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「計算ドリル」と「抜き打ちテスト」

救急外来には多種多様な患者さんが訪れる。

特に週末や休日、夜間など、診療所や病院の一般診療が終わっている時間帯や曜日では、患者さんの受け入れ窓口は救急外来のみとなるため、時間あたりの来院患者数は一気に増える。

数に忙殺され、一向に減らない未診察のカルテの山を見ながら、余計な感情をもたずにただひたすらに患者さんの診療にあたり続ける。

「これは前にも経験したものだな」
「こうやって処置すれば良いだろ」

診断もわかりやすく、複雑な処置を必要としない場合には流れ作業的な感じで診療が進む。

このように淡々とこなすだけならそこまでのストレスはかからない。数は多くても、一人一人の診療自体はスムーズに進むからだ。この時の感覚が

「計算ドリル」

ただ、そんな時に限って一筋縄ではいかない、頭をフル回転させなければならない患者さんがやってくる。

医学的な問題もさることながら、社会的な問題も抱えている患者さんの場合は、過去の経験やその場のリソース、いろんな人たちの知恵を総動員して問題解決しなければならない。

ドリルばかりやって、半ば脊髄反射的にやっているところに、実力を試されるかのごとく、突如として難題を突き出されるのである。
これが、

「抜き打ちテスト」

この抜き打ちテストの厄介な点は、誰も正解を知らない、ということである。

もちろん、患者さん自身も知らない。
その場にいる医療スタッフも当然知らない。

正解があるなら、意地悪せずに教えてくれ!と言いたいが、そんな訳にはいかない。

答えが分かるのは、決断を下した後なのだ。
時間が経ってからなのだ。

その時にやっと、自分が取った選択が果たして正しかったのかどうかが分かるのである。

時に、非情なまでの現実が待ち構えている場合もあるかもしれない。

医師国家試験には、「ドボン問題」というものがあるようだ。

これを間違えると、いくら点数が良くても不合格になるらしい。ただ、国家試験の良い点は、「ドボン問題」はほとんどの人が正解を答えられる問題なのだ。難しいわけでも、引っ掛け問題なわけでもない。

ただ、実臨床はそう甘くはない。

現場で遭遇する本当の「ドボン問題」は、一見すると誰もが誤った選択肢を選んでしまいそうなものなのだ。
患者さんも大丈夫そう、検査データでも異常がない、そんな時にこそ、大きな落とし穴が待ち構えているのだ。

その落とし穴に落ちないように、落とし穴を見つけられるように、落ちても這い上がれるように、なんならその落とし穴をきちんと埋められるように、自分の臨床能力を伸ばし続けなければならない。

指導医の立場となれば、研修医たちも「ドボン」させないようにしなければならない。

毎日は非常にストレスフルである。
ただ、そのような環境に身を置き続ける人達は、救急医に限らずそのストレスを原動力や向上心の源に変換しているのだろう。

もしかしたらどこかで、「抜き打ちテスト」を待ち望んでいるのかもしれない。

それが、プロフェッショナルとしての医者のあるべき姿の一つなのではないかと思う。


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