文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 6

前項●教務との二度目の面談(2/22))


●「S」離脱後の不可解な出来事(2/22〜現在)

論系と学術院教務の判断によって、わたしは「S」について関わる権利を失いました。失意のなかにいましたが、どこかでほっとしている自分もいました。J教務のいうとおり、各記事の完成後は全体の仕上げに入る今後の作業において、学生A、Bと適切に関わる自信は、もうありませんでした。

早稲田大学では、授業支援システム「コースナビ」によって、授業担当者から履修生全員にメールを送ることができます。
その機能を使い、「文芸・ジャーナリズム論系」名義で、履修生と担当教員に、2月22日(金)16時にメールが送られました。
学生には、これも予想通り、まったく今件にとって本質的でない理由付けによる説明がされていました。

「この授業では論系の雑誌「S」の制作を行ってきましたが、授業期間はすでに終了しておりますので、今後の「S」刊行までの作業は、論系室が引き継ぐことになりました。」

そして
・今後の制作上の諸対応に関しては、助教T氏(以下T助教)が中心になって担当する
・授業期間終了後に発生した作業については、すでに行われたものも含めて、成績評価に関係しない
ことが併せて書いてありました。

「論系室」は、キャンパス内3教室を指すと同時に、そこに常駐する論系助教と助手をあわせた3名を指すと思われます。
T助教ら作業を引き継ぐ方々から、進行や作業についての問い合わせはわたしのもとに来ませんでしたが、ここまでやり取りを続けてきた印刷所の連絡先はO氏にすでに引き継いでおり、校了作業の日程や内容についても学生に周知済でした。学生への心配と、作業負担の申し訳なさは深くありましたが、校了までの道筋は立っているように感じられました。

ところが。

2月24日(日)、「S」履修生の学生D・Eの連名で、一通のメールが届きました。
宛先はI氏、そしてCcにH主任、T助教、O氏とわたしが含まれていました。
要約するとこのような内容でした。

・「論系室で引き取る」という一斉メール以来、論系室のT助教やS助手からの連絡はコースナビではなく、ある学生を経由してLINEで送られてきている。この方法は連絡の遅滞を起こし、トラブルがすでに起きている。連絡体系はまだ整備されないのか。
・「S」の制作にあたっては「学生主体」という旨の伝言が(これも学生経由で)届いているが、「S」に学生が責任を持つ、という意味か。
・学生が主体となり、学生が責任を持って刊行するということであれば(もちろんそうでなくても、媒体を編集し、刊行する者たちとして当然だとは思うが)、全員が自分たちの「S」にいったいなにが掲載されるのかを確認し、納得しておく必要があるし、もしそうでないなら、どこに責任の所在があるのか明らかにするべきだと自分たちは考えている。

たしかにわたしが担当していたときは、例外もありましたが、連絡事項については基本的にコースナビを通じて学生全員に一斉に伝えていました。それが授業運営の原則であり、コースナビはそのためのシステムだからです。
T助教らも、当然コースナビを使った一斉メールは使用できるはずですが、なぜこの時点で、伝言ゲームのように、教員から特定の学生に連絡が行き、それを各位で伝えるような手法を使ったのでしょう。
そうした連絡方法の面においても、「責任の所在」についても、学生の疑問は正当なものだと感じられました。

そして、メールの宛先であるI氏は、そもそも論系の専任教員です。
わたしが教務から受け取ったメールの通り「今後の「S」は、論系が作業を引き取る」ならば、専任教員であるI氏は、授業担当者であり、ここまでの制作過程や状況をもっともよく知っています。学生D・EがI氏を宛先にしたのも、その関係性に基づく当然の判断だったのだと思います。
しかしI氏によれば、22日の学生宛の一斉メール「今後の制作上の諸対応に関しては、論系助教T先生が中心になって担当する」について、19日の教室会議においての決定事項に対して正確ではなく、22日の時点でも何ら相談や報告はなかったといいます。(その後I氏も、学生へのコースナビでの通信を控え、必要な場合は学術院教務を通してほしいと要請があったとのことです)

いっぽうO氏については、24日にT助教から、作業を引き継ぐ連絡とともに、印刷所等に関する問い合わせが来たので、25日に質問事項に対し返信したということでした。

その25日には表紙の入稿、27日には本文の入稿が控えており、印刷所は台を空けて待っているはずでした。

しかしO氏の返信後、T助教から返信はなく、印刷所にもT助教からの入稿データどころか連絡一本ないと、O氏のもとに連絡があったそうです。印刷所からのたいへん困惑した連絡に戸惑ったO氏は、事情を聞きに、本文入稿予定の27日、作業場所に行きました。
作業部屋に行ったO氏は、学生たちの目の前でS助手によりすぐに別室に連れていかれ、印刷所が変更になったことを聞かされました。そのうえ、結局作業には参加させてもらえなかったそうです。

19日の会議でいったい何が決まったのか。
学術院教務との2度目の面談で生まれた問いが、ふたたびよみがえってきました。
そして予想していた通り、学生には十分な説明がされないまま、混乱が起きていることは明白でした。

結局、H主任、JK氏、T助教、S助手によって、学生の希望者に「経緯の説明」が行われたのは、ちょうどO氏が作業現場に行った、2月27日(水)のことだそうです。
後日その内容を知り、唖然としました。

H主任らは担当教員の交代について、

・前担当者に、「S」発行を止める動きが見られたので、論系で「S」を守るために担当を変えた。
・担当を交代しなければ、「S」が出なかったかもしれないし、企画が減っていたかもしれない。
・ここにいる現担当者(H主任、JK氏、T助教、S助手)はそれと戦ってきた。すべてを出すために自分たちが担当になった。

と説明したそうです。

14日の当事者全員(その場にいた学生3名とわたし)に対する事実検証が行われぬまま、ひとりの証言により「発行を止めることを訴えた」は確定事項になっていました。
そして、「「S」を出さない」「企画を潰す」とわたしが考えていたという、学生に対する印象操作がされていました。

この、具体的な事実説明を欠いたまま「友好関係/敵対関係」を印象付ける説明の仕方は、それまで自主企画のミーティングなどの場において、H主任によってたびたび行われていたことでした。
だからわたしにとっては、たいへんな失望を感じるものであり、同時に既視感のあるものでもありました。

そこから2週間ほど、授業担当者にも届くコースナビのメールを通じて、諸状況を確認していました。
校了が延びたこと、インタビュイーや寄稿者への謝礼など、わたしが担当だったときには不可能だとされていたことが実現されていました。複雑な心境ではありましたが、関係者にとっては間違いなく良い変化だったでしょう。

そしていまわたしの手元に、刷り上がった「S」があります。

基本的に、できあがった雑誌について、記載されていないことや実現されなかったこと、変更があったことについて、関わった当事者の了承無しに公表することはルール違反でしょうから、多くは述べません。
ただ、いくつかの事実を書きます。

わたしの担当時期に、各企画の代表者が書くことで仮決定していた編集後記は、完成版において、匿名で、本文ページではなく別紙投げ込みの形で入れられています。
そして仔細は伏せますが、学生が制作したとおぼしき奥付には、ある特徴的な仕様がなされています。
いずれも、学生の主体的判断でなされただろうその仕様の意味について、わたしはわたしなりの解釈をしています。
あるいは編集後記に見られた表現を併せて借りれば、「ほんとうにたくさんの人が」「各々と対峙する何かと向き合い戦った結果」のひとつなのかもしれません。

最終的に、こちらの想像をはるかに超える仕上がりを見せたすべての企画、すべてのページとともに、おそらく校了直前に作られたであろう奥付と編集後記から伝わる学生たちの、お互いの考えを尊重しながらそれぞれの思いを伝える誠実さと意志の強さに、強い敬意を覚えました。
いまでもこの一冊に勇気づけられています。

いっぽう、「S」のなかで文芸・ジャーナリズム論系の名前は、奥付の「発行所」にのみ登場します。そこには、読めば誰もが疑問を持つだろうX氏の原稿に対する、「「作品」として完成している」という、論系のくだした判断はどこにもありません。
学生D、Eの発した「どこに責任の所在があるのか」という問いに、H主任たちはどのように答えたのでしょうか。
どのような表記であっても、生じた結果についての社会的責任は、論系が引き受けるべきだと思います。


次項●おわりに)


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