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死ぬ時をプロデュース。

今、落ち込んでるので、こんなことを、考え始めました。
死ぬ時、死ぬ場所、を思い始めたのは去年の手術の時からです。
「家で死にたいなぁ」
とか
「やっぱり病院で延命されちゃうんかなぁ」
「ガンでホスピスかなぁ」
と、色々考えたんですね。

自分がそう思うんだから親はもっと切実だし、嫁であり娘である私や弟が介護やら、やれ長生きしてほしいやら、いろいろと親とは関係なく、彼らの死の淵を決めてしまうわけです。
それは、決して安らかなものでは、ないかもしれません。
だって自分が「できれば家がいいなー」と家族に苦労かけそうなことを思ってるんですから、彼らもワガママは言えないと言えど思ってないわけは無いんです。

エンディングノート、というのがありますよね。
それを自ら書くのはなかなか勇気がいるものです。
家族に自分が死ぬ時はというのは、なんだか大事にされてない、もしかしておじいちゃん、おばあちゃん、もう死にたいの?なんで思わせてしまうかもしれないから。

この前、母と話をしてて
「実際、私が1番先かと(あの世に行くのが)おもったよねー。」と言ってて、まあ、そうならなかったというのは、親不孝せずに済んだということと、これから皆をみおくってから私はあの世に行くということなのねということになりました。

そのあたりから、親がどんな環境で死を迎えたいのか、私たちが何処までそれに応えてあげられるのか、を考え始めました。
いきなりだと大変だし、認知症が始まると、有無を言わさず施設に入れないとならないかもしれません。
でも、もしも、最後まで認知がしっかりしていれば、死にたい場所で安らかに見送れないものかと思いました。

父方の祖母が自宅で亡くなりました。
寝たきりになりましたが、認知症にはならなかったので、意思疎通ができ、介護をできたと、母は言っていました。
今の世の中のことを思うと、20年前でも家で死ぬことは本当に稀なことであり、でも、この上ない幸せだったと思うのです。

私はそれを知っているので、できることなら最後の最後だけでも家で迎えたいし、迎えさせてあげたい。

なんとかならないか、近いうちに親4人と話をしてみたいと思います。

さて、どう受け取ってもらえるか。
私の気持ちが伝わるのか、夫とも相談しなくちゃ。

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