」に関するさまざまな出来事について、わたしは自分が見たもの、受けた行為、考え、感じたことについて、わたし自身の言葉で語る必要を感じています。

この手記で書かれるのはおもに数週間の出来事です。
決して長くはない期間ですが、理不尽としか思えない出来事の連続に対する衝撃とともに、複雑な状況のもとで言葉を発することの困難を、当時も現在も強く感じています。
そして自分の身に起きた体験を記述するいま、苦痛はつねにともにあります。
しかし、わたしには自分の言葉で自分の体験を書く自由があります。
そして、この社会の構成員として、社会的信頼を基盤としたさまざまな人間関係がすでに発生している以上、その人たちに向けても、わたしの体験をわたしの言葉で届ける責任があると考えています。
なにしろ、原稿はすでに世に出てしまったのですから。

わたしにとって一連の出来事の発端となった、X氏の原稿の到着時から話をはじめます。


次項●原稿到着とその諸対応について(2/8~2/10))


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