【自殺には3種類ある】自殺論の要約や感想など【第二編】
今回の記事では、自殺の社会的要因について書いていきます。
非社会的要因について知りたい方は、前回の記事に書かれていますので、そちらをご覧ください。
3種類の自殺・社会的原因とタイプ
・ 自己本位的自殺
・ 集団本位的自殺
・ アノミー的自殺
個人的に原因に求めるのは、やはり難しい
・ 農民も都会人も自殺の原因も割合も似通っていた。
・ 自殺者の心理状態を特定するのは難しい。
・ 精神病者以外は記録が残されていないし、自分の精神状態を分析するのは難しい。
※ 心理学では、自己内観における錯覚といって、人間は自分のことを考えただけで向き不向きがわかると思ってしまうという錯覚のことです。実際やってみなければ、自分が何が好きかということはわからない。
無意識と社会
無意識と聞いて一般的な人が思い浮かべるのは
「自分が意識できる思考と、意識できない思考があり、地下にある秘密の部屋のようなところで無意識が色々と考えている」
というものでしょう。
実際の無意識は
「自分の思考なのに、自分の外で思考が発生しているとしか思えない」
これが無意識
外とはなんでしょう?
社会、もしくは身の回りの人達の考えです。
自己本位的自殺(自己本位的1)
・ カトリックよりもプロテスタントのほうが自殺率が高い
・ 既婚者は未婚者に比べて自殺が少ない
・ 家族が強固に構成されているほど自殺率は低い
・ 戦争が起きると自殺が極端に減る
つまり
自殺は、宗教社会の統合の強さに反比例して増減する
自殺は、家族社会の統合の強さに反比例して増減する
自殺は、政治社会の統合の強さに反比例して増減する
周囲との結びつきが弱くなりますと、自分という存在しか残らなくなります。
知識とか物と同じで、人も単体では意味自体が怪しくなります。
そうなると、虚しさが蓄積されていくのです。
カトリックとプロテスタントの違い(自己本位的2)
カトリック
聖書をみんなで読む。1人で解釈してはいけない。
プロテスタント
聖書を1人で読む。人それぞれの解釈がある。
プロテスタントのほうが、自己本位的なのです。
飽きたゲームってやったことあります? (自己本位的3)
飽きてないゲームは夢中になれる、フローという状態を作り出します。しかし生産的ではありません。
飽きたゲームをすると、人間どうなるかというと、文字通りゲロ吐きそうになります。穴を掘って埋める作業のほうが、身体が鍛えられるぶんマシ。
「自分は一体何をやっているんだ?」という心の問いかけの威力は大きく、この問いかけを無視して何かできるほど、人間は頑丈ではありません。
自己本位的自殺とは、人生に完全に飽きた状態を言います。
反出生主義の考えは「人生は始めるに値しない」
自己本位的自殺者の考えは「人生は続けるに値しない」
月曜の少年ジャンプが楽しみでなければ、人生を続けるのは難しいのです。
集団本位的自殺(集団本位的1)
未開民族の自殺や、昔の日本人は集団本位的社会に分類されます。
未開民族の自殺は、次のようなものです。
・ 老年の域に達した者、あるいは病に冒された者の自殺
(うば捨て山的な、働かざるもの食うべからず思想)
・ 夫の死のあとを追う妻の自殺
・ 首長の死にともなう臣下や家来の自殺
権利ではなく義務が課せられているのです。
集団本位的と言えば、ネットゲームのコピペを思い出します。
ネットゲームのコピペ(集団本位的2)
ギルマス:「Bさんって社会人だったっけ?」
B:「そうだよーw」
ギルマス:「戦争に向けてギルド強化するので」
B:「うん」
ギルマス:「仕事辞めてくれませんか?」
ギルマス:「あとギルメンが交代でキャラ育成するので IDとパス教えてください」
このやり取りも未開民族の自殺も、個人という存在が欠けています。
個人に関するものは一切尊重しないという心理。
自己放棄と自己犠牲の精神(の強要)。
働かざる者食うべからず(集団本位的3)
自己本位的社会の場合
「確かにそういった言葉はあるけど、働かなくても食べていいでしょ」
集団本位的社会
「働かないヤツに価値はないんで死んでくれ」
現代社会だと、極端な集団本位的社会は学校やスポーツの試合中くらいしかないので、あまり気にしなくても良いでしょう。
中学校の合唱コンクールの時、歌えと強制される雰囲気が未開の部族みたいで嫌でしたが、みたいではなく実際に未開の部族そのものだったわけです。
自殺すら強要するから集団本位的、ならば自殺以外は全くためらいなく強要してきます。
当時の自分は「なんでこいつらこんな歌う気満々なの?」と考えていましたが、葬式に出席したい人は存在しないことを考えれば、やはり一部を除いて嫌々歌っていたのでしょう。
もしかしたら歌いたい人なんか1人もいなくって、全員ポーズだったのかもしれません。
アノミー的自殺(アノミー的1)
アノミーとは、人の活動が規制されなくなり、それによって彼らが苦悩を負わされているところから生じるもの。
アノミーは経済的なものだけではなく、あらゆることに当てはまります。
アノミー的自殺はデュルケームの自殺論で最も重要な部分なのですが、少しおかしいですよね。
自己本位的自殺・集団本位的自殺ときて、アノミー的自殺。完全に1つだけ浮いてます。
※ 自殺論の翻訳者で社会学者の宮島喬(みやじまたかし)さんは宿命的自殺もあると言っています。デュルケームは本当に少しだけ言及して通り過ぎた分類なので、普通はカウントされません。
※ 社会学者の大澤真幸さんは、自己本位的とアノミー的は一緒ではないかと考えているようです。
めちゃくちゃモテる男性がいたとする(アノミー的2)
しかし、彼は自分が恋をしている女性から、全く相手にされなかった。
ならば彼の苦痛は、全くモテない男性と変わらないのでは?
アノミーは憤怒、自己本位は虚しさが大きな違いとされていますので、次のようになります。
本命以外からは、めちゃくちゃモテる男性=腹立たしさを抱えている=アノミー的
モテない男性=虚しさを抱えている=自己本位的
「若ければ誰でも良い」というのが普通の男性の感覚なので、やはり彼の欲望は異常で、アノミー的なのです。
現代社会と無意識(アノミー的3)
・ 学歴は高いほど偉い
・ 結婚していたほうが偉い
・ お金がたくさんあるほうが偉い
・ 高級な物をたくさん持っていたほうが偉い
・ 成功は自分の努力次第
・ だから成功してお金持ちになったほうが偉い
・ 青春時代は青春時代っぽく過ごしたほうが偉い
・ クリスマスは恋人と過ごすのが偉い
現代社会は、一生こういったメッセージを発信し続けています。
何かをやらせたり買わせるために、このように洗脳をしてくるのです。
しかし大昔ならば、「農民は畑を耕して生きよ」で、終わりだったでしょう。
「どうして将軍や貴族や皇族になれないんだ!」といいながら、不満をぶちまけて自殺する農民はいないのです。
人の欲望は限りないが、文明の発展により性欲を克服した(アノミー的4)
昔は性的なアノミーというものがありました(というか、それがなければ現代に比べて、異常なまでに結婚率が高くならない気がするね)。
19世紀のフランスに、Pornhubはありませんでした。
エロ同人サイトも、ありませんでした。
大昔、インターネットが発達していなかった頃「どうして俺は年上のお姉さんとエロいことができないんだ!!」と叫びながら怒りのままに自殺していった男性は多かったでしょう。しかし現代社会ならば、森島コン先生のおねショタを見れば速! 解決!!
概要とおさらい
自己本位的自殺
個人を尊重しすぎると、虚しさのあまり自殺する。
集団本位的自殺
集団を尊重しすぎると、個人の意思を無視するようになる。
アノミー的自殺
解消されない欲望は、自殺するほどの腹立たしさを生む。
現代社会では、「働かないなら死ね」と言われることはあんまりないので、自己本位的自殺か、アノミー的自殺となります。
良い家の生まれの人が、学校に通えなかったり仕事に行けなかったりすれば、集団本位的自殺のようになるかもしれません。ですが、大半の人間は生まれながらにエリートコースを踏み外していることを考えると、数は少なそうです。
座間9遺体事件をみた時、全く知らない人と自殺しようとする女性達を知って、「ずいぶん寂しい人生送ってたんだろうな」と悲しくなった記憶があります。
Twitterの親しくもない怪しげなアカウントの人と自殺しようとする。もう少し相手を選ぶべきだろうってね。
Twitterのメンヘラの人たちが「俺が俺が、私が私が」と自分のことしか話さないのも、自己本位的すぎるからなのでしょう。
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