病気のこと⑤

ガンが見つかった時、誰にその事を伝えようか、ということに1番悩みました。
付き合いが深い人達、家族であるほうが、どのタイミングでどういう方法です伝えるのがいいか考えました。
ガン疑惑で検査を受けた事があると聞いていた友人や検査を受けるきっかけになった友人にはすぐ伝えました。
それだけでも予行演習にもなりましたし、抱え込まなくても済みました。
しかし、病名が病名なだけに告白するだけで重いものを背負わせてしまいます。
ガンになったからといって来月死んでしまうわけではないのですが、多かれ少なかれ命の期限を切られた(実際は、そのような)人を前にするとどう接していいかわからなくなるのです。
それだけに命というものは、重いものなのだ、ということを認識せざるおえないんですけどね。

友人は一斉メールで告白してきましたが、私にはそんな勇気ある告白方法は取れませんでした。
一人一人捕まえて、少しずつ伝えていきました。

本当は言わなくてもいいかも、と、思っていました。
私が1ヶ月くらい居なくても「どうしたんかな?」位ですむ可能性もあったからです。
全てが終わってから、というのもあるな、と、思ったあとで、待てよ?そんな短期に終わる、ことがあるかどうかは、わからんよ?という疑問が浮かびました。

誤魔化しきれない、と、おもったのは、この時でした。
ごまかしてもいいんだけど、逆に正義感が沸いてくるという。
もしも、検査に行かず同じ病を持ってる人がいたら?
気になってるけど行けない、になってる人がいたら?

これは、誤魔化すとかじゃなくて言わないとならない、ということに。

そんなことを考えてながら、伝えることしていたら、病気の自分より、やはり聞かされた方がしんどいんだな、ということを感じました。
痛いとか辛いとかいうのは、誰にもわからないんです。
誰も代わることができないのに、その、辛い姿を見なくてはならないということ、本当に辛いと思うのです。
確かにつらいのは自分なんですけど、自分の事ですから自分でなんとかするしかないんですよね。逃げる訳にはいかない。
自分に集中するしかないから、人の事まで考えられないことになるけど、ここで、強くならないとな、と、思ったわけです。

よく、ガンを闘った人が優しくなったとか、愚痴も言わずに闘病した、とか、聞きますが、周りで心配する方がよっぽど辛いのがわかってるのだと思うんですよ。
自分の闘いは死んで終わるとなると、自分が死んだあとの世界を生きていかなくてはならないわけです。
それも辛いわけです。残される人の人生は続く訳ですから。
そう思うと、生きているうちは、がんばれるのかもしれません。
なんでも幸せに思えるかと言われればそういうわけでもないですが、強くはなるな、と、思いました。
乗り越える、というのは、こういうことなんかもしれんな、って。
まだ、乗り越えたかどうか、乗り越えられるかどうかもわからんですが。

治る病になってきたガンですが、未だに病名のインパクトはすごいですからね…

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