生きること。

あたりまえのように10年先とか老後とかある話を聞いて、そうか、そこまで生きる前提なんよね!と、改めて思いました。

夏以降、長生きできないんだろうな、と、漠然と思っていて、そういうもんなんだろうな、いや、そうしなけれはならないとおもっていたわけで。

30年後の話をする後輩に、そーよね、普通はそう思うもんなんよね、それが当たり前でそれが未来があるってことなんよね。って。

5年でバッサリ切ってたので、なんだか新鮮に感じたのでした。

じゃあ、必ず5年でどうにかなるんかと言われたら、そうじゃないんです。
ある意味「死ぬ死ぬ詐欺」ですから(笑)
死ぬ死ぬ言いながら長生きするかもしれませんし、ほんとに死んじゃったわー若かったのにね、ってことになるかもしれません。

でも、その可能性があると言われるんなら、それまでは、限りあるものとして大事に生きないとならんです。
その先があればそこからまた始めればいいわけで。
それはそれで、生きることになる。

そういう死生観を持ってしまったので、どうしても知りたかったことに貪欲さが出てしまいます。
昨日のなかなか素が見えてこない子の何か素の部分を見たいなと思ったんですが、なかなか見せない。
みせないんじゃなくて、それがそのままだとしたらこれは手強い相手だぞ、と思ったわけです。
ビシッと自分のあり方を決めていてブレがないんだけど、ある程度のことには柔軟性があって合わせてくれる。
その遊びの部分があるばっかりに(というかそれが防御壁?)中身は全く見えてこない。
これは、私には絶対見せないんだろうな→同じレベルの人としてカウントされてない、ということも知ってしまったというか。
なんとまあ。それは、仕方ないとして(笑)
仕事をする上でコントロールしないとならないから、いろいろと観察されているところがあり、その特性(私の)を見極めることで使い分けじゃないけど、使われていたというか、あーそういう立場だったんだ、というね、そこも、同じレベルではなくて「仕事をコントロールしてあげている」というふうにおもっていた、ということなんだろうなーと感じてしまったら、やっぱり、人と人とのお付き合いは、できないのか?いうことと、昨年末に他の子と仲良くしてることを「なんであの人とは仲良いのか」と言っていたことの辻褄があったわけです。

コントロールしたいけど、なかなか上手くいってなかったですから、どうして、仲良くできているのか、疑問だったんですね。

そりゃ、あれですよ。
こっちも人なんでコントロールしようとしてる人に対して心を開くことはないですし、相手がそうなように警戒もするわけです。
仕事をするしないでなく、人として向き合うかどうか。

たぶんそこについては、めんどくさいなって思ってるんだろうな(笑)

でも、生きてるとめんどくさいことばかりなんだということがちょとでも伝われるのもいいかもしれないから、変えずにいようとおもったしだいです。

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