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伝わる。

開幕前にいろいろあったことから、久しぶりに「応援てなんだろう」と考えてしまいました。
正直、浦和のゴール裏を見て彼らの前で負けましたと挨拶に行くのはしんどいやろな、とも思いましたが、間違いなく彼らは選手同様浦和レッズの勝利のために背負うものがあるのだと思ったのです。

応援されている、支えてもらっている、と感じるのは、きっと自分と同じものを背負ってくれていると感じる時だと思うのです。
相手の何かを背負うのではなく、その人がその生き方の中で同じくらいと思うものを背負っているかどうか。
そこまでがんばっている、という姿を見られることが応援だと思うのです。

この前はわりと浦和のゴール裏を見ていたのですが、90分、スタンディング、切れない歌声、振り続けられるフラッグ、スタジアムの空気を我がものにするために力を抜かないその様はまさにサポーター。

選手にとってアウェイスタジアムでの戦いで圧倒的ホームの雰囲気の中で試合をするのは、社会人で言えば一人プレゼンに行ったとき、なぜか十数人の相手陣営がズラリ並んでいる中で話をしないとならないことに似ているなとおもい、そんな時、なんでもいいから掴みを繰り出してこっちの雰囲気にできないもんかと思案していた事を思い出して、この流れ、雰囲気の大事さを痛感するようになりました。

ルヴァン決勝の時の1点ビハインドでの折り返し。
あの時の「ゴール奪え!」のコールで国立競技場が圧巻のホームスタジアムに化した光景、あれで選手は、ここで絶対に優勝する!と、奮い立ったと思うのです。
ホームに比べたら少ない試合数、ホームでなく毎回アウェイのスタジアム、地方のクラブを強豪あまねく関東で勝たせるためには、相手ホームのゴール裏を圧倒し、スタジアムの雰囲気を紫にしなければならないのです。
その、矜恃を感じるのです。

たしかにそれは直接選手に伝えられる訳では無いし、自己満足なのかも知れません。
だけど、試合の内容より、自分達がどれだスタジアムの雰囲気を飲み込み、サンフレッチェのスタジアムとするかを「背負う」ことは間違いなく伝わっているのです。あれは嫌だこれは嫌だ、楽しみたいのはわかりますが、私はやはりあの場所は、チームを背負うものが集まる場所で楽しみたいのなら違う場所に居るべきだと思うのです。

伝える、という事は、それくらいの熱量が必要という事ですし、背負うということは、自分の何かを捨てなければならない行為だと思うのです。

極論かもしれませんが。
浦和のゴール裏を見て、改めてそう思いました。

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