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夢の叶え方。

ずいぶんと書いてなかったので上手く書けるかなとは思うのですが。

「夢の叶え方」
なんて、大きなことですが、私は「夢」をたくさん持っていました。
変な話、今でも持っていて、50すぎた頃に小説家になりたいとか、その昔はなんでもいいかはオリンピックに出てみたいとか、もっと若い頃はアイドルになりたいとか。
ほんとにバカみたいですが、何かやりたいことはたくさんありました。

その中でずっとあったのが「ものを作る人になりたい」
というものでした。
漠然ですが、最初はイラストレーターとか漫画家でしたが、そういうのはゼロから作り出さないとならないのと、アニメーターとかになると広島では出来そうにないし(40年前当時)はてさて、どうしたら、とは思っていました。

高校進学とともに現実路線に走り商業高校、事務職に着きましたが、とことん向いてない、というより、ものを作ることがとことん忘れられなかったのだと思うのです。
高校生のころからバイクが好きになり、整備士なのかこれまた漠然としていた所に設計事務所の事務職の求人が。

今となってはかなりやばい求人でしたが、この事務所、事務職と言いつつ結局図面を書く仕事をやらせる訳です。
ですが、今思えばこれが無ければ今の自分はないわけです。
ここに食いついてしまったことがこの先30年を決めてしまう事になり、自分の夢を叶えることになるとは、全く思ってはいませんでした。

ですが、ここからが、本気の夢への挑戦でした。
ズブの素人がマイナスから学んでいくわけです。
ですが、ひたすら何にでも興味を示せば、必ず人に出会えるのです。
たくさんの人が私を育ててくれました。
教えて欲しいというより、どこか、やらせて見たいと思わせるなにかがあったのか?
「教えてもらえる力」という力については人の何倍もあったように思います。

いつしか、自分の夢というより、人の夢を叶えることが自分の夢となっていました。
自分の夢だけでは、自分の世界だけで終わってしまう。
自分のやることが他人の夢が叶うことの役に立てば人の数だけ自分の夢も尽きないと思うようになりました。
その分、勉強もしないとならない。
初めて真面目に自ら学ぶことに向き合いました。
それまでは、教えてくれる人がたくさんいたのですが、それは、その人たちの時間を使ってもらっていたのです。
その方たちへの恩返しは、自分で学んで、人の夢を叶えられる技術者になる事でした。

いまでも、まだまだ、ひよっこです。
携わった車は世界一にもなりましたが、私は、まだまだ、世界に通用するような技術者ではありません。
もっともっと勉強しないとなりません。

ふと、子供の頃に思っていた色んな夢の中の「ものを作る人になりたい」というものは、こうやって、ずっと自分を成長させながら、常に新しいものを、生み出していく仕事をする事だったのでは?と思ったのです。

ここに至るまで、学がない分、かなり無茶もしてきました。
分かりもしないのに、変なことも言ったりしていました。
それでも、食らいついていこう、自分にやれないことは無い、という、思いだけは無くならないんですね。
これだけです。何につけても同じなのですが、チャンスを作るために努力する、チャンスがきたら必ず掴むように準備をする、そこに妥協は、ない、そういうとかなりガツガツしてますが、考えてみたら高学歴の男性ばかりの職場では、それくらいしないとついてていけなかったのではと思います。

思い返すと、思い返すとなんですね。
その時「夢を掴むために」と思いながらやってた訳でなく、夢を掴んだと思ってしまったら、そこで夢が終わってしまうので、いつまでも夢を追いかけている状態、夢の中にいる、そう、自分はきっとずっと追いかけ続けることができることが、夢を見るということの本当の姿であり、それが幸福なのかもしれないなと、思ったのです。

もしも、このコロナのことで会社が傾くと私のような派遣社員は、仕事がそこそこあったとしても、予算がなければ切られてしまいます。

そこがまず、一旦、この仕事での夢の終わりになるかもしれません。ですが一度夢を追いかけることのやり方を覚えたのですから、また、他の夢を追いかけ始めると思います。

今の若い人たちに、現実に向き合うことが辛くなると思います。
思いとやることがちがって辛いことも沢山あります。
だけど、夢を追いかけていいと思うのです。
夢を追いかける為にしんどい事もありますが、夢をあきらめるよりも、そのしんどさのほうが、ただしんどいより、何倍も楽しいはずです。

夢を見ること。
今、この状況ですべきことのひとつは、夢を叶える手立てを考えることかもしれません。


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