文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 7

前項●「S」離脱後の不可解な出来事(2/22〜現在))


●おわりに

ここまで、おもにX氏の原稿が到着してから、わたしの身に起きたことを書いてきました。

この体験は、大学組織の内部に関する話が多いこともあり、あまりに複雑で、他人に伝えることが難しいことをよくわかっています。
魅力的な文章でもなければ、ダイナミックな展開もありません。伏線も消化されていません。
ただ淡々と、本人にとって納得のいかないプロセスで、ひとりの非常勤が排除されたという些細な出来事を書くだけのために、ここまで長く書き連ねてしまいました。
事実に即して書きましたが、それでも「結局、教員による学生へのハラスメントは事実だったのか」という疑問には、第三者検証が行われていない以上、答えられていないと思います。
おそらく最後まで読む人はほとんどいないでしょう。

それでも、はじめにも書いたとおり、わたしは自分に書けることを書いておく必要があると思いました。

わたしは確かにこの日々のなかで、複数の他者によって苦痛を受けました。ここに書かなかったことも含め、ほんとうにたくさんの被害を蒙りました。

それは、どこまでが人権侵害/ハラスメント/不法行為/怠慢/思考停止/誤解によるすれ違い/感情的ないさかい/自分の思い込み/…それら、名前のつく行為によるものなのか。

わたしはその問いに対する答えを持っていません。
だから、それを確かめるために、さまざまな手段を使って問うていくつもりです。
手記をここに公開したのは、その手段のひとつです。

そしてそれは、「わたしにハラスメントを受けた」と主張する誰かがいる限り、わたしにはね返って来る問いでもあるはずです。

この一連の苦痛をもたらしたものが、ひとつひとつの行為概念に切り分けられたあと、それでも残るものは何でしょうか。それは、I氏の見解で指摘された「エアポケット」かもしれないし、先に挙げたうちとくに現代的な概念でもある「ハラスメント」について、認識の更新につながるものかもしれません。

教育者としてもよく知られる研究者が、あるとき学生に「先生、「問題」ってなんですか?」と聞かれ、「「問題」とは、あなたを捉えて離さないものよ」と答えた、有名な話があります。

「S」の学生全員が参加した特集企画の名前は、「あなたとして生きる」というものでした。

わたしを捉えて離さないものについて問い続けることが、「わたしとして生きる」ことでもあると信じながら、この長い文章を終えたいと思います。


3月19日
北原美那

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