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公開質問会

あおちゃん、あれだけやれる選手なのにまだまだ「わからない」ことだらけなのですね。
ナカジさんは、社長をしてきただけあって(それまでも自分で決められて来たことでしょうし)「決める」という事に塩梅もタイミングもその測り方も経験を積まれているんだなぁと思いました。
私もあおちゃんと同じような事で昨日の夜は息子と夫に泣きついたのです。
自分はどう期待されているのか、どう進めばいいのか、どこにゴールを見つければいいのか。

しかしわからないと思うことがある時は何かを探そうとして前に進んでいる時で、壁が見えた時は越えようとしている時だと、この最近聞きました。
あおちゃんがいつも「俺、どうよ!?」と思っているのは、俺が常に進化を求めているという事なんだろうなと思っています。
そして今のところその進化にゴールはなく、ただただ、新たに訪れる局面に対して自分がフィットすることが出来て今のサンフレッチェの理想的なサッカーができ、勝利し、皆と一緒によろこびあえる、そういう日々がおくれるときは幸せであり、そうでないこの何年間かはずっと進化したい、進化しつつもフィットすることが難しく悩み続ける日々であったと思うのです。

もしかしたら、あの時のような幸せな日はもう来ないかもしれません。
自分が進化すれば成功する、と信じて続けてきた事は、叶わないかもしれません。
しかし、それはあおちゃんの外の世界。
あおちゃんを取り囲む世界があおちゃんにもたらせてくれる幸せであって、それとはまた別にあおちゃん自身が作り出し、あおちゃん自身が感じている幸せな時間があるのです。

それはこの前インスタでコメントしていた
努力を怠ればすぐに切られてしまうこの世界で、努力を続けてる事でプロでいられる、という、自分の今の立場を自分が作り上げることができているという幸せです。
これはまだあおちゃんの手の中にある幸せだと思います。
あおちゃんの外の世界からもたらされる幸せは、なかなか訪れなくても、あおちゃんが作り出すあおちゃん自身の幸せ
それがまだまだ見ていられそうな事が、ファンとしては幸せであるということでもあります。

ファンとしてどうなって欲しいか、という理想はあるのでしょうがそれはファンの人の数だけあって、その中からニーズをなんとか導き出したいとあおちゃんは思ってるんだと思います。
結果から見ていきたいタイプだもんね。
ニーズがあってこそ、ゴールがあってこその生きる指標でもありますもんね。しかし、昨今の世界はゴールというものがあいまいになっていて、困ったことにニーズというものがなく、差し出されたものに消費者が飛びつくかどうか、の世界になって来ています。
本当はそういうの良くないと私は思うのです。
消費者も「自分はこれが欲しいこういう趣味趣向がある」と思考した上で選ぶ、という行為をしなければ、考えることをやめ、快・不快でしか判断しなくなる、それはもう人間の思考ではなくなる世界になって行くということなのです。
人に「快」を与えられない人は切り捨てられ、しかし、「快」というものは、慣れてしまうともっと強烈な「快」を産み出さないと飛びついてくれなくなるものなのです。

そこから脱したい、そういう思いがあります。
面白いサッカー、攻撃的で刺激的なサッカー、速い展開で考える間もなく刺激をくれるもの、それこそが誰が見ても面白いサッカーである、と、思われているように感じています。だけど私は考えさせられる、意図がある、そういう人が意志を持って作り上げることに感動し、面白い、見続けていたいと感じます。
その場の刺激だけでなく、心に留まり、長く静かに燃えるような。
そういう人が考えさせられる判断を下すことの出来る時間を持てる、そういうアプローチをしてくれたらいいのにな、と思います。

ある意味、あおちゃんの言葉はキーワードが多くて私は、その言葉ひとつで色んなことを考えてきました。
「俺、どうよ!?」と聞かれたこと、それがどういう答えを欲して出た言葉なのか、その場で答えた事とは別に本当はこのナカジさんに質問したことと同じような事をもとめていたのかなもな、と、数年たった今でも考えています。
面白いのは、あおちゃんが未だ自分のキャリアの大きさに対して自分が何者かであるかの認知がされてないというところ、自己肯定感が私たちが思っているより低いという事です。
「人の目を伺ってここまでやってきた」そうラジオのインタビューで答えていたけれど、私はずっとそう思ってきましたよ。
だからここまでやって来れた。自分がどう監督のサッカーにあわせていくか、いや、自分は合わせることしかできないのか、自分はどこにいるのか、なんなら、自分はこれしか出来ない、と監督に干されるくらいのほうが自分というものがあるのではないか、それくらい思っているのでしょうが、あなたは、意外にも臆病で安定を求めますもんね。
それがサンフレッチェ一筋19年、広島の紫のバンディエラと成れた理由ですよ。

だから、それでいいじゃないの、とは言いません。
がんばるしかないですね、探すしかないですね。
私も同じように自分を探しながら、自分を探すあおちゃんを見守っていきたいと思っています。

(だから、やめたんだよ、ということもつけくわえて)笑

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